2003年6月11日の日誌 大村はま、あがめられながら、受け継がれない教育法<

2003年6月11日(木)

大村はま。あがめられながら、受け継がれない教育法

大村はまさんと苅谷夫妻の鼎談の『教えることの復権』がおもしろい。それにしても、この本を読むと大村さんのやっていることは、メディアリテラシーの授業であることがわかる。戦後すぐの時に、教科書がそもそもなかった中で、包装紙代わりに使われていた新聞紙を集め、一人一人に違う記事を渡して読んだり、新聞に載っている広告を集め、どの広告の文章がわかりやすいかを比べたりしていた。その後は、図書館で国語の授業を行い、図書室中の本を活用しながら授業をするなど、メディアリテラシー教育、情報教育と呼びうるものである。

大村さんは、国語教育では教祖とでも呼びうる人であり、影響力もあったはずである。心酔している教師も少なくない。昨年の夏の国語教育学会では早稲田の先生が、大村さんのことばを引用してコメントをしていた。このコメントは私には引用の間違いに思え、権威を笠にきている印象があった。

気になること

1)大村さんの活動がどうして現実の国語教育や国語の授業で継承されなかったのか?
2)継承されていないのにどうしてあがめることだけは行っているのか?
3)教祖のように思われ、崇められていながら、実質的な影響力を与えられないということは打破できるのか?(通常、影響力を与えるためにはネームバリューが必要であると思われるが、知名度があっても影響できないとしたら、どうすべきだろう?)
4)崇められ、影響を与えないとしたら、教育というものの根本に何らかの要因があるのだろう、それは何だろうか?(仮説であるが、公務員のサラリーマン教師という存在が、プロフェッショナルになれないということ、税金で生きていることを意味し、そのことがプロの教育というものを阻んでいるのではないか?)

実際に社会に影響を与え、波及していくようにするためには、戦略が必要であるということだろう。教育の場合は、大村さんの本は売れていた本であるから知識の伝達は行われていたであろうし、国語教育学会のような研修の場でトレーニングについてはそれなりには行われていたはずである。それでも機能しないとなると方策が必要であろう。

そのように考えると苅谷夫妻のいうような「教えることの復権」ということとは違った問題領域が見えてくる。苅谷さんは教師は教育の支援者ではなく、教える人でなければならないと協調し、大村さんをその根拠にしようとしているかのようでもある。むしろ、かなり綿密に丁寧にそしてプロとしての自己トレーニングを行うことのできる支援者であろう。教えることは、教師の無限大の好奇心を生徒に見せることであろう。大村さんは、現役時代、自分の教えることばをテープレコーダーにとって、何度も聞き直して直したということである。プロとしての自己トレーニングを行っていたことに驚かせられる。問題は、それをそばで見ていた人たちが、崇めるだけで、趣旨を理解できず、技能を作り上げる力もなかったということだろう。

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