2003年1月8日(水)

お正月の楽しみ

毎年、正月には、妻の実家にあいさつにいく。その時の楽しみは、手際とネタのよい、おいしい正月料理を食べることと、トイレにはいること。食べて、くそをする自堕落な生活がうれしいという意味ではない。また、別に特別なトイレであるわけではない。ただ、トイレに、小説現代などの純文学ではない小説の雑誌があって、それを座りながら読むのが、楽しみなのだ。もっとも、小説は読まない。いつも、不思議なのは、小説家たちをあがめる視線である。神からの恩寵を受けている特別の人たちとでもいうような視線がある。作家のエッセイも、文章力はあるにしろ、自己満足がぷんぷんで鼻持ちならない。ただ、ゴミ袋がもったいないとか、カラオケに行った話とか、南の島で過ごした休暇とか、こんな内容、よほどうぬぼれていないとかけない。小説以外のものが面白いものにあたることがしばしばある。以前は、『真っ赤な太陽』という漫画を見つけた。これは収穫だった。

今回は、小説現代に、戦争についての対談を読んだ。ガンダムの富野氏と『亡国のイージス艦』の福井氏のもの。戦争について、9.11以来、このふたりの議論よりも、リアルなものを読んだことがない。

福井氏の「小さなヒーローたちがそれぞれのコミュニティにいたら、独裁者を作ることなんか許さないんですよ」という発言、「ヒーロー待望論みたいなものが、下手をすると独裁者を作るというようなことに短絡して考える日教組的な風潮はありますよね。」ちょっとでも知識人ぽい人の発言は、いまでも、反戦論、組織論でも日教組的な風潮を越えていないのではないか。以前読んだ、冊子で、喫茶店のマスターが、アルバイトが仕事を覚えてくれない、どうしたらいいんだろうと素直につぶやいているのに対して、話し相手になっている人は、あなたが王様になりたいんですよね、とはずれた応答をしていた。小さな組織をどう動かしていくかということは、別に悪の組織を作ろうと言うことではないのに…。どうしてそのような反応にでてしまうのだろう。その的はずれの応答をしている人の本が今売れているそうだが、そのような日教組的な視点でものごとを見ている人が、社会について考えることができるとは思えない。

日教組的といっても、その日教組はもう力を持っていないのに、その日教組的な考え方はなぜ根強く残っているのだろう。

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