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昨年のちょっと前、言語学の本が、書店の棚にないとホームページ、この房主の日誌で嘆いたことが、ほんのささやかなきっかけとなって、育ち、今日、11時に言語学出版社フォーラムという組織ができた。1年前のことを思うと本当に信じられない思いである。感無量とはこのことか。
昨年、トーハンと日販という大手の取次店との取引を開始し、その後の国語学会が、山形であるということで、東北を回った時、言語学の棚が皆無であったことをホームページ書いたことが、そもそものきっかけであった。本当にありがたいのは、その時、批判的に言及していたのにもかかわらず大修館書店の青木さんには、真意をくみ取っていただき、発展的な方向へと持っていってくださったことである。青木さんのご尽力で、研究社の藤井さんのバックアップを売ることができ、このお二人が声をかけてくれたことで、開拓社の山本さん、くろしお出版の岡野さん、三省堂の富岡さん、明治書院の橘内さんの賛同を得、この7人で半年以上、いろいろなことを相談し、今日、取次各社、新聞社の方々に説明会を開くことが出来た。
現在、目録を作成中で、目録は、書店さんに棚を作ることから、はじめて様々な活用を考えている。目録自体をデータベースにデータを入れ、それをPagemakerに書き出して、加工する。元のデータベースは、そのまま、WEBで発信も出来るし、紙の目録が年に1度しか出せないのに比して、1年を通して、改訂していくことも可能である。このデータ自身を書店さん、読者に手渡すことも考えられる。
私は、人文書などの堅い書籍の問題を解決する糸口、あるいは一つの具体例とこの言語学出版社フォーラムはなるのではないか、と思っている。
願ったことが、1年で形になりはじめる、ということ。これは本当に驚くべきことだ。
目録の概容
参加出版社約50社 書籍件数1100件以上 A4判 予150ページ 刊行予定1999年2月末
SOHOが、もっと社会にしめる割合が増えてくれば、世間は大きく変わる、と私は思う。
土曜日の朝日新聞に、小学校で授業が成立しない問題が起きていると書かれていた。当然のことだろう。学校が持っている「学ぶ」「団体行動」「規律」といったものが、意味が無くなっているからだ。子どもたちは、理屈ではなく、身体で拒否しているのだろう。ただ、私は、「学ぶ」「団体行動」「規律」ということ自体が無意味だと言っているわけではない。話しが、大きくなってしまったが、元に戻そう。SOHOの話しであった。
親がいけないのか、学校がいけないのか?その両方だろうと思うが、世間が無くなってしまったことが一番の問題なのではないか?昔は、親が、無能でも「そんなことをして、世間が認めると思っているのか?」ということを、親は言えた。それは、世間があったからだ。世間とは何か?
それは、小さな仕事人の世界ではないか?つまり、人々が、左官屋であり、八百屋であり、大工であり、飾り職人であり、百姓であった時代、学歴ではなくて、個々人の力量=腕前で生きていた。腕前には、評判が伴う。
松本屋は、頑固だが、仕事は確かだとか、山田屋は、仕事は速いが、少し雑だとか。そうした評判がネットワークとして張り巡らされていた。これは、一方では、わずらわしいことでもあり、人々がそうした縁の世界から抜けて、経済原理を中心にした円の世界に逃げ出したという歴史的な事実もある。しかし、大企業に入ってしまえば、全てが済んだ時代、人々が、地域やネットワークの中で、個人を表さなくても済むようになってしまった時代は、他人に頼らなくても良くなった反面、ネットワークが無くなり、全てを自前でまかなわなければならなくなった。これは不可能だから、何も考えないことが正しいことになってしまった。
ここまでくると私の言いたいことは分かるだろうが、SOHOは、新しい仕事人のネットワークを作り、失われた世間を「再生」させるのではないか、ということである。SOHOでは、仕事はそのSOHOの中では解決しない。となりのSOHO、あちこちのSOHOとの連携が必要だ。そういうネットワークの中に生きるのが、そもそもSOHOなのだから。
評判は、さまざまなところにつきまとう。羊屋で、2年間修行して、屋主もお墨付きを与えたとか、羊屋の仕事に耐えられなくて逃げ出した奴だとか、そういう「評判」というものが、世間を作っていくということだろう。SOHOの中にも「学ぶ」「団体行動」「規律」というものはある。ただ、学校のようには、自己目的化することはない。具体的な何か、壁だとか、家だとか、畑だとか、具体的な何かを作ることに向かって組織されるだけだ。羊屋の亭主も、昔はよかったのに、ぼけたね、と言われないようにしよう。
先日、仙台で英語学会があった。新刊を出せなかったこともあるが、書籍の展示場所にも来る人が少ないようだった。今まで、研究書が、不況になっているというふうには思ってこなかったが、認識を変える必要があるのだろうか、とその時に感じた。
今日は、同じビルにいる若草書房の菊地さんに廊下であった。菊地さんのところは、古典文学関係の研究書を出しているところだが、やはり、本が売れなくなってきているという。私は、不況と言っても産業界の影響を受けない大学での給料が減ったわけでもないのに、どうしたのだろうか、と言った。それに対する菊地さんの考えは明確だった。研究書を買う世代、20代後半から30代の非常勤で生活をしている人々が、数年後に就職できる見通しを失って、本を買わなくなってきているのではないか、と言うものだった。先日、名古屋で開かれた中世文学会では、参加者が、150人居なかったそうだ。菊地さんは、50万円程度の売り上げでは、1万円の出店料を払うと赤字になると言っていた。遠方での学会の場合、交通費も宿泊費もかかる。今までは物見遊山も兼ねて、学会を地方で行うこともあったが、出版社にとっても、若い研究者にとっても出費の多くなるこの慣行はやめにした方がいいだろう。
打開策はあるのだろうか。すでに就職して、大学に職を持っている人々で高齢なひと、研究をしていない人に、辞めてもらって、より優れた研究者と入れ替わってもらうしかないだろう。このままだと若い研究者は、優秀であっても希望を持てず、研究を続けられなくなってしまうからだ。大学教授で、研究をしない人は辞めさせ、年齢に問わず優秀な人にポストを与えるようにすることが、近い内に起きてくるだろう。この不況のトンネルは、かなり長いような気がする。出版社としては、最低限の人数で、無理に仕事をしないで、出費を抑え、耐えていくしかないだろう。今は、本を作る季節ではないのだ。
ゼロックスと富士ゼロックス。同じゼロックスなのだろうか?ゼロックスからは、DocuTech65というPrint on demandの機械が発売されている。従来の横に長くて大きなマシンではなく、大きめのコピーといったかたちのものだ。50枚までの紙を綴じることが出来るそうだ。つまり、100ページまでなら、オンデマンドで本を作ることが出来るということだ。実際にいくらくらいで手に入れることができるのだろうか?残念ながら、日本で手に入れることは困難らしい。富士ゼロックスに問い合わせたところ、次のような回答をもらった。
11/18受付EM4851
お問い合わせ頂きましてありがとうございます。
大変申し訳ございませんが、当窓口で知る限り現時点では発売などの予定はございません。
どうぞ御了承頂けます様お願い申し上げます。
FUJI XEROX DISC
-----Original Message-----
>Questions: お尋ねします。
>
>米国で発売されているDocuTech65ですが、日本での
>発売予定をお聞かせ下さい。
なぜなのか?これがもし100万円前後なら、これは出版に新しい風を吹き込む新しいマシンだ。どうして、アメリカでは発売され、日本では1クラス上の大きな機械しか発売されないのか?富士ゼロックスよ、日本でもDocument companyとしての見識を示して欲しい。
The Document Company - Xerox
http://www.xerox.com/print/products/dt65/富士ゼロックス
http://www.fujixerox.co.jp/