2002年5月1日(金)

編集は、営業である

編集って何だろうかと考えることがあるが、編集の本当のキモは、繰り返し指摘しているように、割付をしたり、校正したりすることではない。これは、編集制作の仕事であって、編集ではないと言った方が誤解がなくていいのではないかと思うくらいである。

図書館で言うとこれは、にこやかに対応する貸し出しのようなものかもしれない。つまり、外から見るとそれが、中心的な仕事であるかのように見えてしまう仕事という意味でである。

編集のコアは、あくまで、人と会い、話をして、何かを共同して生み出そうと発意し、そのコストをバックグランドで計算しながら、そのコストに見合う、セールスを実現するためにどういうことが可能かを考えながら、発意に返していく。セールスを実行するためには、実際の読者(著者でもある)との関係を作っておかなければならない。

あちこちに出歩き、あちこちに話を聞きに行き、あちこちで自分のアイディアを話し、人のアイディアを聞きながら、相づちを打つ。書き手の持っていない人脈を作って、それを連携させていく。

たとえば、『ポスターの社会史』みたいな本を作りたいと思っても、その工程管理をするというのは、編集ではなくて、編集工程管理にすぎない。この本の場合には、野村先生から声をかけていただいたのだが、そもそも、私がインターネットのサイトを出版社として早くに立ち上げ、インターネット上で発言し、書評のホームページを作って、活動している中で、ひつじ書房のクリスマスパーティに来ていただいて、そこで、いろいろなお話をして、それからしばらくしてから、企画の声をかけていただいたのである。『ポスターの社会史』という本を作ろうというまで、インターネットで活動し始めてからで、6年、クリスマスパーティからでも、2年は経過している。

ところが、『ポスターの社会史』みたいな本を作りたいと思ってしまって、それは重要な工程であったとしても、それは最後の一工程に過ぎないのにそれが本づくりだと思ってしまうのである。

企画として発意されるまでは、どうなるかはわからない。そういうやり方でなければ、モノは作れないのである。編集とはベルトコンベアで、マニュアル通りに作るものではない。マニュアルというなら、百科事典ほどもあるというマクドナルドくらいのマニュアルでなければならない。

コストを計算しながら、本を作っていく編集というモノは、もしかしたら、1960年代に作れば売れるようになって、消えてしまったのかもしれない。編集と編集プロダクションは、似てもにつかないものである。仕事が発注されて、それを工程管理して作るというのは、1990年代まではよかったかもしれないが、それは一過性のものにすぎない。

読者を探し直さなければならない時代に編集プロダクションは、機能しない過去の遺物になった。売れるものが決まっている時にしか機能しないから。読者が読むと決まっているという前提自体、時代錯誤である。むしろ、編集のキモは、プロデュースとセールスだろう。読者を捜し、あるいは読者を作り出すと言うことは、セールスそのものだ。ここでいうセールスは、できあがっているモノを売るというだけのものではないというのは、当然のことである。

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