2001年6月1日(金)
人文会ニュース88号
88号の「アメリカの公共図書館事情」(菱川摩貴)は、面白い。日本と違い、作家と図書館が共同し、図書館というしくみを作りだそうとしていることがわかる。ミッドリストの小説家、10000部を読者とする中堅クラスの作家にとって、図書館は重要だし、また、図書館もベストセラー作家ではない、このクラスの作家を支えることが、ベストセラーを扱う大型書店とは違った「公共」の意味を持たせることだと思っているようだ。これはまっとうである。日本の図書館はどこでまちがってしまったのだろう。
いっぽう、「一五分で読む現代思想」(的場昭弘)も面白い。こっちの面白いというのは皮肉。タシカに現代思想についてのレビューとしては良くできているが、なぜ市民にとって、あるいは現代人にとって「現代思想」が必要であり、「現代思想」が、市民に役に立つか、ということがたったの1行もない。これでは話にならない。ハーバーマスもカルスタも市民の活動と連動しないでどうするのか?お客さんのことを考えないでどうするんだろうか?
「現代思想」も消費の極北になってしまい、何か新しい市民の活動を生み出すものではなくなっている、ということだろう。
日本の図書館が消費地なのではなく、そもそも、本や大学が、消費地になっているのであれば、どうしようもない。
やはり、作る学者と消費する学者といるんだなあ。トレンドができあがってから、おいしいところだけ、つまみ食いするタイプ。的場さんが、そうだと言っているのではない。多くの現代思想学者は、そうなんだろう。公共性の再構築なんてことはかんがえない。その点、鷲田清一氏の「臨床哲学」を提唱する意図はすごい。ビジネス支援図書館を市民活動支援図書館とするなら、「臨床哲学」は、市民の活動を支援する哲学ということだ。なるほど。自分で納得していてどうする?ここでいう市民の活動には、恋愛やセックスや失恋や、親孝行や親不孝や、金儲けやボランティアや、失業や起業などなども含まれる。
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