1. はじめに
電子文書、電子テキスト、電子化テキスト、機械可読テキスト、時には e-text とも呼ばれるもの ―― ワープロ・パソコンの普及で日常的になりつつあるのに、未だに名前はぎこちない響きで (少なくとも筆者にとっては)、しかも一通りに定まらない。どちらかと言えば説明的な呼称に近い。ほと んど「名前はまだない」状態だ。そもそも文字で書かれた文章に変わりな いのだから、特に新しい名称は要らないのではないか、という声も聞こえ てきそうだ。
文字自体が音声言語の音声をあらわす代替記号に他ならない、と考えた 言語学者もいる。しかし、「言語に変わりはないのだから、文字言語に特別 な名称は要らない」と言い切れるだろうか。まして「代替記号」という捉 え方だけで書き言葉を言い尽くせるわけではない。話し言葉と書き言葉に は異なる特性があり、別の機能をもつ表現様式として使い分けることがで きる。
文字がコンピュータ上でデジタル符号化され、蓄積、処理されても、「そ の符号は文字の代替記号に過ぎないのだから特に新しいものが生まれるわ けではない」と言い切れるだろうか。
「電子化テキスト」 等々の呼称には、テキストという既成事実の上に「電子化」という要素が付け加わったというようなニュアンスが感じられる。 「テキスト」に変わりがあっては困るのに「電子化」でめんどうなことが起 こってくる、という用語法も多い。しかし「テキスト」とはそれほど自明 なもの、疑問を差し挟む余地のないものと言えるのだろうか。
本書ではコンピュータ上で文字がデジタル符号化されることによって人 間にとって新しい表現様式が生まれることを積極的に認知するために、文 字のデジタル符号化を前提にして成立するテキスト形式の総称として「デ ジタルテキスト」という用語を使うことにした。
「デジタルテキスト」は新しい問題領域をもつという認識が本書の出発点 である。従来の書き言葉をいかにコンピュータで実現または再現できるか という問題は、つきつめれば単にコンピュータの性能の問題に過ぎない。 いかに音声を忠実に写す発音記号を作れるか、という問題は、書き言葉の もつ広範な問題領域から見れば、文字の特殊な種類についての極めて限ら れた問題でしかない。ところが文字をそのような限られた問題においての みとらえようとする考え方が今世紀の言語学の中にはあった。そのような ことがコンピュータとテキストについても起こりかねない。
コンピュータの中でテキストはいかに新しい表現様式をもち、従来の書 き言葉、さらには話し言葉とどのような使い分けが生じるのか、これが本 書の観点から見る「デジタルテキスト」についての基本的な問題であり、そ の使い分けを踏まえた「デジタルテキスト」の用法こそ、「デジタルテキス トの技法」の内容に他ならない。
さらに次のような問題もある。デジタルテキストは、ますます多くの 人々の関心事になりつつあり、一部の専門領域の人たちだけの仲間内の話 題には収まりきらなくなっている。多くの人にとって、デジタルテキスト は新しい体験であり、その体験を語るためのこなれた言葉づかいをまだま だ持ち合わせていないのではないだろうか。
言葉について語ることは、言葉のもつ最も魅力的な機能の一つであり、 それはまた言葉のもつ極めて一般的な機能であり続けてきた。「話し言葉に ついて」語るための言葉を共有しているということ自体が、話し言葉とい う表現様式を親密に使いこなしていることの証でもある。
今のところ、デジタルテキストをめぐる様々な言説は、コンピュータ技術、データベース、出版、印刷といった領域の専門用語に満ちている。も ちろんデジタルテキストはコンピュータの使い方と密接な関係があり、テ キストについて語るにもコンピュータにまつわる知識と用語法を無視する ことはできないだろう。逆にそのような用語法で語ることで、テキストに ついての一種の新鮮な語り口が生まれることも否定できない。
往々にしてそのような語り口は、目新しい用語法をあやつる効果によっ て、誰しもその道に通じたしゃべり方を身につけたような気持ちにしてく れるものだ。しかし、デジタルテキストについて語るための言葉とは本当 にそのようなものなのだろうか。それは「コンピュータについて」語った り、「印刷技術について」語ったりする言葉でしかないのではないだろう か。
新しい問題領域としての「デジタルテキスト」について考えることは、同 時に「デジタルテキストについて語る」ための言葉を吟味する作業と重な らざるを得ない。本書の課題は、「デジタルテキスト」についてこのような 二重の問題性を認め、そこから目を逸らさずにその「使い方」を考えてい くことでもある。