2001年9月26日(水)
センムの退院
久美子は、おかげさまで、先週の金曜日に退院することができた。左にひねらなければ、普段の生活をすることも、立って歩くことも長時間でなければ問題ない。ご心配くださったみなさんに、感謝申し上げたい。K先生は、見舞いの品を送っていただいた。ありがとうございます。送ってくださったことに感謝するとともに、ハムやソーセージの盛り合わせをくっていただいたことに、こころからのお礼を申し上げたい。これらのものは、すぐに食べなくても腐らないし、そのまま食べることも、ゆでても、フライパンで調理しても、私のようなほとんど料理をしたことのないものでも、料理することができる。このような配慮の行き届いたお見舞いはなかなかできることではない。見舞いの気持ちを表すだけではなくて、使えるものを送るということ。私も、知り合いが同じようなことになったときには参考にさせていただこう。
母親が、不在のところ、我々夫婦二人の母親が、助けに来てくれたこともありがたいことであった。
山梨に台風で閉じこめられてしまって、病院に一泊、友人宅に2日も泊まったこともあり、その後の母親不在の中、私の緊張が移ってしまったのか、娘も熱を出し、夜半、救急車で、病院に連れて行った。9月になって、2回も救急車に乗ってしまうという事態。宿直の医師に点滴を打ってもらい今は熱も下がり、元気にお粥を食べている。
ささやかな家族の事件が、相次いだが、私は生活する能力が、がんばったにしろ、不十分であることを自覚させられた。仕事をするということ以前に、生きていく能力というものをどう実際に確保していくのか、これは課題である。やはり、今ごろになって、やっと気がつくのも遅いわけだが、家事というものは、下手なりにも、それなりのレベルでできないと人としてやってけないようだ。そんなこと、当たり前だと言われてしまうだろうが。
いろいろあって、予定の仕事が滞っているが、許しを請うべきものでもないであろうが、さまざまな事情の中で仕事と生活をしていくということを私自身は自覚しはじめたという点で、何かしら得るものがあったと思う。
『認知言語学論考I』が刊行された。乞うご好評!『「た」の言語学』もそろそろ刊行で、『ポスターの社会史』もでる。森田先生の『日本語文法の発想』は、初校がでてきた。三尾砂の著作集は、デザイナーにレイアウトを依頼。本作りも動き始めた。
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