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2000年6月3日 In Store Live

『日本語の引用』を書いて下さった鎌田先生にプロモーションということで、凡人社の麹町店の店先で、講習会をしてもらった。聞きにこられた方は、95パーセント女性であった。40人くらいだったろうか。

先日、レコード会社のプライエイドの渡辺さんに会ってお話を伺ったとき、音楽業界ではレコード店の中で小さなコンサートを開くIn Store Liveというのをやっていて、音楽を知ってもらうのに効果を上げているという話しを聞いて、本の場合はなかなか難しいなと思っていたところだったから、鎌田先生の話を聞きながら、これはIn Store Liveではないかと思った。鎌田先生の人柄とそれと聞きにきた人たちが、日本語教師の方々であったこともあって、実務的な内容なら、In Store Liveは成功していたといっていいだろう。持っていったCDはあまり売れなかったけれども。

売れなかったという点では、成功とはいえないと思うが、これは可能性があるなと思った。ワークショップができる内容の本なら、人は来るだろうし、本を知らせることもできるかもしれない。本の業界では、サイン会は開かれているが、あまり面白くもなさそうだ。でも、これは何かができそうだというかすかなひらめきを感じた。

2000年6月7日 passive consumer

無料モデルはいつまでつづくのだろう?

無料メール、無料パソコン、無料ホームページ、無料掲示板・・・。Napstar、グヌーテラ・・・。無料、無料、無料、無料、無料、無料、無料、無料、無料、無料、無料、無料、無料、無料、無料。図書館も無料だった。

無料のサービスは止まるところがない。無料で生きる方法は、要するに顧客の情報を転売することと広告。自分のみたくない広告を見せられることをよくも耐えられるものだ。一方、携帯電話には、月1万とか出費することは気にしない。高校生など、そのためにバイトをする。大学生は、そのために本を買わないし、映画にいかない、「ディスコ(死語?)」にもいかない。

IT(インテリジェント・テクノロジー)、インターネットのテクノロジーは、こんなことを実現するためにあったのだろうか? 結局、マクルーハンのいうとおり、passive comsumer受動的な消費者を作り出したということなのだろうか?

2000年6月8日 SQL server

今まで思わなかったのが不思議だが、アルバイトのS君がBBSソフトをインストールしてくれて、またTさんが、ゲストブックやランダムリンクを作ってくれて、うーん、もうちょっとできるかなと思ったこと―去年に比べれば、すごいシンポである―、甲府の友人とファイルメーカーサーバーをそのままいくか、それともSQLを使おうかと話していたこともあるが、そんなこんなで、データベースを後ろで動かして、きちんと応対やら、何やらしてしまおうかという欲がでてきた。

うーん、どうだろうか。SQLの勉強をはじめるか、それともSEになることにきまったT嬢に、取り組んでもらおうか。

データベースでウェブを動かせれば、掲示板もアンケートもあるいは、いろいろ相談しながらすすめるサイトも作りやすくなる(だろう)。テキストを吐き出すということだけではなく、臨場感、一緒に作っているライブ感のようなものがだせればと思う。

overview→http://www.hituzi.co.jp/hituzi/links-cont.html#part13

2000年6月18日 言語学会もろもろ

アイヌ語の研究の第一人者中川さんのいる千葉大で、言語学会があった。言語学会があることを草風館の内川さんに電話したら、来るということだった。あいかわらず、元気ではあったが、本を出すと支払いが起きるので嫌になる。本を出さないで副業したほうがいい、とのこと。○○社は、DTPで本を作っているが、よその本を作る仕事を請け負ってそれで食っている・・・。などなど寂しい話しばかり。

私は出版社が苦境であることを著者も読者も知ってくれないので、「出版社の苦境の本を出しましょうか」というと「だれも買わん」の一言。内川さんは、人間雑誌を刊行していたときがあって、吉田司の「ゲゲ戦記」はそこで連載されていた。知る人ぞしる方。出版社のオヤジらしい、傑物である。

著者の橋本氏にあう。元気そうだが、学内の事務、教育でほとんど勉強ができないとのこと。彼のようなプロダクティブな人がそうなってしまうとは。マレー諸島の王様と知り合いになったこと、ある芸能のある島に外国人としては特別に入ることのできる許可を得たことなど、精力的な活動自体はあいかわらずだ。

言語学会にはどうしていつも変な女性がいるのか。前回の時もおなじような人がいた。「この本はページ数のわりに高いので、ひとこと文句を言っておく」何様だ?本を出す力のない人ほど、理解できないことをいう。女性に多いのはなぜだ?症例は2名のみ。そういう人は買わなくていいんだけどね。

帰りに日比谷の画廊を訪れる。素敵な絵。しかし、いけない癖であるが、社会史的な思考が働いてしまった。絵画を自分の内に置くためには、それなりの居住空間が必要だ。そういう生活をしていないことに気が付かされる。また、絵を所有すると言うことはどういうことなのか? 本を作る編集者は、すばらしいものであれば、それを共有できるように本にしたいと思う気持ちが起きる。でも、絵は、その絵がすばらしいと思ったとき、買ってそれを自分の家に置くことになる。自分は見ることができるにしろ、他の人はみることができない。

パトロンというものは、一人の個人を支援するものだとすると、そのこと自体は、公共性というものとは無縁なのか。博物館や図書館へのパトロンシップは、公共的で、個人に対する支援は、あくまで私的なものなのだろうか? よくわからない。

目録を作るのに、午前様になってしまった。何度見ても不備がある。このあたりで、手を離さないと・・・。

2000年6月22日 図書館の公共性

『図書館の学校』の7月号に根本彰さんの論考が載っている。その中に、とても共感できる文章があった。根本さんは貸し出しサービス中心の日本の図書館のあり方に、深い疑念を呈し「貸出を通じたサービスを重視しているのは一部の国であり、貸出が多くなると公貸権のような著作者への損失補填を考えるような事態が生じるということである。「貸出はおおいほどよい」という論者たちは公共図書館の公共性をそこまで突き詰めて考えているのだろうか」といい、「わが国においても、貸出を中心とする資料提供の考え方だけでは公共図書館の公共性は確保できないということである」。

しかも、これは電子図書館にも通じる議論である! 青空文庫も結局閲覧を最優先してしまった結果、現在の公共図書館と同じ過ちにおちいってしまっている。私は、青空文庫をLinuxがUNIXの互換OSであることにたとえて、現在の公共図書館の互換OSと述べたことがある。せっかくあたらしいものを目指しているのに、目指す先が現在の図書館の貸出主義だとしたら、悲しい。図書館も公共と名乗る以上、作り手に対する損失補填もっと積極的な言い方をすれば、作家が再生産できるような仕組みを持つ必要があるということだろう。

ここで、重要なことは「無料」ということは、公共性の原資ではないということである。無料だからFREEだから、公共性があるということは、単なる貸出中心主義にすぎない。無料が公共性を阻害することもあるということである。その点は根本さんのことばを繰り返したい。「「貸出はおおいほどよい」という論者たちは公共図書館の公共性をそこまでつきつめて考えているのだろうか」ということだ。これはいろいろなことにいえる。新しい公共性は、貸し出すことだけではなく、作り手を再生産すること、育てることこそに求められるのではないか。それを「進化する図書館」というテーマで考えていきたいと思っている。プレページはここ。

誤解のないように急いでつけ加えると「公共図書館の役割も、時代と共に変わる必要があるのではないか?」ということであり、青空文庫をはじめ、さまざまな電子図書館を批判したいのではない。新しい図書館の公共性をともに考えていきたいという事である。(もんじゃさんのご指摘で書き直しました。もんじゃさんにお礼申し上げます。「公共図書館の役割も、時代と共に変わる必要があるのではないか?」はもんじゃさんのメールにあった言葉です。)

2000年7月2日 6月最後の週

今週は、やたら、忙しくでも、面白い週であった。

26日(月)

通産省の外郭団体によるデジタルコンテンツ支援事業の応募の説明会。かなりの社が出席。大阪大学の臨床哲学の院生のKさんにも出席してみたら、と言ったが。申し分けなかった。本当に作り手を支援する気持ちがあるのだろうか。結果として、不充分なことしかできないような気がする。というのも、助成が決まるのが9月でそれから、翌年の2月までにコンテンツをつくって出さないといけないからだ。これで、きちんとしたものができるとは思えない。

ただ、私は、できれば、500万円くらいはもらって、臨床哲学サーバーを作りたい。500万というのは、決して大きな額ではないが、本のサーバーを作るためのスタートをきるための資金にはなるのではないか?できれば、N社などが製作を支援してくれるとありがたい。

火曜日

言語学出版社フォーラムでのフェアのために紀伊国屋書店に行く。店長のIさん、専門書担当のTさん、フェア棚の担当者の方と会い、打ち合わせをする。その時に後日、ウェブ担当のOさんとも打ち合わせをすることにする。

木曜日

ウェブ担当のOさんと店長のIさんとで打ち合わせ。紀伊国屋のBOOKWEBは、現在、オンライン書店のナンバーワンなのであるが、バックヤードでの配慮についても聞く。「本は届いてあたりまえなんです。」という言葉がすごい。これからBOLやブックワンが活動を始めるが、どうもお手並み拝見という感じであった。別にそういう発言をされたわけではない、私の印象。経験に裏打ちされた自信だろうか。

夕方には書評のインフラを作るための企画書をチェックしてもらうために千駄ヶ谷のKさんの事務所へ。

金曜日

角川書店の出版インフラを作るためのファンドに申し込む。今週は、これがたいへんであった。その後、公立図書館のYさんに会う。私は、『図書館の学校』に載っていた根本さんの記事がとてもおもしろかったのだが、図書館に勤めている身からするともう少し正確に言ってほしいし、貸し出しサービスとリフェランスを対比的に語る必要はないのではないかとのこと。確かに本を貸し出せないようなところに人は集まらないし、リフェランスサービスを受けようとは思わないだろう。

その後、8月に行う鼎談のためにアゴラ劇場へ向かう。稽古場で、ダイレクトメールの封入作業を行っていた。ひつじも来週、ダイレクトメールを出すので、勝手に親近感を持った。

夕方から、ポライトネスを研究されているUさんと食事をする。博士号をとったところなので、お祝いを兼ねて。また、博士号をとったらいろいろ企画をたてようという話をしていたので、その件についても相談する。

土曜日

投げ銭の初期の賛同者Gさんと梅田で会う。フリーマーケットにも書いているUさんもいっしょ。Gさんが、投げ銭の掲示板を作ってくれるとのことなので心強い。敷居の低い声の集まりやすいものにするつもり。

午後は、大阪大学の臨床哲学研究会に出席。『うるさい日本の私』でも、有名なカント学者の中島義道さんの話を聞く。講演の題は「哲学のある教育━対話のある社会へ」であった。私はこのところ対話ということについて考えているので、興味があったのだ。中島さんは怖い人かという先入観があったのだけれども、不思議な方だった。議論が白熱したが、私は看護士をやっていたNさんの発言に共感した。中嶋さんのシェルターのような哲学塾は重要だが、私にとって、カントとか哲学者のテキストと向かい合うということが救いとは感じられないので、そこはシェルターにはなりえない。

また、社会化しない子供の感性あるいは社会化しない哲学の感性ということも私にはリアルではない。それは別に私が強いからではない。私は、違う何かを求めている。それは、何だろう。中島ファンの同調する視線が少し気になった。

日曜日

メールの整理と『認知言語学の発展』の準備のために事務所に出る。

2000年7月5日 はじめてのFLASH

Tさんに作ってもらったFLASH。というか、swishですな。私は、FLASHを書籍のプロモーションに使う予定。それと文字が動く本を作ろうとすると現状ではFLASHということになるのではないだろうか。本当は一文字ごとに操作できるとよいのだけれども。

2000年7月15日 みたま祭りのお化け屋敷

7月10日(月)

アルバイトの面接。大学1年生の女性。来週から来てもらうことにする。Nさんに進めてもらっている『日本語の情報構造と統語構造』を責了にする。Nさん、ありがとう。あまりに酷い赤字の絨毯爆撃であったが、福井にある先生の大学まで、新幹線で行ってもらって、やっとどうにかなるようだ。私が担当なら、正直のところ、切れていただろう。

7月11日(火)

アルバイトの面接。大学2年生の男性。夏はこれないそうで、秋から来てもらうことになる。4時に千葉大の園芸学部へ。『子どもはどこで犯罪にあっているか』の著者の中村さんに会いに行く。この日より、BK1で私のコラムが掲載。田口ランディと同じ本だった。中村さんとの会見の内容をテキストにする。

7月12日(水)

宇佐美まゆみさんの紹介の東京外国語大学の院生のEさんに会う。知のデータベースを手伝ってもらうため。Iさんに簡単なレビューをしてもらう。『認知言語学の発展』の索引作りをする。夕方から、今度作るR大学の教養課程のホームページを作る実務的打ち合わせ。

7月13日(木)

『認知言語学の発展』の索引作りを続ける。娘の友達Rちゃんが事務所へ。彼女は、絵が上手だ。『認知言語学の発展』の索引が出来たので、坂原先生に送る。

7月14日(金)

『認知言語学の発展』の奥付け作り。娘が、Rちゃんの家へいく。その後、夕方から、靖国神社のみたま祭りへ。私は、「本の学校in 東京」の打ち合わせで、こんにゃくやさんの栄屋へ。私は、テーマはクラッシュだと力説するが、読書の多様性というテーマになるもよう。「クラッシュ」をテーマとした分科会をやるべきか。

Hさんに、書評のマーケティングをするべきだと言われる。上手く回答ができない。

7月15日(土)

娘の幼稚園で縁日をやる。小学生1年生が店を出して、幼稚園児が買いにいくという設定。2歳しか違わないはずなのに、小学生がずいぶんしっかりしているのに驚く。午後は、お蕎麦を食べた後、靖国神社へ。昨日はお化け屋敷の前で、癇癪を起こしたという。今日は大丈夫であった。その後、丸の内で「カードキャプターさくら」の映画を親子3人で見る。妻は感動したという。危機を救うためには、「今一番大事に思っている気持ち」を失わないといけない。主人公のさくらちゃんを好きな男の子の気持ちが奪われてしまった。ところが、彼がさくらちゃんを思う気持ちは永遠の気持ちだったので、大丈夫だったのだ。私は、期待したほどじゃないといったら、男の子の純な気持ちが無くなったからだと言われてしまった。確かに、最後のシーンの意味は妻に言われないと分からなかった。

その後、有楽町でイタリア料理を食べて帰る。

7月15日(日)

Hさんに上手く回答ができなかったので、一目でみて、分かるように図案化する。イラストレーターで12ページ作った。集中して、やったせいか、2時間くらいでだいたいできた。一晩おいて、作りなおすことになる。

書評の組織を作るのは、本が売れていくということを目指しているだけではなく、知的な循環を作りなおすためだ。この課題は、本が売れるということがビジネス的な意味付けをしやすいのに対して、インフラの問題になってしまい、ビジネスという視点からすると整理が付きにくくなってしまうという問題点を抱えている。チケットを売りやすくするビジネスというのは、わかりやすいが、映画を再生させる仕組みと言われても、簡単にはわからないだろう。

大学から、市民生活から含めて、その全体を再生させようと言う意図がある。これはビジネスではなくて、生活そのものである。けれども、そこまで考えることに意味があるわけだから、どうにかして、安易な道としてではなくて、説明可能なものにしていく必要がある。

今までのことばではとらえきれないことだ。でも、簡単なことなんですけど。そこがとても難しいところなのだ。BK1は非常に丁寧にがんばって作ってはいるが、それは、知を新しく産み出すというよりも、今まである本の紹介であり、今までの本のイメージからでてない点では、まだまだだと思う。ビジネスモデルとしてはそれなりに正しいのだろうが。やはり、違うところからはじめないといけない。そういえば、鷲田さんの『聴く力』に載っていた写真を撮っていた植田正治がなくなり、鷲田さんが桑原武夫賞を取った。

2000年7月19日 書き手のための投資

優れた書き手がいて、取材や調査が必要である場合、その書き手に経済的な支援をする方法がないかと思っている。音楽だとプライエイドが、音楽プロディーサーに投資をする仕組みを作った。音楽業界の中でも突出した試みであると思うが、本の場合にそれができるか、その困難な点はどのような点だろうか

  1. 音楽業界が、ハイリスク、ハイリターンであるのに対し、出版の世界は、ほとんどちょぼちょぼリスク、ローリタンであることから、投資という感覚になりにくい。賭ごととしての魅力に欠けると言い換えても良い。
  2. 音楽の場合、一定の期間専属契約と言うことがあり得るので、投資が有効である。投資したからには、その内容を必ず本にしないといけないということがいえるか? これは言えると思うが、本を売った利益というものが、投資を上回って回収されて、利益を新たに産み出すということが、想像しにくい。単なる取材費を提供するということとその書き手に投資するということの違いが上手く整理できない。
  3. これは、出版界がナスダックのようにブレークする仕組みを作らなかったという構造的な欠陥でもある。
  4. もし、書く内容が、公共的なものであるとして、公的に総体的に支援する方法があまりない。ジャーナリストのための助成金などは、ほとんどないのではないか。必要性を認識されていない。
  5. 書き手の経済的な困難さに対しての想像力が、読者の側にはない。一般に本を書くような人は成功者だと思われ、サラリーマンよりもよほど大変だとは思われていない。これは、芸術家への無理解とほとんど同様である。
  6. 文化的な資本という考え方がそもそも受け付けられない。文化の全般的な状況と同様で貧困な状況である。

どうして、読者に書き手の存在というものが、理解されない状況になってしまったのか? 私は、自己犠牲によっていきることに酔い、自分の善意を疑わず、経済的なサイクルを、下世話なこととして、きちんと見据えなかった過去の出版人を恨む。読者へ説明する回路をなぜ遮断してしまったのか? 空白の読者しか、相手にしてこなかったからではないか。空白の流通と空白の読者・・・。空白の出版社ということだろう。

2000年7月20日 configureが上手くいかない

海の日に、事務所に出ているわけだが、たまっている仕事を少しでも前にとやっているが、気分転換のために、sqlというデータベース言語をサーバーにインストールしようとしてみたが、うまくいかない。どうしてなんだろうか?

mysqlについて

2000年7月21日 共産党にはなりたくない

出版界は、現在、クラッシュのまっただ中にいるという認識をもっている。いわば、出版界の総戦線は、あちこちで敗退に継ぐ敗退を重ねている。どうにかしないといけないという危機感がある。でも、きちんとした敗北宣言、正しい戦後を作ることができるのだろうか? 沖縄の敗北、人々の虐殺。東京大空襲。広島長崎。そんなものがないと、この業界は気が付かないのだろうか?

善意のものが集まって議論をするだけでは、戦争中の共産党と同じだ。言っていることは正しくとも、戦争をくい止めることもできなかった。せめて、この敗戦を早く終わらせる方法はないものか。

2000年7月23日 佐藤信の悲哀

ネネムの伝記を世田谷パブリックシアターで見てきた。娘と妻との3人でである。演出家は、佐藤信で、40歳前後でないと知らないかも知れないが、黒テントの主催者だった人だ。恥ずかしながら、赤テントは見たことがあるが、黒テントは見たことがなく、大学で狂言をやっていた時に、能楽師の浅見さんが能の舞いをやるというので見に行ったくらいだ。その時はたいした感動がなかったような気がする。

ネネムは面白かった。勝手に黒テントのエッセンスがあるのではないか、と思うのだけれど違うだろうか? いろいろな出し物は特に面白かった。それは、結城座の面々の人形劇や、頭に提灯をつけての踊り、ドイツのお祭りに出てくるような、棒の先に面白い様々な形がついたものを振り回したり、まさに「カーニバル」「見世物」「キャバレー」といったものが次々に出てくる。

しかし、原作の宮沢賢治のストーリーがそうなのだろうが、主人公がショキになりに、街へ行き、学校に行って、博士に見出されて、サイバンカンになるというのは、どうかならなかったのだろうか? (これは文学部的で別の次元で感動してしまうのだが)ショキは書記でであるのだろう。ものを書き留める仕事。それにあこがれて街に出ていくという設定。宮沢賢治は戦前である。それを1960年-70年代に活躍した佐藤信が、その設定を変えないでいいという不思議さ。時代と切り結ぶパワーを失ってしまったのか。教育の最前線の問題が、しがらみからの開放ではなく、コミュニティの再生になってしまった現在、ピントがずれている。

どうも教育劇くさいんだよなー。私は、ここに啓蒙の限界を見る。下の階のTUTAYAにこれでは、対抗できないだろう。佐藤信は、本当に街にキャバレーがあり、見世物小屋があり、白夜の夜の街の祭りがあり、見世物小屋が本当にはないことを悔しく思っているだろう。そういうものがあれば、知的な営みがリアルになりうるから。でもそうじゃないんだ。芝居全体が、見世物小屋になった赤テントの方がいさぎよかったといえるのではないか。

2000年7月28日 返品に怒る

本州の西の方の書店から、電話があり、『テキストはどのように構成されるか』を返品したいとのこと。われわれは直ぐには引き下がらないので、どうしてなんでしょうかと尋ねたところ、読者が、タイトルをみて、注文をしたが、読みたい内容とは違うということ。書店さんが困っている様子だったので、返品を受けることにしたが、非常に腹が立った。まず、我々でもジャッケット買いやタイトル買いをする。しかし、返品するということはない。大学の先生の中にはまれに、そういう普通の倫理がない人がいて、書店もそれを当然のこととして(困りはするだろうが、コストも出版社に負わせて気軽に)それを受けてしまう。もう一つ。この本はハリデイの古典の翻訳である。この原著Cohesionを知らないとしたら、この先生が、何十年も何も勉強しないで、税金の泥棒として、生きてきたことになる。しかも、悲しいことにその人には学者としての内容は全くないということになる。しかも、訳者の安藤貞雄さんは、英語学をやっている人の中では知らない人はいないという有名な人である。いったい、この人はどういう人生を送ってきたのか? プロフェッショナル泥棒?

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