「言語社会化」「言語人類学」がマイナーな感じがするのはなぜか
2021年5月18日(火)

「言語社会化」「言語人類学」がマイナーな感じがするのはなぜか

(5月12日にメール通信で配信した内容がもとになっています。)

「言語社会化」「言語人類学」などの概説書的な書籍を作っています。これらはもともとはアメリカの言語研究の流れであって、それなりに大きな存在なのですが、日本の言語学の中ではマイナーな感じがしてしまうところがあると思いますが、なぜなのか、不思議です。紹介もあまりされていないのか、されていても受容されていないということなのか。ポライトネスの議論にしても、研究は重要視されていますが、それが日本の言語学の大きな部分に影響を与えているかというと、枠組みはあまりかわっていないように思います。そんなことはない、でしょうか。相互行為の分析も、言語学の中に巣を作っているようには感じますが、言語学の大きな部分に影響を与えているかというと、これも巣を作っているような感じがします。

言語学自体が、日本社会では、大きな存在になっていないからなのか。話しはずれますが、ありがたいことに椎名美智先生の『「させていただく」の語用論―人はなぜ使いたくなるのか』は、武田砂鉄さんのラジオから、文春オンライン、毎日新聞まで、いろいろなメディアに取り上げられて、話題になり、驚くべき短期間で重版になりましたが、世の中の人が注目したのは、違和感のある言葉づかいということであったと思います。少なくとも出発点はそうです。椎名先生のメディアでの説明が、誤用ではなくて、語用であるということを強調して説明をされていましたが、世間的な関心としては、誤用(間違った)ということのレベルから、あまり、飛び上がれていないように思います。目の敵にするわけではないですが、チコちゃんではありませんが、根本的な考え方を更新するのではなく、気になることについて、あーそうなんだという分かった気持ちになりたい中にいるということだと思います。

間違っているか、いないかという正しさへのこだわり、正しさがあるという教育的な知識感。正しいことを知りたいという欲望。もしかしたら、学校教育的な人文観、学問観が、ことばの研究から遠ざけて、倫理的な研究になってしまっているのかも知れない。学校教育が批判されていても、かえって学校教育的学問観はほとんど揺るいでいないということなのか。欧米の言語研究が研究の業界には入ってきているのに、トピックとして輸入されるだけで、どうも格闘していないのではないか。こういう言い方は、かなり偉そうというか、自分を省みない傲慢な言い方に聞こえてしまうかもしれない。

「言語人類学」についていうと日本の文化人類学は、米国と比べて、ほとんど無視されてきた歴史があって、日本の人文科学の中で、不当に軽んじられていることを考えると、正しさ以外の観点が日本社会にはなかなかないということがいえるのかもしれません。それはなぜ?

私たちが生きているある種の人々の集まりを社会と呼んだときに、そこには何らかの仕組みがあって、その仕組みがあって、生きることができている。その社会に新しく参加していく時にどういうことを習得し、既存の社会をどのように変えて生きていくのか、ことばとともにことば以外のものも使いながら。いろいろな文化によって、その社会がことなっているから、人類に普遍的な部分もありつつも、その参加の仕方もことなっている。学びの場所を家庭や学校に限定しないで、かなり大きい枠組みの中においている。そういう大きな枠組みの中で学校教育も捉え直している。

日本での学校教育批判は、学校という近代的な制度を守っているから、批判されるべきだという比較的単純な発想で、複雑な批判ができないことが多いように感じます。単純な批判だと結局教育しないのがいい、という筋論になってしまう。教育しないのがいいのなら、言語教育も批判的な再構築もできなくなってしまう。批判が単純すぎるので、問題意識を持った研究の更新が、受け止められないのではないだろうか。学校教育批判も、学校が変われるような批判になっていないので、その結果、変われないままに大事なモノが失われてしまっていくことになってはいるのではないか。

このような私の感想は根本から間違っているかもしれません。印象的な言挙げに過ぎないだろうと思います。「言語社会化」「言語人類学」の研究を強くしたいし、日本の教育に対する倫理的でない批判やそういうものを受けた教育言語学も起こってほしい、という願いからです。学問が変わるとき、その学問を受け入れてくれる人を作っておかないと結局、以前と同じ学問しか受けないということになって、受けない学問は成長できないので、消えて言ってしまう。学問を作る時、その受け手も作っていかないといけないのです。今、教育言語学を作るのなら、「言語社会化」「言語人類学」の議論を踏まえたものでないと意味がないでしょう。

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