2002年8月11日(日)

jediの力

Nさんに強力にすすめられて、昨晩オールナイトで、スターウォーズを見てきました。前評判の高かったヨーダーのライトセーバーの活劇、すごかったですね。集団での活劇も、昔の時代劇を見ているようでした。ただ、どうもスターウォーズの公開の時に、いつも会社の組織を変えて、新人を育てる運命のようで、素直に楽しむというよりも、自分の関心事に引きつけて見過ぎるようです。今は、同時に3人の新人を育てています。今までで一番多い。

新人育てという意味では、どうも、主人公のアナキン・スカイウォーカーではなくて、オビワン・ケノビの方に感情移入してしまいます。オビワンは、恋はしなかったのか…などなど。最後に、あれだけ仲良くなっているアナキンとアミダラをそのまま、母星に返すのは、どう考えても、戒律を破ります(?)。実は、二人に子供ができることを、ヨーダーは、願っていたりして。

ユーダーは、800年近く生きてきて、ダークサイドの力が降りてくる、と思わせぶりにいうだけではなくて、jediの力を強くすることを考えなかったのか、身内の中、あるいは身の回りの変化を関知する能力がないのか、そもそも、のちの暗黒の皇帝が目の前にいて気がつかないjediとは、何なのか…。執務能力がなかったことも、共和国が壊滅する要因の一つであったとすれば、それはjediたちにも責任はあるのでしょう。新しい皇帝の側につく旧jediの視点に立てば、時代を読む感覚を失い、事態の悪化をただ手をこまねいているヨーダーたちに愛想をつかすこともわかります。クローン兵を使って、勝利することを是としてしまうということは、jediとして自殺行為なのではないか。そこまで、事態をこまねいて待っていては、共和国が崩壊するのも当然のような気もします。私が、ヨーダーだったら、勝利したことを恥じて、jediは隠遁して、一斉に隠れます。あるいはそういう議論がjediの評議会でなかったことが不思議です。ヨーダーは老害なのか…。前回の3部作の2作目で、森の奥地に住んでいた時のヨーダーは、好きですが、大都会に住んでいるヨーダーには違和感があります。jediたちの参戦の決定の時に、反対して、森にこもるjediもいてもよかったのではないでしょうか。

私は、どうしても、組織の運営と師弟関係(教育と育て)とミッションの遂行という視点でみてしまうので、その点で、もやもやとした謎が深まるばかりです。私としても、既存のシステムを壊すことばかり、激しく考えているとドゥークゥー伯爵のようになってしまう危険性があり、直情的ではなく、用心深いオビワンのような立ち振る舞いの方が、いいのではないか、などと身に引きつけすぎて見てしまいます。アナキン・スカイウォーカーはいっそう性急で短絡的です。

ヨーダーが、jediを統括し直すことができたとしたら、ミッションとそれを具体化した行程を示すことだったのかもしれません。あるいはそのような過程を評議会で繰り返すべきであったでしょう。何かを改革したいと思う優秀なjediたちこそが、はっきりしたビジョンを求めるために、かえって暗黒面に引かれてしまう、実際の権力に引かれてしまうことは、さけるべきだったように思います。任務と命令だけでは、こころを掴むことはできないでしょう。しかしまた、アナキンもヨーダーに対して直接話をすることもできたはずでしょう。不満と怒りが、爆発と攻撃に変わる前に、手段を探せないことはやはり未熟です。一方、それを放置してしまったヨーダーにも責任はあるでしょう。直接の師匠であるオビワンにはそれは酷な仕事です。

しかし、私自身を振り返ってみると、方向性はわかっていますが、具体的な過程をみることはできていません。渦中にいると、渦中にいて、位置をたもっているだけで精一杯です。しかも、出版という商売というのは、個々の読者という茫洋としたマーケットによって、評価され続けます。最終的に提案しているのは、利用者であり、読者であり、通りすがりの人でもあります。ある程度の、見通しはできるでしょうが。

動的ミッション、動的評価、動的作戦変更。

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