2002年3月13日(水)
「本とコンピュータ」の鈴木書店の記事はきれいごとすぎる
書いている長岡さんは、出版の自由とかについても良く書いているライターである。最近はポット出版から『出版時評』という本を出した。私とほぼ同じ年くらいの気鋭のライターである。
でも、きれいごとすぎないだろうか?
- 労働組合が強すぎて、鈴木の退路をたってしまったことについてどうしてふれていないのだろうか。数年前の段階で別の取次店が鈴木を買うことを検討していたとき、労働組合が悪い意味で強すぎるために、断念したという経緯があったはずだ。(長岡さんは出版労連の関係者だから、そこを隠してしまったのか)
- 小出版社をサポートしていたというが、小出版社の声が取材されていいのはどうしてか?鈴木に依存していた比率の高い青土社、せりか、未知谷、パピルスなどの人文書の出版社の取材がないのはどうしてなのか。
- 専門といいながら、多くの人文系の中堅出版社が取引口座を持てなかったことについてふれていない。本当に専門取次というポリシーがあったのか?
- 鈴木書店の社員の給料が高給ではないというが、その資料に日付を付けておいてほしかった。調子が悪くなってからなのか、それ以前なのかがわからないのでは意味がない。
- 一日二回書店へ出荷していたというが、それはむしろ規模が大きい出版社へのサービスであって、ひつじ書房は、その恩恵を受けていない。一律に書きすぎているのではないか?
人文書が売れないと言うことはどういうことなのか、根底的なルポを求めたい。鈴木書店を誰が殺したのか、これでは全然きれいごとすぎる。事情通の世間話ではなくて、どうしてなのかを共有しない限り、出版に未来はない。未来を作るためではなくて、世間話をするためにあるのだろうか。
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