2003年5月8日(木)
地位の安定が、専門性を奪ったのか
私の父親は、高校を夜間で出て、郵政省に勤め、労働組合の専従になった。彼が、やっていたことは公務員の労働条件の向上であったのだろう。それはそれでよいことであったはずだが、正規に雇われた公務員の地位を確立してしまったため、いろいろな弊害がでてきている。勤労者としての公務員の地位の確率ということ自体は、もちろん、よいことであったはずだ。ところが、地位を守るために、その人の能力とは関係なく、職が保全されるようになってしまった。専門職であれば、その専門性が果たせなければ、辞めることも含まれるであろうし、専門性が高く、利用者の満足度が高ければ、同僚よりも評価が高くなり、経済的にも地位の上でもそれが反映されるということがあってもよいはずだ。それは、地位が能力によって左右されることになる。駅に行く途中に都教組の事務所跡があり、そこにはいつの張り紙かわからないが、「給与差別による職場の崩壊を阻止する」と書いてある。評価して、その結果、給与に反映されることに反対するのがこの組合の方針らしい。この結果、専門性ということを行政側もそうだが、組合側も評価できず、専門性が定着できなかった。
その結果、能力ではなく、身分によって、給与が決まる仕組みを作り上げてしまった。正規職員は非常に厚遇される。学校の先生の給与は、44歳が平均であるそうだが、月収51万円だそうだ。正規職員になってしまうと能力が無くても辞めなくなってしまう。そのことが問題教師がやめない理由になっているのだろう。一方、意欲があっても、非常勤であれば、職員会議にも出られないし、子どもたちのクラスを朝から下校までみることができない。週に20時間しか勤務できない。生徒のクラスをもつために、時間を増やすことが出来ないのである。20時間以上勤務すると、失業保険やら、社会保険やら手当を付けなければならず、正規職員と同じ待遇にしないといけないため、本人が希望しても時間を延長できないのである。
利用者のことを無視した仕組みということになる。このような仕組みになってしまうことを父は、希望していたのだろうか。
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