2002年7月24日(水)

Medi趣意書(publisher edition)

現在、企画を推進中のMediの趣意書。

なぜ、メディア論の雑誌を創刊するのか

私たちの生きている時代は、微細で、目に見えない亀裂が、あちこちに生まれている。内容とそれを媒介するもの、コンテンツとメディア、中身と入れ物、サービスとサービスを提供する物や人や場所が、ズレている。一見するとそれらは、まえから、そのままあったかのように何の矛盾もないように見えるが、実は、見た目と中身が違っているということがある。チョコレートに見えて、さわってみるとコンクリート であったり、生きた動物かと思って近づくとそれは機械であったりする。本かと思って読もうとすると、ただのゴミであったりする。安全な公園だと思ったら、危険地帯であったりする。

以下のマンガを見てほしい。夏に中華料理屋さんが、幼稚園をやっているというマンガである。常盤雅幸さんが集英社の「小説すばる」に載せた漫画。「冷し中華はじめました」という文字があり、そのとなりに、手書きで「と幼稚園」ということばが挿入されている。園帽をかぶった幼稚園児たちが、ぞろぞろ帰って行くが、楊枝を口にくわえた客たちは、その子たちを普通の目で、何の奇異な感情も持たずに、当然のこととして見ているというような絵である。

(ここで引用したかった幼稚園のマンガは、転載交渉中なので、常磐さんについては、以下のページ参照。  「真っ赤な東京」

私たちは、30年前とは、生き方全般が変わってきている。生活の仕方、親と子の関わり、仕事の仕方などが変わっているはずである。幼稚園は、相変わらず、夏休みの長期休暇を取るが、その前提は、たとえば、母親が専業主婦であるという前提がある。あるいは、こどもたちが、集まって勝手に遊ぶことができるという前提がある。しかし、それらは、もう崩れている。でも、街が危険であれば、無菌室のような遊び場を作ればいいのか?
常盤さんのマンガで、注目すべきことは、近所のラーメン屋が、こどもを預かるという発想だ。保育所や学校ではなくて、ラーメン屋さんという発想。学校という近代的な教育機関ではなく、商売をしている場所で。臨時幼稚園の園長である店の主人は、テーブルを拭かせて、コップを、持っていかせるかも知れないし、釣り銭を渡すことに使われるかも知れない。幼稚園生が「まいどー」というラーメン屋さん。

1960年代にまがりなりにも機能していた学校の仕組みが、今、機能していないのであるならば、それはどうしてなのだろうか。結論を急ぐ前に、子ども達の生活が営まれる学校という場所を、学校というものを、メディアとして捉えてみたらどうだろうか?教室の黒板のこと、壁に貼られた生徒の書いた標語。なぜ、週に1児コマくらいしかつかわないのに大きなテレビが教室ごとにあり、パソコンがないのか。生徒の机の規格はどのようにできたのか?なぜ、理科室は怖いのか?なぜ、学校の体育館に巡回興業が、いつからこなくなったのか?愚直なまでに、それぞれを見直してみる。

これらのことは、学校のことばかりではなく、住宅、道路、自転車、車、テレビ、電話、服、商店街、選挙、会社組織、などなど、我々の生活をとりまく事物やサービス」の多くにいえることである。内容とメディアのズレを確認していくこと。いや、内容はメディアが作っているのだとすると、内在化したものをどうやって、ずらしてみていくことができるだろうか。まるで、電波が乱れたときにテレビの画像が一瞬ぶれるように、現実世界を、意図的にぶらして見る。そのことを意図的に行うことがメディア論であると私は思う。異化する装置としてのメディア論といってもよいだろう。

一種の色ずれ目がねをかけて、そこらじゅうを歩き回るかのように、あちこちにずれを見つけていこう。それが市民社会の作りなおしにつながるというと結論を急ぎすぎだろうか?

個人的なことをいうと、私は1961年生まれで、2002年の4月現在41歳である。私自身が、小学生の時、郊外に団地がどんどんできて、子供の人口爆発が起きた時代であった。両親が、郊外に家を建てて、都心から移り住んだ。子供の人口が増え、学校がどんどん分割して、増えていく時代である。引っ越し先には、炭坑閉山の人々の再就職のための団地もあり、学校前には、よろずやがあり、街のはずれには駄菓子屋もあった。外であそぶのが、まだ、当然の時代であった。

一方で、その人間が、親になった時、自分の子どもの世代の子供達に起きていることは、少子化による学校の集合合併廃校である。私の小学校の時代に作られた学校が、どんどんなくなっている。身の回りのメディアの状況は大きく変わってきている。

さらにさかのぼれば、私の父親は、公務員になり、労働組合の専従になった。サラリーマン全盛期であった。私の時代はそれが疑わしい。勤め人の息子(私)が、会社を作って経営している。しかしまた、父の父は、飾り職人であったのだ。仕事の仕方ということだけをとっても、時代は変わっているのである。

しかし、マスメディアをはじめ、多くの議論は、自分たちの過去のイメージで議論している。ズレを見ずに、それぞれが勝手に議論している。ズレとブレを自覚するようなメディアを作りたい。この齟齬ある状況についてのことばを生み出したいというのが、私の願いである。そのために、mediを創刊する。

medi発行人 ひつじ書房代表取締役 松本功 isao@hituzi.co.jp www.hituzi.co.jp>

日誌 2000年2・3・4月 日誌 2000年5月日誌 2000年6・7月日誌 2000年8月日誌 2000年9月〜11月

日誌の目次へ
ホームページに戻る


ご意見、ご感想をお寄せ下さい。

房主
isao@hituzi.co.jp