2001年2月11日(日)

オンライン上に自分の本棚、と言う発想まではいいが

日曜日も事務所にでて仕事をしている。そんなに一生懸命に仕事をしているというわけではなくて、来るときに寄り道して「後楽園」に寄ってきた。東京ドームがある後楽園ではなくて、水戸光圀が作った方だ。梅が咲き始めていた。真ん中に池があるのだが、南側からみるのがよい。西側の入り口からはいると東京ドームの白い丸い屋根が見えて、興ざめだが、南の少し高台になっている方から見るとそれが目に入らないから。

シャノンのページをgoogleで検索したところ、おかしなページを発見した。ある本の内容をあちこち、きりばりしているページにであった。その本を書いた人ではないようだが、どうなのだろうか。そういうページが、そのサイトにはあちこちにあった。内容を見ると科学史の人らしい。大学で授業を持っているようだ。研究会で、研究発表もしているようだ。大学の講師らしい。

http://takusato.tripod.co.jp/

これは驚くべきことである。本の抜き書きを自分の控えて置いて、どこででもそれを見たいということは、理解できる。いちいち、手で抜き書きしても、パソコンに入れて置いても、しまった場所を忘れてしまうということは困ってしまうからである。だから、自分のためにやっているのだろう。しかし、問題は、それを公開の場に、鍵もかけないで置いておくということである。

自分の名前をかいていないことからして、このページの作者は、ちょっとまずいと思っているらしい。でも、科学史というメディア論などとも関係の深い研究を行っている、また、そんなにコンピュータの知識が乏しいわけでもないだろう人が、このように公開の場に、本の抜き書きを置いておくということは理解できないことである。

問題点

  1. このサイトには鍵を掛けるべきだ。パスワードで自分しか読めないようにすること。これはegroupsなどを使えば簡単にできるはず。
  2. メディアの議論について詳しいはずの人が、なぜ、検索可能な状態にしているのか
  3. 本が売れなくなると思わないのだろうか
  4. 自分の研究を発表する場所がなくなると思わないのだろうか

いっぽう、オンライン上に書棚を作っておきたいという要望は当然あるだろう。また、本を買った人なら、デジタルデータを渡して、自分のデジタルの本棚に置いておくということができてもいいだろう。また、ザナドゥのように、わずかな引用にも決済の仕組みが働くような、もとの書き手にフィードバックが行えるのなら、公開してもいいということにもなるだろう。そうなれば、できあがるまえの原稿を公開したりすれば、思考の過程を共有することさえできるようになる。

「公開」されているレジュメは、本人のものであるかもしれない。それらの点ははっきり書かれていないので、誤解しているかもしれない。その場合には謝る。


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