2003年6月5日(木)
ロングロングアゴー、書評紙というものは、言論を先導する力を
以下は、図書新聞に書評特区をもうけるにあたってのお知らせです。
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■ロングロングアゴー、書評紙というものは、言論を先導する力を持っていた。文化人、知識人ということばが、今ほど落ちぶれていなかった時代には。
■「図書新聞」という書評専門紙があることをご存じだろうか。40代より上の年齢の人間は知っているかもしれない。ひょっとすると、30代前半より若い人は知らないかもしれない。
■現在も書評紙は、2紙あり、「図書新聞」の他に「読書人」があって、毎週発行されている。固定している読者がいて、読まれている、そのことをどうのこうのと言う必要はないだろう。しかしながら、本についての情報源がもし、今でも有効である部分があるのであれば、もう少し違ったかたちを夢見てもよいのではないだろうか。
■20世紀と21世紀では、知的な状況は大きく変わっている。旧来の大学内の知は、社会に切り結ばなくなっている。オルテナティブを想定しない批判的な言説は、いさぎよさとともに、空虚さももってしまった。公共性の高い議論のはずなのに、細かい方細かい方、狭い方狭い方へとどんどん押し詰まっていった。知性が、大学ではなく、仕事の場所、生活の場所で切実に求められているにもかかわらず、つなげられていない。つなげようと言う試みもまだ少ない。
■書評は、編集の中の編集である。編集された本をさらに集めて、見せていくから。ナレッジに対するレビューがこれほど切実に求められている時代はないのに、昔ながらの知性に偏りすぎている。新しい知性を創ることが求められているのに、汲み上げ、支える勢力はまだ弱い。ゆえに、レビューは重要だ。さらに、デジタル社会の課題、情報の流通と複製のコストを限りなくゼロにしたこと。このことは、労働価値説に基づく社会批判の思考も、商品の希少性に基づく利益を求める資本主義も、根本からくつがえしつつある。レビューこそが、財の価値を決める時代になりつつある。
■私は、1997年から、書評のホームページを仲俣氏は1999年から書評ホームページ上の書評パンチの編集長というかたちでネットにおけるレビューについて挑戦を行ってきた。2003年の初夏、われわれは、ある意味では仮想敵であった既存勢力である図書新聞と相談し、「書評特区」と呼ぶエリアを「図書新聞」の紙面上に、作ることにした。インターネットが、当然のものになりつつある現在、従来のメディアがネットにのりかわるのではなく、レビューというものを再デザインすること自体が重要と考えたからである。
■松本の知り合いであるみなさんにもぜひともご協力いただきたい。レビューの空間をつくるということは、ほんとうに重要なことだからだ。労働価値説崩壊後の原稿料は激度に安いのでありますが、切によろしくお願い申し上げまする。
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