2002年10月8日(火)

企画書(ベータ版)の研修というものを、行った

現在、新しいジャンルを作ろうと模索している。もがいていると言ってもいいかもしれない。コミュニケーションをとらえ直したり、言語教育やビジネススキル、市民教育などのジャンルを作ろうとしている。

私が誰かに会いに行って話をし、お互いの願いを見つめながら、企画相手とブレストをして、方向を見つけ、さらにはゴールを設定する。何か新しいことを作り出すときにはそのような企画を詰めていくという作業を行う。それを私一人ではこなしきれなくなっている。

だから、企画を作るという研修を行おうと思ったわけである。何かを誰かと作り出すということをするには、自分のたっているところ、ひつじのポリシーさらに可能性と限界を説明することになるから、自分のことばでとらえることができるようになるし、ひつじの方向性を再確認することもできる。その過程で、単に編集請負ということではなく、自分の頭で理解し、考え、コミットしていくという過程に入ることができる。

先週は、社員総出で、もちろん、コアになる人間は決めてであるが、新しい企画を模索しに会いに行き、その仕事自体を企画書をまとめる研修にもしようということを行った。私が実際に提案し、方向性の模索を見せ、あとで帰ってから、それをおのおのが、まとめて企画書にするということを行った。

この段階の企画書は、あいてに提出すると言うよりも、自分の企画のあり方を磨くという提案以前の内部向けベータ版のようなものである。その中にはコアな3つの要素があることがわかった。まずは、どうしてこの企画を思いついたか、立てるに至ったかの経緯。そのうえで、その企画を立てる必要性はなにか、社会に何がかけているので、作り出そうとするかという社会的必要性。つぎに、その必要性を解決するための内容である。この3つがこの段階の企画書には必要であるということがわかった。

これはなかなか私にとってもためになった。自分自身の能力の位置づけをしることができたし、スタッフの聞くこと、話すこと、同席することといった出版人としてのセンスとスキルを見つめることにもなったからである。企画を立てると言うことは並大抵なことではない。最初の内はなれないこと、よくわからないことがあるだろう。でも、それを研修という視点を交えることで、明確にすることができたし、弱点を最初にみることもできた。

かけているところがわかれば対処することもできる。直に誰かに会いに行って、失礼なこと、未熟さをあらわにしないでもすむ予防線をつくることにもなる。トレーニングというのはそのためにあるのだろう。手間はかかるが、スタッフのスキルとセンスが向上すれば、これはひつじの本を作る能力が全体的に底上げされることになる。なかなかたのしみななことである。普通の会社なら、そんなことはしないかもしれない。少なくとも企画の作り方の研修を私は受けたことがない。みんなもたいへんではあるが、面白いことだと思ってくれたに違いない。

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