2013年11月29日(金) 情報共有支援法というのがあるといい※ ひつじメール通信に書きました内容に少し手を入れています。 メール通信を配信しました。 その中で、私が書いた文章を少し手直ししたもの。 -------------- 特定秘密保護法案について、衆議院で可決されてしまいました。私は重要な政治的な情報が十分に共有されていないと思っていますし、21世紀はこれまでよりもさらに情報がもっと公開され、議論されるべきだと思っていますので、この時期に時代に逆行する特定秘密保護法案を制定するというのはとてもおかしいことだと思います。その意味で、反対です。 私は、情報共有支援法というのがあるといいと思います。佐藤学さんや内田樹さんが訴えている「特定秘密保護法案の廃案を求めるアピール」の内容に私は全面的に賛成です。ただ、民主主義の原理を考えるとともに現代に民主主義の実際の運用についても考える方がいいと思っています。このアピールには「民主政治は市民の厳粛な信託によるものであり、情報の開示は、民主的な意思決定の前提です。特定秘密保護法案は、この民主主義原則に反するものであり、市民の目と耳をふさぎ秘密に覆われた国、「秘密国家」への道を開くものと言わざるをえません。」と書かれていますが、私は「情報が開示」されることが民主主義の基本であることについて同意しますが、情報がフロー化し、オーバーフロー化した社会では、情報を処理しきれない、情報水難、情報没溺(ぼつでき)、情報遭難が発生するために、情報の開示を忌避したい気持ちが、人々に起こってしまう危険性に注目することが必要だと思います。忌避したい気持ちを、なんとかなだめることをしないと結局、開示されただけでは、人々はついて行けず、情報が開示されないことを密かに願うようになります。情報難民を積極的に救済する仕組みがなければ、秘密保護法を推進する政党を結果として支持してしまうことになると思います。 図書館や出版社の機能は、情報難民を救済する重要な社会的機能だと思います。「開示」=オープンなだけではだめなんです。ネットの世界は、オープン化をどんどん進めてきました。少し前ならば、アクセスできないいろいろなものアクセスが可能になりました。そのこと自体は良いことだと思います。オープンが求められる時代に、むしろ秘匿することを願う時代になるということは、オープン化を進めるだけではなく、オープンな時代に応じた社会的な仕組みを作り出すということが必要なのだと思います。開示だけでなく、共有、公共化することを可能にするための仕掛けを考えないと民主主義の時代から、情報があっても情報がないのと同じような社会、いわば明るい暗黒社会へ行ってしまうということになりかねない、と思います。 オープンということが、善である、という風潮がインターネットの普及とともに、この20年くらいあったと思う。しかし、オープンであるということだけで、善であり良いことである、と考える時代は、あまりに安易な時代であった、という反省をするべき時代に入ったのではないだろうか。 ---------- 執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。 「本の出し方」・「学術書の刊行の仕方」・「研究書」・スタッフ募集について・日誌の目次・番外編 ホットケーキ巡礼の旅 日誌の目次へ
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