調べるのではなく、回答してくれてしまう
2023年1月25日(水)

調べるのではなく、回答してくれてしまう

(1月25日にメール通信で配信した内容がもとになっています。日付けもその日付けにしています。)

ChatGPTというAIによって、質問するとネット上の情報を元に回答してくれるというサービスがいま注目されています。少し前にはキーワードを入れるとそのキーワードに基づいて、イラストを書いてくれるMidjourneyというサービスが注目されていました。Wikiによると「テキストの説明文から画像を作成する独自の人工知能プログラム」ということですが、AIはいろいろなところで活躍してくれています。

ChatGPTによって、検索してニュースソースを得てそこから自分で考えるのではなく、問い自体を投げかけるとAIが回答らしきものを答えてれて、回答そのものを得られてしまうような気になるということへ移行していくのか?

検索ではなく、調査ではなく、考察ではなく、キーワードを入れて疑似的回答を得るのでよいという社会になったら、知的な活動、ひいては学問へのリスペクトがなくなるのではないか...。あるいは何かの問題意識から調査して報道するジャーナリズムへの関心がなくなるということがあるか。知的なナビゲーターへの関心がなくなるか。

Googleなどの検索も何故この情報がトップにあがるのかというアルゴリズムはブラックボックスでしたが、ブラックボックス化がさらに進み疑似的回答が文章になって出されて、その回答を批判的に見ることができなければ、信じてしまうか、他に選択肢がなければ、受け入れてしまうしかないことになる。

それなりに合理的な文章が回答されても、おかしいと察知するセンスが重要ということになるのだろうか。

埼玉県の川越にある東京国際大学で社会言語科学会がこの春に開催されるので、川越で美味しい居酒屋があるかと聞いたら、あるチェーンが回答されて、これは美味しい居酒屋と聞いたのに、最もポピュラーな居酒屋を答えたというところに回答が不十分な点に問題があるのか、私にとって美味しいのはどういうものなのかの情報を入れなかったから、そう答えるのが自然なことであったのか。問う際の情報の入れ方が不十分であったという点で私という存在の情報をもっと収集させることによって回答を変えるようにすることになるのか。問う側の問題か。

Forbesの記事によるとマイクロソフトがWordにオープンAIが開発した言語モデルを導入する計画があるということで、「短いテキストを入力するだけで、完全なPowerPointのプレゼン資料を作成できるかもしれない。」(https://forbesjapan.com/articles/detail/60266)と記事に書かれています。レポートなどにもどんどん使われるようになってしまうと自分が勉強して、調べて、考えて書いたのかということも分からなくなってしまう、という事態が生じていくかもしれない。

学問や研究、調査の意味、そして学習の意味にも影響を与えるだろう。情報のナビゲーションに関わる出版という存在がスルーされてしまうのか。AIが翻訳してくれるのなら、言語教育は何をすることになるのか。自分事として考えないといけないことは少なくない。

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