2002年12月11日(水)
国会図書館の資料の電子化
国文学資料館で開催されたシンポジウム「出版とアカデミズム」の続き
シンポジウムに際に、国会図書館の資料の電子化の話がでていたが、図書館としてどう考えているのだろうか。明治の資料を電子化するというときに、画像だけ電子化すればすむのだろうか。図書館がやるのであれば、その際に2次的な情報を付加すべきなのではないだろうか。単にデジタル化するだけであれば、予算をとって、デジタル化の業者に丸投げすればすむ。
どういう情報で、どのような資料なのか、そのような付加情報を付けるのが、図書館の仕事ではないかと思うが、単に公開しただけで、それでよいのであれば、それは画像館としかいいようがないのではないか。その2次的なデータを付けるところこそ、知の保存であり、知を生かせるようにする技能だろうと思う。
そのようなことをせずに単にデータ化するのでは図書館の使命は果たせない。そのような使命を果たす必要があると考えたときにはじめて、その知的な人手をどのように作り出すかの問題になる。そこに当然、知のコミュニティや知の経済的な経営の問題にぶつかることになるはずである。そのようなことぬきで、単に画像化するということについて、私は自分の存在理由をないがしろにすることだと思うが、どうなのだろうか?
仕事がたまって、日誌の更新どころではないのだが、首が回らないがゆえに、逃避しているところ…
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