2001年9月7日(金)

テーマを見た後に感じてもらうように語ること

「千と千尋の神隠し」をみた。2回見た。私は、宮崎駿の中で一番おもしろいと思う。最高の作品だと思う。宮崎さんがいいたいことはあって、それは二つあると思う。

私が、別に宮崎さんの代弁をしても仕方がないし、あくまで私が感じたということにすぎず、見た人はみな自分なりにこれをいいたいのかなと感じるだろうから、特に述べない。私の関心は、「10歳の女の子、子供に見せたい映画を作りたかった」という言い方を宮崎さんがしていて、それ以上、何もテーマについては直接的には語らないと言うスタンスについてだ。

私が、驚いたのは、自然保護協会のMさんが、3月に宮崎さんの自宅に訪問しているときも、内容についてはほとんど説明しなかったということなのだ。これはMさんに直接お聞きしたわけなのだが、いったいどういうことなのだろう。今回のテーマの二つのうちの一つは、それの活動と明らかに関係があるはずだ。

「千と千尋」は、「もののけ姫」の興行成績を上回ることは確実とされていて、驚くべき人数の人が見ているということである。『ユリイカ別冊』などを読むと、私がテーマだと思ったことが伝わっていないことに驚く。最後の仏文学の研究者の発言は、全く無知だとしか言いようがない。ハクが現実世界に帰る、という発言が現実的ではないというのは、間違いなのだ。しかし、そんなことは宮崎さんはいっさい語らない。わかりやすいことは言わない。それはそれでいいことなのだ。(川を掘り返す運動は世界的に起きていて、日本でもまだ多くはないが、かなりの場所で川が生き返っているのである。Mさんには、宮崎さんが自宅のそばの川の再生をやっていることははなしているのにもかかわらず、説明していなかったということは、だいぶ確信犯である。)

テーマを語らず、「10歳の女の子に見せる映画を作りたかった」ということを語る方が、結局のところ、多くの10歳の子供たちの目に届き、心に文字や話としては伝わらないではあろうが、こころに響くと言うことが起こっている。内容を言ってしまうことは、内容が文章としてわかる人にしか、声が届かない。テーマを直接的に語ってしまうことは、話として理解できる人しか、来てもらえない。テーマは、説明的にしない方が、多くの人に直感として伝わるということになる。朝日新聞などは、率直に語っていれば、喜んで、記事にしただろう。そのことは、逆効果だと思っていたということではないだろうか。マスメディアが、善意で善意に伝えることは、かえって、観客を限定してしまうことになるということだろうか。また、新聞記者に分かるように語ってしまうと新聞記者が分かった範囲で、紹介してしまうとかえってきちんと伝わらなくなってしまうと判断したのだろうか。

このことは、本を出すときに、事前には十分にわかっていないであろうが、読んだら、何かを得てくれる人に、本が届くようにする方法を考えることを私に告げる。これはNPOも同じであり、わかっている人以外の人にも伝えるためには、わかりやすく伝えるのでもなく、嘘をいうのでもなく、核心をつきながら、テーマ自身は、読み手に読み解かせる。参加してそしてわかるようにする。そんな仕組みを考えないと出会いを作り出せない。

核心をついていて、人を排除しないようなプレゼンテーション。わかる人にわかりやすいのではなく、今はわかってくれていない人も巻き込めるようなオープンな場を作るような働きかけ。

結論を急いで、告げるのではなく、問いそのものを投げ出せるようなプレゼンテーション。このことは、会議で、ただしいことを言って、相手を折伏するのではなく、いっしょにたどり着くような言葉の使い方を想像しないと思わせる。

コナンの時から、そういうテーマであったじゃないかというかもしれないが、その時には、もう少し楽観的であったように思う。今回のテーマは、思い詰めた末にでてきたはずであるのに、明示的には伝えないというのが、不思議なことだ。

しばらく考え続けてみたい。

それにしても、いくつも紹介や批評があるが、河に落ちたという発言がないのも不思議である。私は、小学校5年生の時に、田圃の中の小さな河に落ちた経験がある。

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