2001年9月14日(金)

パスポートの期限切れでアメリカに行けずによかった。それと、妻の入院

パスポートの期限が切れていることを思い出したのは、9月7日の朝だった。シアトルに11日に出発して、15日までいるつもりであった。シアトルでは、社会起業家のコンフェランスがあって、そこで、社会起業家というものの基礎的なことを勉強したり、アメリカではどんなことが起きているのかを知りたいと思っていた。ところが、航空券まで申し込んで、その後に気がつくという馬鹿をやってしまった。

9日には早稲田ベンチャーキッズの講演会を聞いて、休暇を取るために山梨に向かった。その晩、専務であり、娘の母親でもある妻が、階段の下から3段目から滑り落ちて、腰を痛めてしまった。翌日は、救急車を呼んで、地元の山梨甲陽病院に連れて行ったが、入院になってしまった。娘をいっしょに来ていた友人たちに預け、私は保険証とお金を取りに住まいに戻った。そして、8時新宿発の「あずさ」に飛び乗って、山梨に戻るとその晩は、病室に泊まり込んだ。翌日、いったん、帰って、レンタカーに布団を敷いて戻ってこようとしたところ、台風15号のせいで、中央本線が運休。その晩、山梨の友人の自宅に泊めてもらい、さらに翌日になっても、電車は動かない。夜半、中央高速は復活したが、この晩も泊めてもらった。

水曜日に退院して、東京の病院に移動することになるが、朝、テレビをつけるとアメリカでえらいことになっていた。パスポートがとれていて、飛行機に乗っていれば、引き返してくることになったのではないだろうか。全米の空港が閉鎖されることになったため、行くはずであったコンフェランスも延期になってしまった。

子供の世話から、身の回りのこと、仕事も多くを妻に頼っていたのが現状なので、ちょっと勝手がうまくいかないが、本来、今週は、アメリカに行って、日本にはいないことにしていたので、幸いほとんど予定を入れていない。今週は、娘のお弁当を作り、送り迎えをし、きちんと何かあった時には、家族で、乗り切ることを実行したいと思っている。生まれてはじめてお弁当を作ってしまった。おいしかったそうである。

パスポートの期限を忘れるというおおまぬけな事態だったが、アメリカに行かずによかった。天が味方したのであろうか。はて。

妻は、思ったよりはひどくなく、クルマ付の立って歩く歩行器をつかって、歩くこともできるようになった。2週間もあれば、退院できるだろう。今月は、決算月でもあるので、なかなかたいへん。音をあげずにいこう。

山梨の友人、友人たちに感謝したい。

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