定延利之編『発話の権利』の刊行
2020年11月28日(土)

定延利之編『発話の権利』の刊行

(11月25日のメール通信の文章が元になっています。)

定延利之編『発話の権利』が、もうすぐ刊行されます。本書は、たいへん興味深い本ですので、ぜひ、ご覧にな ってほしいです。本書には「発話の権利」というテーマを元にいくつものトピックが並んでいます。定延先生と ともに7名の研究者が、このテーマを追究していきます。ヒト以外の場合であるチンパンジーの行動する権利、 バカ・ピグミー族のどちらが誰かが話すというよりも発話が重なっていく話し方。ジャニーズのファンの集いで の、自分が「推し」としている人の身振りを真似る時の発話の仕方、日本とニュージーランドを対照してビジネ ス会合での冗談を誰がいうことができるのか、発言されたとしても受け止められることがない場合に権利がある と言えるのかの考察、順番では発話する権利のある人の発言権を奪ってしまうことが可能なのはなぜか、車のブ レーキを踏んでいたことに気が付いた運転者しかいえない発話。本書では、言語を研究する時におおむね前提と なっている、すなわち、情報を持っている人はそのことを発言することができるのは当然であるという前提を疑 っていきます。定延先生のコミュニケーションの前提や範囲を疑っていくという一連の研究の中での論集でもあ ります。定延先生だけが書かれているわけではなく、このテーマを巡って、複数の観点でさまざまに追究してい ます。言語研究の前提を問い直す論集になっていると思います。

さらに、私見を付け加えると「人が発話することができる」というのは、普遍的な人間の権利とも思われている と思います。民主主義は、そうした普遍的な人間観によって支えられているということもできます。人間の言語 に巧いか下手かやどの言語が上級下級という区分けはなく、言語は全ての人に平等に与えられる普遍的な権利だ と前提されているように思います。現実には発話の権利が、そんなふうに満遍なく付与されているのではないの なら、どう考えることができるのか。「話し合い」の権利というのは前提とするべきではなく、疑うべきもので あるとしたら、どうなるのか。民主主義の前提を覆そうとする「暗黒啓蒙」と呼ばれる発想に近づこうと思って はいませんが、当たり前と思われている言語の前提を問い返すというスリリングな研究だと思います。言語研究 は、人文学の前提から考え直すことの可能性を持っていると思っています。 読者の方にもどうか、言語研究の前提を問う本書をさらに議論していっていただきたいと思います。言語研究に 留まらず、普遍的人間観を前提とする社会科学の研究や人文科学、そして理系の研究にも議論が広がってほしい と思います。

定延利之編『発話の権利』目次

序論

この論文集ができたわけ 定延利之

ヒト以外の動物に「権利」はあるか 中村美知夫

バカ語話者にみられる発話の借用 「発話の権利」は普遍なのか 園田浩司・木村大治

再現行為とコ系指示語の「いま」性 自身の再現を指し示す権利 細馬宏通

自分に属することを話す権利の主張と交渉 会話分析の視点から 串田秀也

ビジネスミーティングにみられるユーモアから発話の権利を考える 村田和代

維持されるものとしての発話の権利 クライアントの意向を尊重もしくは利用する 高梨克也

「発話の権利」とはどういう現象か 定延利之

あとがき

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執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。



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