2001年1月31日(水)

シャノン問題。全滅か、公立図書館??

仕事で、慶應義塾大学にいくついでに、港区立三田図書館に行った。しかし、タッチパネルは税金の無駄遣いという点で犯罪的だなあ。著者名と書名の一部といっしょに検索することができないのである。絞り込んだり、不確かな書名、あるいは、タイトルの一部からあたりをつけて、関連する本を探し出すということができないような仕組みというのは、どういうものだろうか?

これは、何かを調べたり、考えたりするということは、利用者はしない、という前提で作られているシステムだから、そうなっていると思うしかないだろう。この前提について、図書館の世界ではどう考えられてきたのだろうか。ちょっとしたことは、何も分からない図書館員に聞くしかない。絶望的!カードなら、あたりを付けて、いろいろみるということもできるが、検索ができないコンピュータの仕組みでは、ブラックボックスになってしまう。カードの時代から、とんでもない後退をしているというしかない。カウンターは自動貸出機にして、カードを復活してほしい。もちろん、きちんとした司書がいれば、いいのだが。

で、三田でもシャノンを検索してもらった。港区内にも1冊もない。これはいったいどういうことなのだろうか? 区立図書館というのは、サービスの悪い分無料のブックオフということなのだろうか? そうであるなら、ブックオフに行けばいいわけで、資料費が増えるということはそもそもありえないだろう。

インターネット上の検索では、江戸川区立図書館にもなかった。1970年代は、図書館の冬の時代だったということなのだろうか?町田市立図書館にもないそうである。 残念ながら、浦安市立図書館にもなかったということは、ほとんどの公立の図書館にはない、ということだろう。であるならば、港区や文京区にないのは当然すぎるくらい当然だと思わないといけないということになる。憤慨する方が、悪いということになる。ちょっと待て、そういう図書館というのはいったい何なのか?

情報理論の古典の本を買っていないということは、どういうことなのだろうか?要するに、そもそも基本的な体質が無料の貸本屋さんということなのだろうか?これでは、いい本を作っても買ってもらうと言うことはそもそも期待できないということなのだろうか?シャノンの本のような古典になるような本を出すと言うことは、かなり大変なことである。そのような本を編集して作っても、購入してくれないということはいったいどういうことなんだろうか。これでは、そもそも、期待する方がバカだということではないのか?



明けまして!

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