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 1998年12月31日 新年を迎えるにあたって

1998年のことを振り返っておこう。

いろいろあった年でした。ひつじは、スタッフの力、著者の力、読者の力、そして応援してくれる様々な方々のおかげ、様々な方の力添えで生き延びているということを実感しました。出版には様々な問題があります。それを考えてきました。著者を含めて、そのことをできれば共有したいと思ってきました。でも、なかなかうまく行かない。98年は、年来の願いであった「ひつじだより」というメーリングリストを立ち上げましたが、著者や何人かの重要な人物に配信を断られました。これは、苦しいことです。

去年で一番苦しかったことは、苦楽をともにしてずっといっしょにやってきたスタッフとの別離でした。数年間、いっしょにやってきたはずなのに、なかなかうまく気持ちが共有できない。妻の出産に伴う不在を支えてくれていた重要なスタッフであったはずなのに。私の出版を生き返らせたいという願いは、空回りしてたのだと思います。私が、背負い込みすぎなのでしょうか。その荷物を背負っている私に対して同情的な視線を維持することができなかったのか、勝手な思いかも知れませんが、残念なことです。今の仕事だけを重要視して、将来的なこと、新しいことには、関わらない方がいいのでしょうか。日常的な仕事だけで手一杯なのに、欲張りすぎたのでしょうか。そうだともいえますし、まだまだやりたりない気もします。右上がり成長を遂げていた日本社会なら、それでもよかったのかもしれません。残念ながら、サラリーマン根性では、ひつじの意味が分からないし、仕事をしていてもつまらないということでしょう。これには結論は出ていません。今までもそうでしたが、アクセルを踏みつつ、ブレーキを踏んでいるような、中途半端なあるいは、リスクを見ながら、前進していくしかない、とも思います。今でも、十分に頑張っているような気もします。1998年の一言は「疲れた」です。これは、実感ですが、でも、燃え尽きてはいません。問題点は軌道修正して、本質的なことに取り組みたいと思います。創造的な仕事を、一人ではなく共同で進めて行くにはどうしたらよいのか、これは1999年のとても大きな課題です。たまたま、「伽藍とバザール」というオンライン論文を読んでいて知った「PeopleWare」という本が、そのことを考察している本でした。こういう縁というのはあるのですね。これを読みつつ、考えてきましょう。

数え上げると1998年はいろいろなことを試みました。その中での成果を数えましょう。

1 とにかくつぶれずに、頑張ったこと
2 T-Timeを出して、新しいつながりができたこと
3 メディアとコミュニケーション叢書を創刊して、新しい分野に踏み込んだこと
4 言語学出版社フォーラムを立ち上げたこと
5 投げ銭システムを提唱して、多くの方の賛同を得たこと
6 21世紀の出版のための声を上げたこと
7 ひつじメーリングリストを作ったこと

できなかったこと、良くなかったことは

1 日本語研究叢書を1冊しか出せなかったこと
2 本の出版が全般的に遅れていること

全般的には良くがんばっていると自己評価しています。

1999年は、やっぱり欲張りすぎかもしれませんが、次のことをしたいと思っています。

あー、やっぱりやることは多い。

大事なことをつけ加えなければ、言語学出版社フォーラムの目録を2月に出します。学習院の文学部の紀要は、3月の頭に(これは遅れるわけには行きません)。その他、いくつか進行中のものもありますが、可能な限り、スムーズに進めていきます。めまいがしますが、「陽気暮らし」で、こなしていきましょう。今年は、本屋さんにいって営業もしたいし、先生方の研究室も訪問して、いろいろ話しをしたいと思っています。ひつじを興してから、研究室を訪れることが、めっきり減ってしまいましたから。

1999年は、娘も幼稚園に入ります。なかなか大事な時です。久美子さんともケンカをしないで仲良くしたいものです。自宅と事務所をうまく使って、仕事をうまくこなしていきましょう。OCNが半額になったら、通勤をやめてしまうかも。1999年もいろいろあるでしょう。

1999年も、皆様、ひつじ書房をごひいきに!1998年は、ありがとうございました!

そうそう、7日に『本とコンピュータ』の7号がでます。松本も、座談会に出ていますので、よろしければお読み下さい。出版界の問題点が分かるはずです。それは、知の問題でもあります。『ルネッサンスパブリッシャー宣言』いよいよ刊行です。

 1999年1月11日 見てくれている人がいる

新年号の『週刊ダイヤモンド』に国文学研究資料館の安永さんが、ひつじ書房を紹介してくれた。記事の分類は、あれれという感じで図書館という扱いになっているところが、不思議だが、人文科学ホームページの中の「だれでも使える面白い図書館」という分類に、東京大学総合研究博物館などとならんで、紹介されている。

図書館と言ってもデータベースという意味ではなくて、企画展示かある文庫のようなことで、紹介して下さったのだろうか? とてもありがたいことで、感激である。

今までの、出版社としてインターネットに早くから取り込んだという事例としてではないところが、うれしい。となると人文科学のホームページとして、現状の問題点を早く洗い出して、満足のいくものに改築する計画を早めなければ・・・。

内容の紹介が不足しているなど、基本的な目録の機能が不完全であること、ページの行き来が袋小路であること、研究の紹介が不十分であること・・・。

直すべきことは多いが、張り合いも出るというものだ。


 1999年1月18日 子連れ出勤

「私たちがいなければ、いったい、どうするつもりなの」と母親に言われた。確かに、このところ、私が遅いのはいつものこととして、妻であり、専務である久美子さんの方も、帰りが12時過ぎという状態で、子どもの世話について、かなり私の母親に依存してしまっていたからだ。

 というようなことを、言われて、来週から、専務は、せめて毎水曜日を休みにしよう、と話し合っていた矢先で、両親が風邪でダウン。専務は会計士さんとの打ち合わせが、朝にあり、仕方がないので、今日は、娘を車に載せて出勤することになった。こういうことが、普通の勤め人に許されることなのか、わからない。たぶん、ダメだろう。

 今日は、昼過ぎまで不思議な時間であった。仕事場に娘がいること。でも、これはSOHOの特権かも知れない。小さなオフィス、家庭オフィス。ちょっとイレギュラーであるかも知れないけれども、わがままを通せるということ。これは、経営者である私たちだけではなくて、たとえば、勤めている立場のものだって享受する権利はある。SOHOに勤めているという点では同じだから。

 働きかたも、別に普通の職場に似せる必要はないかも知れない。SOHOとして、働きやすいかたち、そういったものを追求していくことにしたい。

 1999年1月19日 善意だけで、仕事ができるわけではないこと

 最近、「加盟」したメーリングリストについての雑感だが、主催者が、善意で、懸命にやっていることはわかるのだか、どうもインターネットでのメールリストの参加の経験が、少ないのか、どうもとんちんかんである。趣旨自体は、悪いことではないので、全面的に支援もしていきたいと思っている。

 少し不思議なのは、メーリングリストの運営というものは、頑張ってやろうとするとかなり大変な力技であり、だれかにすすめられて(悪い言葉だと、そそのかされて)、あるいはおだてられてはじめたのではないか、という気がする。もし、そうであるのなら、どうして、その人はメールリストの大変さを伝えなかったのだろう? 仮定でものを言うのはいけないことではあるが、無責任だと思う。

 そもそも、登録の意志が先にあって登録されたわけではないという最近ではちょっとめずらしい(ひつじだよりもその一つではないか、と言われるかも知れないが、ある程度の批判は、承知の上でやっている点が、違う。主催者は、何人かの批判の意味が分かっていないように見受けられる)方法で、クレームを付けてくる人がいるだろうということが、予想されるのに、どうも配慮がないようだ。

 インターネットは実際に様々な経験を積んで、何となく、少しづつ分かっていくという性質がある。その意味で、私は暖かく見守りたいし、うまく育って行くなら、それはめでたいことである。

 直接、その主催者の方とは関係はないのだが、ただ、気になることを見つけてしまった。その件について、書くかはまだ、決めていない。

 1999年1月24日 学術情報ジャーナリストを育てよう

 今までは、大学に入って、卒業すればよかった。勉強する必要はなかった。だから、学校のブランドさえあれば、内容がなくても構わなかった。まあ、東京大学でも、一年間の学費は60万近い。一日、1650円である。あなたは、毎日、本を1650円も買っていますか? 毎日と言うことはすごいことである。ここで言いたいことは、大学がコストパフォーマンスがどうなのか、ということの批評や評価というのは皆無であったのではないか、ということだ。
 これが一点。
 市民が、知りたいこと、調べたいことがあった場合に、どこにいけばどんな人がいてどんな研究をしているか、ということが直ぐに分かるか? あるいは、目的意識を持った高校生が大学を選ぶときの資料はあるか?
 これが2点。
 優れた研究があって、それは意味があり、現代の様々な問題を考えるときにその学問内だけではなくて、市民にも役にたつ、リアリティのある研究があって、その内容が広まらない。これを、専門的な知識をもっている人間が、市民に分かるように伝えるということがあってもいいのではないか? 理系だと森山さんが精力的にはやっている。しかし、文科系は?
 これが3点。
 学会の側でも、その研究を将来的に継続して行っていくためには、その研究の意味内容について市民に説明をしていく必要がある。第三者的に説明できる人が必要だ。
 これが4点。

 つまり、大学を選別し、重要な情報には積極的にアクセスする人間が生まれてきている現在、学問自体の経営を市民が、決めていくようになる現在、学術情報ジャーナリストが、いるべきなのではないか?

 実は、5点目に、学問や情報の盗用を防ぐという意味もある。あるホームページで、書かれていることが、実はしばらく前に別の箇所(インターネット上でも、紙の世界でも、口頭発表であっても)で、発表されたものであったとする。狭い分野に閉じこもっている学者やコミュニティが狭い市民には判断ができない。横断的に見ている知のジャーナリストがいるということは、無責任に盗用ができなくなるということにもなる。

 1999年1月26日 トップページ改訂

 お気づきかと思うが、トップページを改訂した。今までは、トップページが、www.hituzi.co.jp/の直ぐ下ではなくて、さらに一つ階層を入ったところのhituziディレクトリの中にあるという面倒な構造になっていた。これを今回、シンプルなものにしたということである。古い絵日記も昔のまま、取ってあるが、削除するかどうかは決めていないが、アーカイブにしまってしまうかも知れないし、内容ではなくて、名前の示し方を変えることになるだろう。

 古い地層のように残していくことができるのが、ウェブサイトの良いところではあるが、辞めてしまった人間の発言をそのまま、保存しておくのは、不親切かも知れない。これから、出版ベンチャーにおける組織の問題を考えていくことになるが、過去の失敗について触れることになるが、その際、批判的な言説を書くことになる可能性があるが、反論できない状態であるのに関わらず、名前が特定できる状態というのは良くないだろう。私には個人攻撃の意図は全くない。ある事例として扱うだけだからだ。もちろん、できるだけ一般化はするつもりではある。もともとの意図が、出版ベンチャーであるSOHOにとって、どういうチーム、ユニットがいいのかという模索のためだからだ。

 全体の構成を変えていくことになる、ということの説明でした。

 1999年1月27日 ひつじ書房に新卒者の採用について問い合わせをしようと思っている方へ(2)

 就職活動がはじまったのか、メールでの問い合わせがある。ここで、再度、「ひつじ書房に新卒者の採用について問い合わせをしようと思っている方へ」を述べておこう。昨年述べたこととあわせて読んでいただければありがたい。

 新卒者の募集は基本的には行っていません。大卒者を採用することが、全くないわけではありませんが、採用する場合は、最低、1年以上ひつじ書房でアルバイトをしてから、適性があるかをあらかじめ見て決めます。したがって、大学2年生か3年生の内に、ひつじ書房で仕事をしていない人間は、応募ができません。あるいは、出版社でアルバイトをしたことがあり、ひつじで半年以上仕事をしてひとということでもいいと思います。

 出版社は斜陽産業であり、やりがいはあるにしろ、普通のサラリーマンになる気持ちでは、とうていつとまりません。少しでも仕事をしてみないことには、その人が、決められた仕事をこなすサラリーマンタイプなのか、病気に近い出版人として生きていく、可能性を持っているのか、ということは少しでもやってみたことがないとわからないことです。口では、いろいろといえても、本を作る実際の能力がない、辛抱がないということもあります。それが悪いのではなくて、適性がないということです。

 ということで、いわゆる新卒の募集はしていませんので、あしからずご了承下さい。

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