2003年5月27日(火)
人間主義日本語教育とは
日本語教育学会に参加した。今年から、日本語教育学会賞と奨励賞を決めて、おくることになったとのことでひつじも若干のカンパをさせていただいた。(振り込みは明日)そのため、総会と懇親会に招待されたため、こちらものぞかせていただいた。
シンポジウムは、興味深いもので、これまでの日本語教育学会のシンポジウムとは違った問題提起をはらんだものであった。いろいろなことを思わせられたが、開発教育の山西さん(早稲田大学文学部の教育学にこのようなおもしろい方がいるのを知らなかった。)の話が特に私にはおもしろかった。レムカさんというネパール人の個人的なことを知るというワークショップの話がとてもよかった。国の前に最初に個人があり、と同時に日本に来たレムカさんのネパール人としての習慣からくるさまざまな感情、日本の地域の問題もあり、元にすんでいるネパールの地域の問題もあって、そのようなことを受け入れる側でも自分たちの問題として語るところからはじめられるというのは、新鮮である。
大阪大学から法政大学に移られた山田泉さんの挑戦もおもしろい。「日本人ということを全面に出すのではなく人間として振る舞おう」ということばは共感するが、その時の人間というのは何なのだろう。私の世代(?)としては、「人間として」「人間主義」ということにはちょっと世代的なずれを感じてしまう。子育ての中で、地域がないこと、コミュニティが空洞化しているということを身にしみて感じていると、なおさらその人間というのがわからなくなっているからだ。「街づくり」というような視点に立つと、地域の人になるといういうことを思うわけであるが、その困難さを思うと人間になるというのは、リアリティを感じにくい。日本人同士のトラブルがあった場合に、人間同士なんだから、争うのはやめようというとどうも子供のアニメのような正義感に聞こえそうな気がする。
そんなふうに思いながら、春日部に住んでいた時にOさんが、地元に住んでいる在日イスラム系の人たちに日本語を教えたりする活動をしていたことを思い出した。山田さんやOさんを思うと単なる評論家になってしまっているのかもしれないと思ったりもする。そうかもしれないが、もう少し考えてみたい。
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