1996年11月1日 『ことばは世界とどうかかわるか』の下版・ネチケットの取材
下版(げはん)というのは、版下が完成して印刷所(正確には印刷所の製版工程)に回すことであるが、編集の杉浦の最終的な追い込みで何とか、下版できた。この本は、世界に先駆けてメイ先生と契約し、刊行するはずであったが、ブラックウェルから刊行され、メイ先生に初めて会ったときからすると5年くらいもう過ぎている。本当に読者の方をお待たせしたし、我々も切なくなるほど待った。それがようやく本になる。また、今年のほとんど唯一の言語関係の売れそうな本であり、今年の前半その意味で厳しかったことを考えると、ここにきてどうにかなりそうでその点でもうれしい。彼女はもう一冊担当していて、その高橋太郎先生の古希記念の本である『日本語文法の諸問題』は、来週、連休明けに下版する。
仕事だから当然とも言えるが、はじめての本であるし、彼女のがんばりに敬意を表したい。これからもがんばってね。
ネチケットのことで、新聞の朝刊の家庭面を担当されている方から取材に来られた。これから、インターネットに接続する人たちに、アドバイスをして欲しいとも言われた。これは、この連休中に考えてみるのであらためて掲載する。『ネチケット』を取り上げて下さるそうなので期待したい。
また、アクセス数が6000件を越えた。アサヒネットのカウンターに変えてから、毎日ほぼ30強のアクセス数である。
1996年11月2日 Acrobatマッキントッシュ版(ベータ版)でた
リーダーだけなので日本語の文書を作成して、実験するところまではいかないが、やっとマックでも日本語の表示を見ることができるようになった。私は現在、ある大学の紀要を進めているが、今年はDTPの方法で作ることにした。これは家内制ではなくて、日興美術さんにお願いしているのだが、当然紙の紀要を作成した後、
PDF化するわけである。学術情報の流れが一部大きく変わりそうな興奮すべき第一歩だと言える。私が、英語の中に発音記号を入れたところ文字自体が表示されずに非常にがっかりしたのだが、知人に頼んで、やってもらったところ、ちゃんと表示出来ていた。acrobatもexchangeではだめで、distillerを使ってきちんとembedded(埋め込み)しなければ行けないらしい。これで言語学の論文も扱えるということになる。
1996年11月3日 2.5者の言語 北山修さんの話
筑波大学で開かれていた教育心理学会のシンポジウムを聞いてきた。知る人ぞ知るというふうに現在ではなっている北山修さんの話が中心であった。かろうじて私の世代(35歳)くらいは、記憶しているフォーククルセイダースの作詞家で、「かえってきた酔っぱらい」や「戦争を知らない子どもたち」などのヒットソングがある。作詞家をやめた後、精神分析の臨床家となり、現在は九州大学にいる。
話は興味深かった。クライアント(患者)と向かい合っている時、基本的には二人の間で話が成立すればよい。ところが、その経験を誰かと共有しようとした時、臨床家同士でも学会の場でも、それが第三者に向けた言葉に変容していく、しかしあくまで臨場感のある言葉は第2者間のことばであり、そのジレンマが基本的には横たわっているのだと。
この話が興味深いのは、ことばというのは一般的なことばというものがあるのではなくて、場面によってあるのだということだ。誰にでもの「美しい日本語」というものは、ないということ。私と恋人、私と友人のあいだにあるかもしれない美しい言葉は、他の人に向けた時、美しい言葉としてつたわるかどうかはわからなくなってしまうということ。(ただし、北山さんが言ったように、恋人のために作った曲が、マスメディアにのって、ヒットしてしまうという不思議なことはあるという。もっとも90年代の現在は、そういった作り方自体がマーケティングの手法の中に取り込まれているのだろうが)また、第三者を視野に置いた言葉は、2者間の言葉とは違った緊張をはらむから、話すときの話し方、整合性、リズムなどなど、別の次元のものが生じてくるだろう。
2者間の言葉でありながら、第三者に開かれていこうとする言葉、3にはまだ到達しない2.5者の言葉というものを考えると面白いという指摘もあった。それは、こうした公開された私的な日記のようなものをも含んだものなのであろう。私の知らない誰かにおもしろがってもらえているだろうか。
1996年11月6日 徹夜でメイ先生の本の直し
担当者がダウンしてしまったので自分の仕事をうっちゃって、半徹夜でメイ先生の翻訳『ことばは世界とどうかかわるか』の直しをやった。先日下版したのにと思われる方もいるかもしれないが、下版した版下は、印刷所(製版所)で、写真に撮られフィルムになる。そのフィルムの面付け(ページの順番と場所)が間違っていないか、下版時に見逃したミスはないか、製版の時のミスでフィルムを傷つけているところがないか、を確認しなければならないわけである。そのフィルム全体の大きさの青焼きを取って折って印刷所が持ってきてくれるのをみて確認するわけである。これは社内でDTPをやっているわけですぐに直せるのはいいのだが、自分で直さなければならないというのがきついと言えばきつい。
しかし、内容はやはり面白い。たまたま一日前、デジタル時代のことばと文化の会があって私は出席したが、そこでの話の基本はメイ先生のWhose
Language?であった。「誰の言語か?」ということだ、北山さんの話にもつながる。ぜひ刊行後は本書をお読み下さい。
事務所の寝袋がまた役に立ってしまった。半徹で、風邪をすっかりひいてしまった。エアコンが、ほこりぽかったのかもしれない。
1996年11月9日 夜行バスで関西言語学会へ
風邪をおして、学会へ来たが、収穫はあった。奥津先生の『拾遺 日本文法論』が、10冊売れた。これは、なかなか大したことである。関西言語学会は、これから研究をしようという意欲ある大学院生が多いので、他の学会よりも本を多く買ってくれるのだ。注目株の人も多いということも重要である理由の一つだ。
というところで、雑感2題。
実際をしらないというのは困ったものだ。春に見積もりを出したのによそで本を出すことにしたそうだ。しかも、個人で払うときのことも考えて安い方にしたというのには、開いた口がふさがらなかった。機関に助成金をもらう時とそうでないときでは、数倍は違う金額で見積もっています。数倍というのは別にぼっているからではなくて、比較的大きめの出版社がやったらこうなるだろうという額を推測して出しているのであって、むしろ正規な料金といえるわけだ。ひつじは出版界のあかひげなんで、もらえるところからはとるし、もらえないところからは取らないわけです。営業がものわかりがわるいとか、よっぽどきちんといわないとこっちの意図を正確に理解してくれないなどの問題はあるが、数分の一のコストで組んでくれる印刷所もあるわけで、編集者がちょっと苦しめばそれだけ違うわけだ。われわれのような小規模の出版社は、苦しくても安い方にだす。と同時に、世間的な相場も知っているということである。結論的には、縁がなかったということだろう。無理しないことが、肝要。
しかしまあ、くろしお出版さんは私の考えでは損をした。OXFORDの出版物を日本国内扱うことにしたそうだが、私だったら、バーターで取引することにしたのにねえ。これからは、輸入ではなくて輸出が重要なのであって、翻訳や輸入はもう十分だ。岡野さんは、海外に本を売る必要をほとんど思っていないようだけど。野田先生の『はとが』とか、これは世界にうれますよ!絶対に。日本語でも関係ないでしょう。数百はいくと思うなあ。私だったら、OXFORDの出版物を日本国内で売るかわりに自分の本をアメリカとイギリスで売れというけどね。海外に少しでもストックがあれば、その地域内での送り賃でいいし、代金の回収が簡単でなおかつ送金手数料がかからない。これがそれだけでも本当に価値のある権益だろうと思います。学会で、学会割引で売ってもらうこともできるしね。岡野さんはクロネコの海外サービスがあるといってたけど、これははっきり言って勉強不足。送料は高いし、学会割引が出来ない。海外では再販制の規定が生きないから、海外では割引販売に問題はないはず。一方、OXFORDは、なぜ東京大学出版局に話をもっていかなかったのだろうか?
風邪はホテルのベッドの上で直した。アメリカ言語学会は、私が行くことにする。
1996年11月12日 ネチケット紹介され始める
ネチケットが紹介され始めた。どうだろうか、影響力はあるのだろうか。載せてくれた「パソコン倶楽部」は、いい雑誌だし、編集長の大塚葉さんも優秀な人だが、どうしてアナウンサー渡辺某をたびたび表紙に載せるのだろう。筑紫哲也の番組にいっしょに出ている人物だというから恐れ入る。これはバラエティー番組だったのか?インターネット使ったこともないし、本当に必要なものでしょうかだと。自分で何も調べない話すだけの人間。コメントだけ適当につけておけばいいってか?組織にたよって自分のない人間はやはりインターネットによって、リストラされてよいのだろう。ブロードキャスティングの内容のない傲慢さは恐ろしい。「パソコン倶楽部」は、パソコンに関係のない芸能人を出すのはいいかげんにやめて欲しい。今日八木書店の地下のゾッキ本コーナーで筑紫さんの本が2冊で、800円になっていた。私もその内の1冊はかって読んだ覚えがある。
1996年11月13日 常備の入れ替え開始
情報が前後してしまうが、常備を入れ替えた。今年はこちらが提案した通りのセットを受け入れて下さる書店さんが、7店、書店さんサイドの判断で受け入れて下さるのが、7店舗と合計14店となった。北からいくと
東北大学生協文系店
芳林堂池袋店
三省堂神田本店(1階、2階、3階)
東京堂
紀伊国屋本店
上智大学丸善
早稲田大学コーププラザ
慶応義塾大学三田店
中央大学多摩店
名古屋大学生協書籍部南部店
千種正文館
愛知大学生協
旭屋書店本店
甲南大学生協
となります。受け入れてもらった金額の総額は、去年の倍以上になっているから、かなりの進歩をしているといえるだろう。主な本がこれらの書店さんにはいっているので、利用して欲しいし、また、一種の特約店でもあるといえるので、これらの本屋さんで注文してもらえば比較的早く手に入れることが出来るだろう。鈴木書店さんは流通が早いので、うまく行けば、注文を出したよく翌日には本が入る。
また、これを見るとわかるが、京都がない。比較的置いてもらっているのは京都大学の生協だが常備店にはならなかった。また、九州・中国は皆無である。このあたりは課題だといえる。北海道、京都、中国地方(広島・岡山)、九州(せめて博多)には、常時置いてくれている書店を確保したい。
今回も、慣れないで鈴木書店の鎌田さんと青木さんとそれぞれの担当者にはお世話になった。お礼を申し上げたい。
1996年11月15日 夜行バスで英語学会へ
どうにか『ことばは世界とどうかかわるか』『ファンダメンタル英語史』『日本語文法の諸問題』の3冊が出来た。それらをもって10時40分発の夜行バスで、編集長と桑原と私で神戸まで出かけた。
私は、ひつじ書房を作ってから関西に行くときはほとんど夜行バスなので、慣れたものだったが、彼女たちにはちょっとつらかったようだ。慣れないときついし、出発まで結構忙しい日々が続いてもいたからな。かわいそうだったかもしれない。私は、なんと言っても社長だし、体力も意外にあるようだ。ねぎらうつもりと桑原の誕生日の前祝いでふぐを食べたのだが、これも私の食欲を押しつけただけであったかもしれない。ふぐ自体は高いところでなかったが、おいしかった。
学会は、盛況で、いろいろな先生方と会えたのは収穫であった。来年の教科書採用をめざして編集長に間に合わせて作ってもらった『ファンダメンタル英語史』もなかなか好評だった。
この本の内容も面白い。英語の歴史を知らなかったからに過ぎないのかもしれないが、英語もかってはSOV型であったということ。つまり日本語などと同じ、「主語」、目的語、動詞の順番であったこと。活用に語尾の屈折が少ない、目的語格とか格変化がないのは、語尾の形の少しがづつ違うが、内容の同じ単語を持っているグループの人間同士のコミュニケーションが重なった結果、語尾の格変化がなくなっていったことなど(これは仮説だそうだ)。いわば、英語そのものがピジンであるということなど。
この英語史と英文法、そして昨年の英語学。この3冊ともうじきでるここからはじまる日本語学で、うまく行けばひつじ書房の経営が来年には安定するのではなかろうかと期待している。そうなれば、新たな展開も可能になる。ちょっとだけ予告すると、認知(言語と社会両方)的なもの、語用論的なもの、学位論文をうまく出すこと、英語の本の編集に本腰を入れられることなどにむけて大きく進めることができそうな期待がある。
田窪先生に誘われて言ったスナック「シレーヌ」で、1年以上ぶりにカラオケを歌った。ここは、4年くらい前にも来たことがあり、神戸の震災にもめげず無事でうれしかった。生田神社も復活していたのを見ることができた。
1996年 11月17日 ひつじ書房の紹介続く
先週は東京新聞のなんと経済欄で、ネチケットが取り上げられた。東京新聞の広告の方がわざわざ来られて、教えて下さったのだが、いつもだったら東洋経済とかダイヤモンド社のような会社の本の紹介の載るコーナーだそうだ。また、日曜日に日経の書評欄のウエーブという覧でひつじ書房のホームページが紹介された。そつなくまとまったいい記事だったと思う。なんと、「ひときわ目を引くのが「房主の日誌」と題された松本功社長の日記だ。(このたと京都の学芸出版社の話があり)作り手、売り手の本に傾ける情熱が伝わる。」と書いてくれた。まことにありがたいことだ。欲を言えば、もう少し詳しく取り上げて欲しかったが、具体的な出版社の試みを伝える連載記事があってもいいのかもしれない。堤記者には期待したいものだ。
それにしても朝日新聞は取り上げてくれないねえ。やっぱり頭が固いのかね。
しかし、残念なのは、読んで興味を持ってくれたとしても、大半の読者は、たまたま寄った本屋さんに本がなければ、もうその場でネチケットのこともひつじのことも忘れてしまうだろう。大きい版元ならそういった情報にあわせて並べておくのだろうが、それは不可能である。できることなら、読者の方が執念と小さな出版社の事情を理解していてくれるといいのだが、注文して下さい!
今日は一段落したということと、学会疲れでどうせまともなことも出来ないだろうということで私のマックのハードディスクを生まれて初めて取り替えた。350メガから2.1ギガである。ハードディスクの調子が悪かったから、ということもある。私はソフトを買うか、本を買うか、女性と食事をすると元気になる(これは冗談)のだが、心がそれだけで軽やかになった気がする。というわけで、2時近いのに、日誌などを付けているのだ。
1996年11月18日 英語学会を振り返って
「英語学会の時に、ひつじ書房のホームページを見てますと言って下さった方にプレゼントします」と書いておいたが、一人も名乗り出てくれた人はいなかった。ちょっとこれは意外とがっかりの二つの気持ち。今回、英語史を関連する講座を持っている方に献本する時に、申し込み書を書いてもらったが、それにはほとんどの人がe-mailのアドレスを書いていた。ということとこのことの関係はどうなのだろうか?ちょっと考えてみなければなるまい。ひつじホームページは特定少数の人に情報を提供するのを最低限の本願としているのだが、実際にはそれすら果たされていないということになるのだろうか?刊行情報だけでもある意味で価値ある情報だろうと思うし、出版社の裏側を知るにはそれなりに役に立つ情報を提供しているつもりである。そういった情報に自分からアクセスしようという気を持つ人々が少ないということなのだろうか?考えさせられる。
また、本を採用見本で献本しますと言うと軽い本なのに送って下さいという人が2名いたのに驚いた。しかも、若い人だったのにはことさら驚いた。一人目の時はそれなら献本しませんと献本をやめにした。どういうつもりなのだろうか? 多くの人は、こちらから献本しましょうかと言っても、遠慮がちに持っていく。研究書でも1冊くらいでも、送って欲しいという人がいるのには驚く。関西言語学会にも国語学会にもそういうひとにであったことはない。英語学会だけである。何かをはき違えているように感じられる。献本の件では、たった二人だけれども、衝撃は小さくない。
1996年11月19日 出版における冒険ということ
英語学会の時に田窪先生に誘っていただいて、スナックに行った話は書いたが、その時には、その酒宴の場で「○○書院は、ドル箱があった時代には冒険が出来たが、今は出来ない。ひつじ書房にも利益の柱になるようなものがあって冒険ができるといいのだが」という話がでた。これは非常に好意的かつ期待されてのことばであったのだが、ちょっと異論を差し挟みたい。その冒険というのが具体的に何を指しているのか不明でその場では詳しく聞くことは出来なかったが、啓蒙書、教科書などが安定して販売できた時代はともかくも現在では、歴然と利益を上げる本と利益を使う本という区別はできないのではないかというのが私の実感だ。また、利益の上がる本を持っているからといって実験的な本を出せるかというとこれも怪しいのではないだろうか。たとえば、筑摩書店が文学全集で利益を上げていたときに実験的な本を出していただろうか?多くは啓蒙的なものや有名な著者のものであったはずだ。東京大学出版会が『知の技法』をたくさん売ったからといって何か冒険的なシリーズを出し始めただろうか。岩波はあいもかわらず学問市場が見えてから叢書で出すという堅実ぶりだ。どれもこれも全巻予約販売というのにも恐れ入る。何もエンデを予約販売にすることはないだろうに。岩波の社員は一人も岩波文庫の創刊の辞を読んだことがないのだろうか? 改造社の円本の全巻予約販売を批判したことばをどううけとめているのだろうか?全巻予約販売を批判して、岩波文庫を創刊したのではなかったのか? 岡茂雄の『本屋風情』によれば、岩波は岡に対して教科書とシリーズものは不況の時代に必要なものだと言った。岩波書店は業界の首位クラスの高賃金だが、それでもまだ不況だという認識だ。どれだけ利益がでていたとしても、それを冒険の本に振り向けられる気配はないのだ。この不況は戦前のもので、ははは。戦時体制どころか戦前体制がいまだに続いているというわけだ(笑)。
私の考えでは冒険は利益を出しながらその本自身で行うしかない。学術専門書ならば、それは可能だろう。ただし、部数は多くなく、定価も高価なものにならざるを得ないだろう。しかし、著者と読者が支持してくれるのならば、刊行は可能である。
若手の民俗芸能研究者を主体に『課題としての民俗芸能研究』という冒険的な本を出したことがある。執筆者たちは真に学問的な意味でも2世代上の研究者たちを標的にしていた。純粋な学問的な意図からだったが、先輩を軽んじるといったせこい批判も少なからずあったはずだ。私は、学会の主流の人がどう考えるかは、別に気にしなかったけれど、できるだけ予約をとるのを協力して欲しいとお願いした。内容についてはもちろん信頼できるという確信があった。9500円の本であったが、彼らはなんと民俗学会で、知り合い、先輩、指導教官を口説いてくれて、学会の開催期間中になんと150冊もの予約をとりつけてくれたのであった。これは一例だが、冒険というのはそういう形でなされるのではないだろうか。利益の裏付けのある冒険というのはないだろう。
1996年11月20日 出版ニュースの清田さんからの原稿の依頼
昨日のことだが、清田さんからお電話をいただいた。400字詰めの原稿用紙換算で14枚だそうだ。今まで書かせていただいた原稿の中では一番長い。ちょうどインターネットと出版について考えを少しまとめたいと思っていたところなので、即座にお引き受けした。ちょっとがんばってみようと思う。
1996年11月21日 平田オリザ氏の芝居
今まで、状況劇場やつかこうへい、風の旅団や野田秀樹などそれなりに芝居を見てきたし、実は中学2年の時は演劇部だったし、高校生の時は、友人の芝居を手伝ったし、大学生の時には狂言をやっていたりしたのだが、いままでみた演劇とどれとも違う芝居だった。内容は大学の生物学の研究室のとなりの部屋が舞台なのだが、そのまま取ってきたような現実的なセリフであるのに、おもしろさがある。旧来のドラマの盛り上がり方(盛り上げ方)のような要素がないのに、芝居は維持され、見ている方は充実した感触を得る。不思議であり、見事な芝居であった。
なおかつ、言語学の出版社の房主としては、ことばの切り取られ方に、優れて言語学的なものを感じた。分析的というか・・・。まだまだ開演中なので、これからでもみることをおすすめしたい。
1996年11月23日 『ネチケット』売れるか?
『ネチケット』売れるか? というのは、私の恐れているところであるが、法政大学出版局の秋田さんから『ネチケット』の売れ行きについて、正当な疑問をいただいた。
その疑問というは、「現実生活でのエチケットを守らない人間が、果たしてこの本を読むかどうか」ということと「普通の人間にとっては、今さら道徳教育を受けたくはない」のではないか、と言う点である。これはまさしくそのとおりで、ネチケットを守る人もネチケットを守らない人も購読者でないのなら、だれも買う人はいないということになる。まあ、ネチケットはネットワーク社会自身について関心を持っているような人ではないと買わないのではないかと思っている。『ネチケット』は実は、エチケットの本ではなくて、ネットワークについてのレポートなのだろう。また、ネチケットが自主的に育って欲しいと思う人が1票を投じるというか、賛意を示すことになるのではないかというのが、私の考えである。買って損はないし、面白いと思うのだが、『ネチケット』が売れるかどうかに、ネットワークの成熟度が分かると言ったら自分勝手な意見だろうか。売れなくても経済的に損失を被らないように、自分で訳し、DTPしたわけだが、あの費やした時間は結局、無駄な時間と言うことになるのかもしれない。そのあいだ別の本を作るべきだったか?「社長が好きなことやってた」で、終わらないようにしないと・・・。妻はペーパーバックはまだ普通の人には受け入れられないのじゃないのと言ったが、そこら辺も私の趣味を押しつけたことになっていたのかもしれない。
1996年11月25日 私の頭はSCSI機器!
金曜日の夜に突然サッドマックになって、どうも仕方がなかったのが、友人のアドバイスで何とか直すことができた。SCSIの相性がおかしくなっていたようなのだが、私は記憶力がゼロに近く、手紙やなんやらすべてマックのハードディスクに頼りっきりなので、本当に困った。頭の半分がもげてしまったかのようだった。まあ、私の頭はSCSIで、ハードディスクにつながっているようなもんだ。
アクセス数が、7000を越えた!みなさまありがとうございます。
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