2001年1月19日(金)

文書流通TF説明会・なぜ、コンテンツIDか

以下は、コンテンツIDフォーラムの文書流通タスクフォース設立説明会で、私が述べたもの。いままで、動画、イメージ、音楽のタスクフォースはあったのだが、テキストがないということで、あれば参加するのに、との私の提案のよって動き出した。今日は、100人近い人が参加した。出版社は少なかったようだ。


コンテンツIDフォーラムについてはこちらをhttp://www.cidf.org/ご覧下さい。

1 横浜市立図書館問題―不法なセルフコピー―

横浜市立図書館のセルフコピー問題が、今、議論されている。本来的に認められていない、逸脱したコピーが行われている。このことは、いくつもの問題が現れていると考えることができる。ブックオフによって、返品条件付きの取引と再販制の問題が明らかになったのと同様に、このことはコピーと著作権と一物一価の問題を明らかにした。再販制度については、ここで議論すべきものではないので、別の機会に議論すべきことであるので、ここではコンテンツIDという考え・仕組みがなぜ必要かについて議論したい。

著作物は、横浜の問題が示すように、パッケージ以外の売方、読まれ方が可能であり、そのニーズに応えた著作権の処理方法と著作権管理のセンターが必要でありながら、出版界そして新聞も同様であろうと思うが、十分に対応してこなかったといえるだろう。

2 著作権法附則五条の二

横浜市は、あきらかに著作権を蹂躙し、法を犯している。しかしながら、訴えることができない、あるいはしにくい状況である。それは、なぜかというと著作権法附則五条の二というものがあるからである。

「新法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二号の規定の適用については、当分の間、これらの規定に規定する自動複製機器には、専ら文書又は図面の複製に供するものを含まないものとする」

これは、「文献複写に関する権利を集中的に処理する体制が整っていない現状の中では、権利者の権利行使が不可能で、利用者も許諾を求めようにもどのようにして誰の許諾を求めてよいのかわからず、よってこのような状態で公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製危機を用いてする複製を違法としても、いたずらに違法状態を作出するのみで実効性に欠けるので「当分の間」、右自動複製器による複製を許諾したものである。」(『著作権法詳説』三山裕三 著 東京布井出版 2000.11.1 p.284)

3 ライセンス処理機構がなければならない

つまり、複製を組織的・自動的にライセンス処理できないことが、本来的に不法なコピーを見過ごさざるをえない状況を作り出しているということの原因であるということである。さらに、一部の図書館関係者では、実際にライセンス処理のできないものについては、私的複製ということで、制作者の権利を素通りしたかたちで既成事実化しようという方向もあるということである。オンライン上の著作物、デジタルの著作物について、もし、その著作権を守ろうと思うのであれば、まず実効性のある仕組みを作り出さなければならないということになる。これは図書館における複製の問題に止まらず、私的な複製そのものについても、根本的な問題を投げかけている問題である。オンライン上での「私的共有」を実現してしまったナップスター、グヌーテラは、この問題を極端かつ将来の根本的問題としてわれわれに投げかけている。紙のコピーの問題が、いっそう加速化、増大したかたちで突きつけられている。この課題解決のために、システム的にもっともきちんとしている仕組みというものは、ContentsIDフォーラムの仕組みであろう。

自動的にライセンスを判断できるようなインデックス・IDをコンテンツの中に埋め込み、自動的にライセンスを処理するような機構がなければ、近い将来的に、著作権法でも守ることが出来ないし、経済的になりたたないということになるだろう。このためには、何らかのIDの仕組みとそれを処理する機構が必要であるということになる。そして、ContentsIDフォーラムが提唱している仕組みこそが、その中で一番、強力であり、有効性、公共性の高いものであるだろう。

4 積極的なご参加を

今回、文書流通TFの開催・運営への参加を皆さんに呼びかけるのは、仕組みの具体的な点については、テキストについては、まだ、決まっていないので、それをともにつくろうということである。積極的なご参加を願いたい。PDFなどのように一つのファイル化されたテキストコンテンツだけではなく、プレーンテキストを含めるなら、技術的に未解決な問題も多い。それらの課題をどうするか。

5 権利と公共性を

ただ、私の個人的な見解として、ここで申し上げておきたいことは、出版社・新聞社の利益を守るためだけに、この仕組みを使うのではなく、情報の作り手である書き手と読者にとって利益のある仕組みでなければならないということである。出版人は、活字と紙という優れたメディアを持ちながら、本という優れたパッケージの上で、あぐらをかいてしまったということがいえるように思う。コピーができない時代は、情報コンテンツにおいて圧倒的な権力を持っていたということを十分に自覚していなかったのではないか、と比較的若い出版人の立場からは思わざるを得ない。

デジタル化とコピー技術の問題については、虚心に今までの既存の枠組みからではなく、市民の側に立って考え直さないといけない時期に来ていると思う。著者、出版社の権利を守ることは、市民の知る権利を守るために必要不可欠なものである。この仕組みがなければ、本は書かれず、出版もされないような世の中になってしまうだろうからである。民主主義社会を営むのに必要な情報が、生産されない社会を、招くことは何としてもさけなければならない。必要な市民の知る権利を守るためにも、コンテンツの著作権を処理できる仕組みが必要であるということだ。

図の説明

図は、出版のビジネスが、孤立しているということを、音楽業界のあり方と対比して、図示したもの。ご覧頂ければ、分かると思うが、音楽業界は、それなりに回る仕組みがあり<過去形か?>、出版界にはそもそも全然ないということ。このことはスタート点で認識しておくべきことだろう。


19日の資料はこちら。松本以外のpdfファイルもあります。


夜は浅野屋で味噌煮込みうどん。大学2年生のMさんに手伝ってもらって、大門先生の索引入力終了。彼女は、2月にフランスに行ってしまうそうだ。ボンジュール。

明けまして!

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