言語研究で「コロナと一緒」を考える
2020年6月6日(土)

言語研究で「コロナと一緒」を考える

5月27日に配信しましたメール通信の「房主より」が、元になっています。

コロナの非常事態宣言が解除されました。私は、まずは喜びたいと思っています。まだまだ、厳しく自粛しているべきだと思う方もいるかもしれません。私の立場は、零細小企業主の立場で、全くの根絶は困難で、付き合いながら生活していくしかない、そのためには経済は回ってもらいたいという考えが根底にありますので、甘めの考えと言えるかと思います。不景気になっても、影響がないという場合にもっと厳密に考えるということもあるかもしれません。

今回、世の中を少し突き放してみるとPCR検査についての議論やら、安倍首相のスピーチやら、それに対する対論についても必ずしも議論が上手く行われていないという印象を持ちます。(雑ぱくな印象として述べてしまうことに問題があるかも知れませんが、お許し下さい。)全ての感染を調査しきることもできないし、新しいコロナですから、どういうふうに感染し、どういうふうに発病するか、どういう経済的な効果、子どもたちや学生たちにどういう教育的な影響を及ぼすか、分からないという誰も真実を知らない中で、できるだけ真実に近い姿(それを尤度と呼ぶのを知りました)を予測し、解決策も予想でしかない中で、現実的な最善を探すという局面で議論を積み重ねることが、どうもわれわれは得意ではないように思いました。コロナ対策の会議の議事録が、とられていなかったということも、問題ですが、不確定要素のある中での未成熟な議論を公開されて、それを受け入れることが、世の中にもないというオーディエンスの力不足のために、議事録を作れなかったということもあるのではないでしょうか。これは、全くの推測で、単純に技術的な問題なのかもしれないと思いますが、そうだとすると議論能力の低い社会の問題といえるかもしれません。加藤哲夫さんの『市民の日本語』という書籍を2002年に出版していますが、私たちは、今でも上手く日本語を使えていない、使える日本語を作れていないように思いました。もっとことばを尊重し、もっとことばを上手に使えるようになるようにできないか。現状のディスコミュニケーションとコミュニケーションのお粗末な現状を客観的に記録というか、記すことができないものかと思いました。

ネットで、必ずしも言語学ではありませんが、言語研究といえるものがいくつかありました。言説が、どういうふうに力を持つかの研究。批判的言説研究というとある立場から、ある言説を評価するということが多いですが、ある言説がどのように力を持つのかという研究ということも重要ということができます。

反ワクチン派がフェイスブック上での議論で優勢となっている理由が明らかに

松岡由希子 ニューズウイーク日本版
こちら

接触とコロナの感染についての研究は、言説の波及とも関連をもつでしょう。

コロナ感染マップ、誰も作らないので私が作りました

藤原 かずえ マスメディア報道のメソドロジー
こちら

ことばというものも、ウイルスと同じで接触することによって、うつることがあります。それなりに接触しても、うつらないこともあります。新型コロナ感染という災いが、言語研究にも新しい観点を生み出すことができるのなら、災いも少しは転じて福となすことができるのではないかと思います。新しい生活態度というものも、コミュニケーションをやめることではなく、ウイルスを上手に避けながら、コミュニケーションするという方向に変えていく時に、インターラクション研究を含んだ言語の研究は、何か関与することができるのではないかと思います。日常のコミュニケーションのスタイルは、社会構築されるものでしょう。どのように構築することが望ましいのか、ということもインターラクションを含んだ言語の研究の課題ということもできると思います。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

追記

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言語学会はこれから作ります。

いくつかの学会

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執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。



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