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昨日、自転車で帰ったとき。赤信号。男の子とと女の子が信号無視をした。そのことはいい。だが、バイクが来た、青信号だから。ところが、男の子と女の子は、きちんと避けないで少しだけ後ずさりをした。バイクは止まった。
「赤信号だから渡らないと言うこともないよねえ」と男の子。
「そうよねえ」と女の子。これは日常的な普通の風景だろう、今の。
彼らは別にものを壊したり、人を殴ったりするわけではない。普通の若者だろう。でも、私にはそのことが恐ろしい。何を言いたいか、お気づきだろうが、若者はわからない可能性が高いので説明しておこう。
赤信号が問題なのではなくて、注意をしないで渡ってしまうこと、が問題なのだ。赤信号で渡るのなら、青信号で渡るよりも5倍は注意して渡る必要がある。それが「自己責任」というもの、あるいは「保存本能」と呼ぶべきものだろう。それがナイということ。しかも、その若者たちはそういう自分であることに気が付いていない。若者は、自分が車にひかれてしまったら、ひいた人に一生十字架を背負わせるということに思いが行かない。
また、そういう若者だとよその他人が気が付いたとして、何か助言できるだろうか。できない。学校で言えば「あなたには関係ない。自分が怪我をするだけだから」といいかえされるだろう。学校は、実は「自分で自分に得をするように勉強する」「他人の迷惑にならない」という二つの原則しかないから、「勉強するために先生のいうことをきく」ということがなくなってしまうと、他人のいうことをきく必要がなくなってしまうのである。
学校では、人の道は教えることができないということである。残念ながら、学校で教える道徳は「国のために役立つ」「国の経済の発展のために役立つサラリーマンになる」ということしか、基盤がないのであるから、人の道を教えることはそもそも不可能なのだ。立身出世と国家主義は兄弟だから、『国民の道徳』などということをいうのなら、出世主義を復活する必要がある。バカだなあ。
では、どうするかというと私は世間の再構築しかないと思う。世間は、実際にいきる経済的な基盤に基づいていた。だから、強制力があった。(よって嫌がられたともいえる)世間の再構築のためには、職人の生き方を見習うしかない。職人は教育課程に置いては、「俺の言うことが正しい。」「俺が自分の時間を割いて教えているのだから、俺の言うことを聞け」「俺が認めなかったら、職人仲間の中で認められることはない」という前提があるから、きちんときかないとならない。こういうことは、学校にはないのだ。さらに、生きていくのも職人の技で生きて行くから、技を磨く必要があり、さらにお客さんに技を理解して買ってもらう必要がある。
私は、学校はもうダメなんじゃないかと思う。学校だけではない、そんな若者を作ったのは家庭である。家庭が単なるホテルになってしまい、生活の場所ではなくなってしまった。つい先日も、若いお母さんが、信号が点滅しているところを横断歩道を赤ん坊を抱えて渡っていった。広い通りを点滅し始めたときは、まだ、渡りはじめて間もないところにいたんで、私だったら、渡らないで少し引き返して待っていただろう。子供を抱えて、転んだりすると思わないのだろうか?自分が守られているという過信?その過信はどこからくるのだろうか?信号が点滅しているのに、車を気にしないで悠々と渡っている人というのは、年齢を問わずに多い。車に乗っている人のことも思わないのだろうか?彼らに子供が居るとして、子供に「保存本能」について教えると言うことは不可能だろう。
共同体の論理という言葉は使いたくないが、せめて職人の倫理とか世間の再構築、再発見ということをいいたい。ところが、中年以上の人は、共同体が壊れて良かったと思っているだろう。共同体を否定するのはいい。しかし、それに変わるものを作らなければ、倫理もルールも存在しようがない。そのことをきちんとやらなかった世代に対しては、私は、無責任だといいたい。
追記
雨降りの今日、アップした時にふと思ったのだが、雨降りの日には信号を無視する若者はいないようだった。ということは、安全度の足切りを若者達はやっている可能性がある。一定のレベルまでの危険性は、無視するようにインプットされているのではないか? 子どもの頃から、車に取り囲まれて生活してきた彼らは、ある水準以下の危険性については無視するようになっているのではないか。そうではないとストレスがたまってしまうから。と考えるとこれは教育の問題ではなく、またちょっと複雑になる・・・
「本の学校」というものが、出版・書店・図書館の業界を横断するオープンな集いとして、昨年まで5年間米子で開かれてきた。本年は、東京の神保町で10月28日(土)に開かれる。その打ち合わせが、偕成社で開かれた。今のところの概況はここ。
コミュニティの未来デザインということで世田谷のキャロットタワーで開かれたシンポジウムに聴衆として参加した。10日の会は「地域コミュニティにおける協働のデザイン」ということがテーマであった。
建築士である片桐さん、習志野市の秋津コミュニティ会長で、小学校の中に地元の人々のカルチャーセンターを作っている岸さん。地域の人々が小学校の空き教室で、歌を歌ったり、楽器を練習したり、様々な活動も行い、老人が主催している会であっても子どもが参加したり、という凄い活動をやっている。さらに、多摩地区のコミュニティ誌を編集している森川さん、LETSなどの地域通貨を研究し、実際に実験もしている西部さんらがパネラーで、函館で地域のポータルサイトを作るなど、地域とインターネットをつなげる仕事をしている渡辺保史さんが司会・進行役であった。
10日のテーマは「地域コミュニティにおける協働のデザイン」ということであったが、実際にはともに働く=協働という点は議論されなかった。地域の中で生業を立てることをどう可能にするかという視点はなかったといってもいいだろう。この点では物足りない点があったといえるが、全体として面白い集まりであった。
メンバー的にいっても、習志野市秋津の岸さんの地域には、地元の商店街はないということであったし、岸さん自身は、地元に仕事を持っているわけではなく、仕事自体は水道橋で、「多摩ガイド」の森川さんの地域は南大沢という都立大学のある場所で、都心に通勤する勤め人の街であった。(買い物に行くにしろ、車ではないと難しいという場所だと言う。)北海道大学の西部さんは、経済学者という立場で、デザインに関わる立場で、大学の先生であり、地元の産業に従事しているというわけではない。
繰り返すが、それぞれの話しは面白かったが、議論の中心は生業をもつものではない人間としての地元住民ということなのだろうか。森川さんの話の中に地元の酪農家の話しがでてきたが、彼らはどうおもっているのだろうか。SOHOとして、地元商店街としてということになると別の視点が必要なのかも知れない。生活者という時、消費だけではなく、作り手、サービスの提供者としての商売ということも重要な要素になってくるはずだ。西部さんは、実際には商店街と連動した地域マネーの実験にも加わっているということであり、私としては商店街の人の実際の体験を聞きたいと切に思った。
これは批判ではなく、生業ということに強く関心を持っているから思うことである。さらに、出版というものが、生業として、地元に根付くということが可能なのかという点にどうも自信が持てず、思案しているからである。さらに、千代田区という都心で、住民と勤め人が混在している場所に住む人間として、自分でもどうとらえていいのか、分からないことだらけだからである。
余裕があれば、私の勝手な感想ではなく、概要を報告したい。
概容を簡単にメモのまま提出します。ここ。
『認知言語学の発展』をやっと刊行した。1997年には原稿を頂いていたから、3年越しということになる。ひとえにひつじ書房側の怠慢によって遅れてしまったということだ。編者の坂原先生をはじめ、執筆者、翻訳を担当してくださった方々には多くのご迷惑をお掛けしたことと思う。お詫び申し上げたいと思います。
この3年間は、ひつじにとっては、非常に苦しい期間であり、本の作り方についても試行錯誤を続けているが、いくつもの失敗を経験した。この3年間は、新人を育てて、DTPをマスターしてもらいながら、本を作るということが、かなり難しいと言うことを経験した時間であった。相性もあるが、大学を卒業して、学生ではなくなって、仕事を修得するということ―一人前になること―は、非常にハードルの高いものであることを知らされた。ひつじだけではなく、出版社にとって、さらには小さな規模の企業にとってこれは共通する課題であるようだ。結果的に、友人である編集者のNさんに編集のほとんどとお願いし、組版については三美印刷さんにほとんどお願いするということになった。全体的に見ると今度は成功しそうである。
さて、「たの言語学」の原稿が入った。前回の「もの言語学」は、ベトナム語も混じっている多言語であるため、社内で組んだが、今度の「たの言語学」は三美さんにお願いすることにした。前回はマック版のページメーカーであったが、今回はウィンドウズ版のページメーカーを使うことになった。マルチリンガルという点では、国産のDTPソフト、写研などの電算写植機もやはりだめなようだ。この点では、日本の組版機械は、全然進歩していないことになる。さらにいえば、活版の時代であれば、組めたわけで、後退しているということになる。
この本は、筑波大学の青木三郎さんが編者だが、青木さんには「エクササイズ言語学」という教科書もお願いしており、こちらももうすぐ原稿をいただけることになっている(はずだ)。なかなかユニークで面白いテキストができてくることを期待しているし、期待に違わないものができるだろう。
話しを戻すと『認知言語学の発展』は、たぶん、私自身がDTPをやる最後の本になるだろう。私が本作りを行うと、雑用が横から入り、本の進行がとまってしまう。一回、中断すると、再開するのが、非常に面倒なことになる。自分で組んで自分で赤字を入れるから、普通以上に時間を掛けて慎重に進めないと危ないことも出てくる。他人の目を自分で意識して作らないといけないからだ。突進していくということができにくいので、さらに時間がかかってしまうことになるわけなのだ。
今回、海外の出版社に翻訳の権利を取るために何度もメールのやりとりをしたり、なかなか大変であった。翻訳なのに許諾のところにreprintと書いてあって、translation rightを交渉しているのだと聞くと、? という返事がかえってきて、reprintということで、翻訳も含めているのだと言うことにやっと気が付くとか、そんな手間をかけながら、やっとの思いで作った。手際をもっとよくしないけないということだろう。
先日、書いたブックカフェについてジュンク堂の福島さんと元作品社の小林さんと会った。その時のことを、福島さんが書いてくれている。これはなかなか力技ではあるが、どんどん進めていきたいと思っている。賛同してくれる人は松本までメールをください。福島さんは京都にある人文書院のホームページに連載を持っている。ここ。
9月19日 コンテンツアイディーフォーラム 映画の編集者掛須さんの話を聴く。
9月20日 日教販の戸田倉庫にいく。紀伊国屋本店で開催される言語学フェアのための準備に。日教販の関根部長、紀伊国屋書店の担当の田中さん他ありがとう。この日藤井さんの研究社退社の話を聞く。ショック。
9月22日 出版敗戦の会、小田さん他来社。
9月23日から25日 家族で山梨の貸別荘へ。学生時代からの旧友、城倉氏(「サンデー毎日」)の家族と山梨在住の河西氏といっしょ。松本一家は、2連泊。近くの草原がすがすがしい。オーナーの話によるとそこの別荘地は、戦後は開拓のために一面畑であり、彼らが住んだ頃は、下がずっと見渡せたとのこと。現在、いかにも別荘地の風情で生えている樹木は、実はここ10年くらいに育ったものに過ぎないらしい。風景もそんなに簡単に変わり、人の幻想を産むものなのだろう。明治神宮の話しを思い出した。(明治神宮の森は人工的に作られたもの。前は、単なる平地だった。)とともに、日本の自然の回復力(成長力?)のすさまじさを思う。
9月25日 信用保証協会のSさん、来社。感触はよい。上手く行けば、10年間借りることのできなかった手だてができることになる。
9月26日 現在、作成中の立教大学の全カリ(全学共通カリキュラム)のホームページのための取材に桝谷先生の授業をビデオ撮影。
9月27日 朝日新聞の矢野直明さん来社。
9月28日 松本で高校の先生をしている林直哉さん来社。林さんは、高校の放送部の顧問をずっとしていたが、たまたま松本サリン事件の時に近くの高校にいて、生徒ともに事件を取材したりすることから、取材者への取材までを行う中で、メディアの問題に生徒ともに気が付き、さらにそれをも番組に自分たちで作ってしまったという人。夜は岡部一明さんの講演会。図書館関係者が来てくれたのがありがたい。司会がどうも下手だ、反省。根本的に自分を改造しないとならない。
10月1日 小学校と合同の娘の運動会で走る。午後からJCAFEの理事会、岡部さんと大林ミカさんと加藤さんの講演会そして懇親会。せんだい・みやぎNPOサポートセンターの加藤哲夫さんの話に感動。「空き缶を拾うのは市民の権利だ」私はこれだ!と思った。中島義道さんにないのはこの視点なのだ。これについては、BK1に中島さんの議論と絡めて、加藤さんの本を紹介することにする。やっとことばに近づいてきた。
10月2日 鷲田さん、平田さん、崎尾さんの鼎談2回目。これで終了。全体として面白いと思うとともに、編集する私の力量が真に問われるものになるだろう。崎尾さん紹介の下北沢のピザ屋さんが秀逸。
10月3日 立教大学の取材本番。学生さんがいろいろ協力してくれたことに感謝。授業後のインタビューも素直な本音が聞けてこちらも楽しかった。
10月4日 NTTから、共同出願していたビジネスモデル特許の出願が終了したとの連絡。3つ出願している。一つは、書評と購買をリンクして、読書のコミュニティを作りながら、本を販売していく仕組み。二つ目が、本のオークションの仕組み。ITを使って、読者・書店、出版社が大量のアイテムを複数の条件で、競り合っていく仕組み。最後が、複製した時に著作権をカウントして、著作者にフィードバックしていく仕組み。これが通ったら、妻の祖父の墓参りをしたい。祖父は、赤外線ヒーターや水銀灯の特許を持っていた実業家、技術者、発明者であった。
信用保証協会からオーケーがでる。保証協会は、書類主義で、書類に不備があると貸してくれない。ひつじは初期の5年間、私が決算の書類を作っていたため、不備があり、そのせいで、ずっと書類ではねられていた。銀行が融資をする場合、自己責任ではなく保証協会の保証を条件にさてしまう。したがって、ここの保証がおりないということは借金ができないということなのだ。それがクリアされたことは、事業を続けていくために大きなプラス。今回は、500万円を借りて、ひつじが苦しかった数年間、お支払いできなかった印税をちゃんとお支払いしようというもの。
10月5日 言語学出版社フォーラムで紀伊国屋書店の海外事業部へいくはずであったが、棚卸しの作業がのびて行けなかった。海外で言語学フェアをやろうという話だったそうで、出席した方々は、興奮気味。その後の藤井さんの門出を祝う会には出席。大修館の青木さんはじめ、いろいろと尽力されたが、10月末退社はかわらないとのこと。残念ではあるが、藤井さんは奇跡の人だから、がんばってもらいたい。
10月7日 6日も行ったがアルバイトの面接。立教大学の1年生。今年はどうなるだろう。他の日も入れて、全員で5名と面接。
10月9日 猿島のHさんの実家へ。本を預かってもらっているが、足りなくなった本を取りに。動かなくなった本は、ほとんど動かないので、5年前から置かせてもらっているが、ほとんど取りに行くことがない。
10月11日 今年はなんだか書協の委員になってしまうことが多い。この日はデータベース委員会。新潮の社長の佐藤さんが、委員長。私よりも5つくらい年上か。
なぜか、書協の委員会の幹事に二つなってしまった。データベース委員会と著作権・出版権委員会である。前者は、打診もあり、心構えがあってなったのであるが、後者は、委員会には申し込んだものの、幹事になるつもりはなく、なってしまって、ギャーとなったのである。私と妻でやっている出版社としては、二人の内の一人が仕事もしないで、儲けもない仕事を引き受けてはいけないはずのものだから。業界のためなんて、そんなことをしている暇はないはずなのだ。そんなことをやっているのなら、ちゃんと本を作れとお叱りの声が飛んでくるであろう。申し訳ない。
しかし、まあ、でてみて、驚いた。特に後者。うーん、これはちょっとまずいのではないかと感じてしまったし、会議の席では、かなり大声をだしてしまった。だって、ねえ。ある図書館が、コピー機を館内にセルフコピー機として設置し、コピーについては図書館では関知しない、コピーするのは個人でするのだから、私的利用であり、何ページコピーしようと勝手である、という方針を打ち出してしまった。まあ、本を借りていって、近所のコンビニのコピー機でコピーするのと同じだ、とその図書館の人は言うのかも知れない。でも、そりゃないぜ。
で、問題は、私は文書で抗議するのに加えて、その図書館に出荷しないことを提案します、と私は言ったそのあとである。
「それは本質ではない。31条を30条として解釈する法律の問題だ」
「他の書店で買われてしまうから、効果はない」
「入荷しなくても国会図書館で借りることができるから、効果はない」
すごいことをいうなあ。驚いてしまった。入らなかった本をみんな国会図書館から借りてくるとでもいうのだろうか? 出入りの業者を変更することがどれだけ実務としてたいへんなことかがわからないのだろうか? 図書館は書店から、定価ではなく割引値段で入れている。それを他の書店にいちいち交渉して入れてもらうようにすることがどれだけ、労力を要することだと言うことが想像できないのだろうか?
想像できないとすれば、本は、出荷してしまえば、水のように、あるいは電気のように届くとでも思っているのだろう。本を実際に売ったこともないし、図書館で本を借りたこともないに違いない。国会図書館ではなくてもよその図書館から借りてもらうのは手間だし、返却時に、借り元の図書館にきちんと返すために窓口で確認するためにポストに入れられないので、窓口で返さないといけない。その時、市民は尋ねるだろう。「本が入っていないし、どうしてそんなに面倒くさいのか」と。図書館員はどうこたえるのだろう。そういう実務上のやりとりが、反省を呼び起こすのだろうと私は思うのだけれども、大きな出版社にいて、著作権担当などの地位にいるとこんな仕事の初歩の初歩のこともわからなくなってしまうのだろう。
ここで、おそるべきことは、本を作って売るという基本がわからなくなっているような人が代表で派遣されてきてしまうような出版社の仕組みだ。そういう人が、それなりの地位にいてしまうということである。これは、社会の構造的なものだろうか。
出版界の問題について、これまでいろいろと指摘してきた都合上、若干の責任はあるだろう。訴えるべき場所にでることができる機会を得たののだから、そこでは最大限訴えていかなければならない、とまあ大げさなことを考えるわけだし、ほとんど黙っている零細企業の立場をきちんと述べていくのが、私の使命かもしれない。多くの零細出版社は、そんなことをしても感謝も感じないだろうが。でもまあ、私は私のためにできる範囲でやる。
ここで黙っていたら、敗戦の時に責任をとらなかった私たちの祖父の世代と同じだ。
ショックを受けた理由は、20年選手、30年選手のベテランであるべき人が、仕事の基礎力をもっていないということだ。今年春に新人が退社してしまったあとに以下のように書いた。
話は戻るが、学生から社会人になって、仕事ができる一人前になるということは、かなり、たいへんなことだ。仕事というものがどういうものなのか、お客さんがいて、著者がいて、流通業者がいて、外注先がいて・・・。それがどういうふうに経済的に、仕事の上で結びついているのか、そのことだけでも、1年はかかるだろう。<もとの文章はこちら>
仕事ができない段階の新人とどこが違うだろう?仕事がどうやって回っていくのか、そういうことは基礎であると思っていたのだが、そうではないままに、あるいは途中でそうなっていくのかもしれないが、基礎力がない、あるいは失った人々が、会社の中堅になってしまう。しかも、権限と業界内の内輪の評価だけは付いてくる、基礎力がないのに。これでは、出版業界の自己改革というものの可能性はゼロに等しい。特に50代の人々については。ここでも田中康夫ショックが必要なのか。
本の学校 in 神保町が終わった。不慣れな司会も、あまり出番がなかったので、ぼろが出ずにすんだ。全体の会は盛況であり、私の担当した分科会2も80名近い参加者がくるなど、たいへん盛況であった。内実は、予約者のうち20名ほどがこなかったのだが、当日の方が24名ほどいたため予約者の人数を上回る参加者となった。
しかし、思うのだが、主婦の友の会館でやったにも関わらず、主婦の友の編集者、営業担当者はゼロであったし、いわゆる大手の出版社の人、特に雑誌などは皆無だった。これはどういうことか? 本をめぐる日本で一番重要なシンポジウムであるにもかかわらず・・・。
つまり、まあ、業界的な現状を表していると言っていいだろう。自分たちのよって立つ場所について関心がないのということだろう。私の分科会でも、文芸誌関係の編集者がきてもよかったのではないかと思うが来ていなかった。司会をしていて、余裕が無くて、来られた方々に挨拶が出来なかったことは残念であったが、デザイナーのNさんが来られていて、妻がかっこいいロマンス・グレーの紳士だったといっていた。そんな感じで、フリーの立場の人は、自分の足で立っているが、そうではないひとは、歩いても来れないということなのだろうか。
あるいは、出版というものが、分解していく、当然と言えば当然だが、それぞれの出版があるというようになっていく、それは出版Aとか出版Dとか、出版Xとかそういうことになるのかもしれない。さて、どれが生き残るのか、それは今の段階では分からないことだろう。だが、足下も見ないで、いる連中に一泡吹かせてやるべきだろう。
とかなんとか言っている内にアマゾン上陸した。みたところ、インターフェースも奇をてらったところはないが、でも、私は外見だけでいうとBK1よりも、好感をもった。変に文学に偏っていないし、吉本ばなながトップにでていないのはよい、軽い。うーん、BK1は苦戦するかもしれないというか、危ないのではないか。
というのも、アマゾンにはインターネットショップというスタイルがあるように思うが、BK1にはそれがないだろう。両方とも深みがないという点では同じだが、データベースを駆使しているという点では、アマゾンの圧勝だと思う。それは本がでているところに、必ず、紹介がいちいちついているところだ。つまり、そこで、書評ではなくても、簡単な解説でも、それを読むだけで、ブラブラできるのだ。本当は、BK1がねらったはずの、立ち寄り客を吸い込める方法になっている。
その今日、鈴木書店の小川町の仕入れは最後になった。デジカメをとっておこうと思ったが、電池切れでだめだった。最後と最初。これは意味が深い。
まずは数字をご覧下さい。
こちらを少し直しました。図書館の問題は、奥が深いというか、単純というか、なかなか大変です。この大変さがどこから来るかというとなかなか難しいところです。
何のことやら、全然分からないですね。ある意味で、泥沼化しているわけです。しかしまあ、それに懲りていたらどうしようもない。
出版の問題とも同じで、日本の現状の問題点がやはり集約されていると言えます。図書館の現状を批判的に見ることができないというこころの病が、図書館に関わる人には蔓延しており、一方、大半の人は図書館に最初から期待していません。その中で、あえて問題を提起するということがどういうことなのか、分からなくなってきました。でも、すべての活動はゼロからはじめるとしたら、現状がゼロということはありません。すでにはじめている人はいるからです。でも、この脱力感は何なのでしょう。決算で忙しいからだろうか・・・
非常にまずいことであり、良くないことと分かっているが、決算の最後にきて、印税の処理が上手く行かない。97年から99年にかけて、収入が少なく経営が回っていなかったのでやむを得ず支払いを猶予していただいたことと、どうも資料が不完全なのか、スムーズに行かない。最終的にはきちんとしているにしろ、そこまでもっていくのが、非常な苦労である。こんなことではいけないのだが、毎年、決算の時期になると悩む。借金をして本を作ってしまうと、それが資産になってしまうのが、帳簿上、黒字になってしまうのが、問題なのか。どういうことかというと、お金もないのにもかかわらず、黒字になってしまうと借金をしてでも税金をはらわなくてはいけなくなってしまう。借金ができない状態だと、その分を消しておかないといけないということと、印税はその都度計上するものであるという原則からして、計上する。実際には、猶予していただいている・・・。何だか良くわからなくなってきた。
一年のうち、ある時に沢山お金があって、そうではない時があるというのなら、分かるのだが、そういう余っている時期もお金もないのにもかかわらずそういうことが起きるのはとても理解できない。経営者失格と言われればそのとおりなのだが。印税に関しては、月々の積み立てをはじめることにした。年間300万円は積み立て、さらに借金をして印税をきちんと精算できる体制に持っていこう、というわけだ。こういうのは、アウトソーシングできたらいいのかもしれない。今まで、計上しても猶予していただいてきた分をきちんとしていくということの逆で、計上しない分をもはらっていくということになるから、全体に利益が出ている状態で、(未払いの分を払うと言うことはその会計年度内の経費にはならない)経費がでないということになるから、来年当たりは、税金を払うということになってしまう可能性があるだろう。それも借金をして払うことになってしまうのではないだろうか。
難しいのは、印刷などのコストは、在庫があると、税法上は経費にはならないということであり、本を作ることにお金を使うと言うことが出来ないということである。
これは秋田に出張中に、新幹線の中で書いておいたもの。
ある日、弘前の大学につとめる小池さんから、抜き刷りが届いた。彼がこのところ、数年にわたって書いた論文を送ってくれたのだ、彼は民俗学の研究者で、口承文学と印刷物との関わりをずっと調べている若手の研究者だ。彼の文章を読んでいたときに、ある農書のあるページが特に汚れていたという記述に出会った。汚れていたということは、そのページが特に読まれていたということだ。その農書は、江戸時代に読み継がれていたらしい。本は、いろいろな人の手に渡り、小池さんの論文にはその本の内容については書かれていなかったので不明だが、推測すれば、作物をどううえるか、どう育てるか、日照りが続けばどうするのか、などの農業を営む上での重要なことが書かれていたに違いない。
誰かが、そのページについて語り、それで次の人はそのページを丹念に読んだのかもしれない。その丹念に読んだ記憶がそのページに残り、さらに次の人はそこに書かれていることに注目して、そのページを読んだのかもしれない。推測に推測を重ねることは慎むべきことだろうが、私はそのページに読んだ人々の読んだという記憶が残っているということだろうと思う。
これを今のインターネットの世界に強引に持ってくれば、アクセスログ<インターネットのサーバーの中に保持されているそのページを読んだ記録>が、そのページに刻印され、そのページ自体が変容していったということである。本は印刷され、流通がはじまったあとにも情報が付加されていくと言ってもいいのかもしれない。次にその本を読む人も本に参加していく仕組み。
私は、本が何か抽象的な情報であるという考えには、違和感を持つ。そのものが、手元に残され、あるいは他人の手に渡っても悪くはないのだが、本は、情報だけではなく、その後の情報の蓄積場所であると思う。というと文庫はどうなんだという声が聞こえてくる。そうなんですね。消費される文庫は、情報を付加し、蓄積する機能がないということなのである。消費されるだけの文庫は、ブックオフに売られ、さらに買われ、さらに売られる。しかも、ブックオフに戻るたびに、本は磨かれきれいになる。世どれは、そぎ落とされ、情報に戻る。ということだ。
つまり、記憶を新たに蓄積できないという点では、書き込み付加のCD-ROMで売られる電子本も、単にインターネット上からダウンロードされて、読まれて、捨てられてしまうデジタルデータは、兄弟のような関係にあるということである。電子本と呼ばれているものが、今のままでは、ブックオフに売られる文庫と似た存在になってしまうと危惧する。むしろ、和本や写本、あるいは口承文芸の方に近づいてほしい。テキストが生産され、継承され、付加されていくものであってほしいと願うものである。
私は、だから、本はむしろ1冊づつサーバーになって、それをいろいろな人が継承し、改変できるものになってほしい。そのためには、記憶の集積機能が必要なのだ。あるいは電子本が大学になる、あるいは大学が電子本になってもいいのではないか?
電子本は、記憶の場所というメディアになるべきなのである。
それはどこへ行って、いろいろな見方で、ユーザー志向でみることができる原料ではない。それは場所なのである。その意味では、まだ、電子本は決まった形としては始まっていない。現在の掲示板というかたちで、やっと始まりつつある。しかし、掲示板は後から編集を加えることができない。ただ、頭から、あるいはコメントの流れで話題ごとに決められていくだけである。私は、後から見出しや、部分的なサマリー、発言の移動、再編集ができるような掲示板ができることを祈っている。そういうものができれば、それは動的な本の原型ができることになるだろう。
会議室のような広場のような・・・。
情報はこれから、ただ単に上から流れてくるものではなく、それぞれの場所にいる人が関わって、参加して作っていくものになる。新しい本は、そういうものであってほしい。それは純粋な「原液」ではなく、不純物も、ノイズもたくさんはいった未整理なものである。それが、少しずつ、濾過されたり、反応が起こって、変質したりしながら、少しずつまとまっていく、まとまりきらないでも、日本の草創神話のように濁った混沌を混ぜているうちに、少しずつ凝固していくように形ができていくというものであって、ほしい。一つのテキストが、コカコーラのように原液がボトリングされていく、というのではつまらないではないだろうか。
重要なのは変容できるということであり、記憶を埋め込めるということであり、意図的であれ、無意識であれ参加できるということなのだ。こう考えるときテキストは原液であるというのは、明らかに間違った考えだ。コミュニケーションと言うことのモデルが、非常に古い。言葉は、話し手の意図そのままに伝わるモノだと言う19世紀のコミュニケーション理論に基づいているとしかいいようがない。コミュニケーションに重要なのは、誤解されうることであり、ノイズが混じることが常であるということだ。それを踏まえないと単なる間違った考えになってしまう。