国会図書館で電子図書館のシンポジウムがあった。たまたま、WEBで、図書館の統計を見ていたら、開催情報を見つけて申し込んだのだった。申し込みの最終日であった。
というわけで、のこのこ国会図書館におもむいた。内容はなかなか充実した面白いものだった。会場には、図書館関係者とどうもシステム関係の人々が多かったようだ。出版社の人は、不明だが、少なかったのではないか。本が電子化された場合、出版社の刊行物を、どのようにするのかは難しい問題だ。図書館のサーバーにデータを置くのか、出版社の自分のサーバーに置くのか・・・。著作権処理の関係から、出版社のサーバーに置くのが、基本として進められているようだ。しかし、出版社が、本当はどう対応するのだろう?
そもそも出発点として、出版社側がどうもほとんど発言していないような感じに思えたのだが・・・。これは、いろいろな意味でまずい。出版社は、頼りにならないと思われているのか。確かに出版社は、守りの姿勢ばかりで、積極的に何かを果たそうとしていない。しかし、やはり、きちんと筋の通った発言はしておく必要がある。会でも元岩波書店の編集部長で静岡大学の合庭さんが、孤立無援のような感じであった。
ひつじ書房は、日本語学と英語学の大学の教科書を刊行している。大学は、4月にはじまるから、教科書の出荷が始まった。われわれの売り上げのうち、40パーセント程度をしめるから、かなり重要な仕事なのである。
それはともかく、書籍流通の大手取次店である日販さんの教科書採用の注文が、地方小出版流通センターに流れている。本当ならば、返品が原則として不可であるなど、取引条件のきつい地方小に回すのは論外なはずである。しかしながら、日販の情報の周知させるべきであるのに、うまく行っていないようなのだ。未だに、コンピュータ化された注文スリップのNOCSには「地方小扱い」と記されている。開設と同時に日販週報にも広告代を支払って掲載しているのにもかかわらずである。今回のようなことは、実は書籍流通の大手取次店のもう一つ、トーハンさんでは皆無なのである。電算化は、トーハンよりも日販の方が進んでいると言われているのにこの現象はどういうことだろうか? 情報化がうまく進まない電子化というのはどういうものなのだろうか?
国会電子図書館の前提として、出版社サーバーがあるということについては、先日触れた。現在の出版社の状況から考えるとこれは問題がある解決策だと私は思っている。独自のサーバーを持っているところ、自分でサーバーの運営が出来るところは、本当に限られているからだ。ひつじでは、自分でサーバーの運営を行うなど、ささかやながらも、様々な実験を行い、実践してきた。だが、それは少数であり、前提とするべきではないと今は思う。
現実的に、もし出版社サーバーへ、書籍の電子的な配布、購入の要請が来た場合、対応しなければならない時にどうしたらいいのだろうか。ここで、インターネットの今までの通常の考えからすると逆のことが起きてしまう。電子的な流通、インターネットは中抜きになる、今まで問屋、あるいは小売商に取られてきた利益を情報発信者が直接、ビットのデータを発信できることによって、直に情報を発信できるようになった、と言われるが、そのメリットが無くなってしまう。どういうことかというと、読者からのデータ配信の要望が来て、その課金、ID管理、発信まで行うためには、きちんとした大規模なサーバーが必要である。たとえば、オラクルのサーバーは、数千万だそうだ。単にホームページで、テキストを送るのとは状況が違ってくるからである。となると、大きな印刷所、あるいは大きな書店、などなどの高機能なサーバーを持っているところに場所を借りるか、運営を委託する必要がでてきてしまうことになる。課金に関して言うと、クレジットカードの加盟は普通の規模の出版社ではできないし、クレジットカードの手数料は、7パーセントくらいだから、それに上乗せすると、お金のやりとりだけで15パーセントくらいは取られるだろう。これに当然、サーバーの運営費も含めれば、30パーセントは超えることになる。下手をすると40パーセント越えるのではないか? こうなると電子的なデータにすることによる制作コストの減少と言うことはあるにしても、通常の問屋に卸す掛け率と変わらないか、それ以下になってしまうのである。
印刷所だけでなく、問屋である取次店が、サーバーを持つと言うこともある。課金と配信にかなり大きなシステムが必要だとすると結局、おおきな組織に依存しなければならなくなり、今までの状況と変わらないことになってしまう・・・。こんなことのためにインターネットはあったのだろうか。多くの出版社は、ほとんど何も考えていないが、せっかくのチャンスを生かすためには、今のうちに、良く考えて、システムが作られつつある今、的確な発言をしておく必要がぜひともある。巨大システムになるだけ依存しないように考えておくべきだ。
そもそも大きなシステムが必要になってしまうのは、課金とID管理と(単なるhtml文書の発信とは違う)データ発信が必要だからである。なぜ必要かというと、本を電子的に商品として販売するためである。単なるテキストやhtmlのタグ付けをされたテキストでは、コピーすることも別に簡単であるし、コピーを妨げる方法がない。多くの人々が、コピーをしないことと、お金をきちんと支払ってくれるのであれば、大きなシステムは必要がないのだが、今まで紙の本で、ひとつの製本された形というパッケージが、簡単に複製できないようにしていたのに対して、電子的なものであれば、その壁はないにひとしい。コピーできるものはコピーされてしまうだろう。これは、すでに紙の本がそうなっていることを考えると危険性は高いということになる。
断っておくと、私は出版社は、全てのコンテンツを独占して、公開しない方向でいくべきだと言っているのではない。公開するルールや方策が必要だと述べているのである。できるだけ自分のところの持っているコンテンツを電子化という不安定な状態にすることは極力避けたいと出版社の多くは、考えているようだが、これに組みするわけではない。出版物の内容は、できるかぎり公開していくというのが、原則であると考えている。
学習院大学の文学部の紀要を納入した話しは、絵日記にも書いたが、ここのところ、ひつじ書房にとって、年度末の恒例の行事となっている。この紀要は、とても感慨深いものがある。そもそも、現在の編集長但野は、この仕事を受注できると決まったことで、定期的な収入が、予定できるということで、来てもらった。それまでは、私と妻の二人で全てをやっていた。彼女が、とても優秀なのはひつじの本が、それ以降、センスが良くなったこと、刊行スケジュールが以前に比べ格段に守られるようになったこと(今もひどいが、以前はもっと酷かった。それまでは、編集をしながら決算の資料を作ったりと本当に首が回らなかったのだ)などから、わかると思う。絵のセンスもある。彼女の才能によってなりたっていることを思うと、このきっかけとなった紀要の受注は非常に大きいものがあったことになる。
そして、今は将来の学術情報の発信方法の提案と言うことで、われわれにとっても重要な意味を持つ。この紀要の電子可についてすでに何度も述べているし、『人文学と情報処理』に執筆したこともあるので、ここでは繰り返さない。関心がある方は、それぞれの部分をお読みいただければ幸いである。
これは、おまけ。書評ページなど、少しづつ改訂の準備を進めている。津野さんに活版風といわれたわれわれのホームページも、一部動くものを取り入れていく。そうだった。今日、編集長はFlashの講習会に行っている。ちょっとづつ変わって行くだろう。
この時期になるといつも書いているかもしれない。ひつじは、3月末で会計年度が変わるせいで在庫について神経が過敏になるのだ。依然、文部省の刊行助成金が、下手をすると税金でまるまるとられてしまうのではないか、との疑義を呈したことがあった。それは、本を作ってもそれは、資産になってしまい、簡単にいうと利益にになってしまう。そこに助成金が入ってきた場合、経費が200万円で、助成金が200万円の場合、会社が黒字であった場合、400万円の半分、200万円が課税されてしまうと書いたことがあった。昨年末から来てもらっている会計士さんに、訪ねたところ、資産評価額から、その200万分を引くのが正しいでしょうとのことであった。これなら、上記のようなことはなくなり、助成の本来の意味が発揮される。
さて、次に決算ぎりぎりに出来た場合、その経費はすべて資産になってしまう。200万円かけてつくった本は、200万円の資産になる。次の決算時に評価率が、100パーセントであった場合、50パーセントの本が残っていると100万円の資産になる。これは、2年間の合計では、300万円と言うことになってしまう。資産は益金算入と言うことだから、利益と判断される。これはどういうことなのか?
本を作った場合、印刷代や製本代がかかる。当然、経費として扱われると普通は思われるだろうが、税務上はそうはならない。実際に販売されてはじめて経費として認められるのである。だから、外注費を1000万円支払っても、その費用で出来た本の100パーセントが販売されてはじめて経費として認められる。仮に半分しか売れていない場合、500万円は現金で手元に置いてあるのと同じである。お金が残っていると判断されれば、課税されてしまう。ただ、売れ残った本が全て現金と同じ扱いになるかというと、出版社と税務署の相談で、売れ行きがとまった本に関しては、現金として残っていないと認定することが可能になっている。
ただ、問題はこの計算がどうも中堅以上の規模の出版社を元に作られているようである、ということである。部数の区分けが、一番少ないところで2000部となっていること、1年以内にほとんど売れている場合が前提になっているだろうことなどから、それがわかる。となると、零細学術出版の我々の在庫は、過剰なものになってしまうのである。これは、どういうことかというと、2年以上過ぎている本の在庫が、現金と同じ扱いになってしまい利益がでているように帳簿上なってしまうのだ。我々は、売れにくい本を作っている性格上、なかなか少ない給料などのもとで本を作っている。これは、実際の現金が無い以上、残念ながら仕方のないことである。下手をすると世間並みに給料も払えていないのに、税金が発生するということになってしまう。もちろん、利益が出ていれば、税金を支払うのにやぶさかではない。利益がないのに利益が出そうに帳簿上でなってしまうことに問題があるのだ。
1998年3月24日 Visual CafeでJavaアプレットの練習
Javaの練習をはじめていることは、何度か述べた。決算の苦しみの憂さをはらすため、正直に言うと苦しみから逃避するため、ちょっと遊んだ。この程度のことは本当に簡単に出来る。ただ、このVisual Cafeというソフト自体のファイルが重要な部分の仕事をしているために簡単になっていて、その部分をいっしょに付けないと動いてくれない。その付属の機能によって、プログラミングが簡単になっている。その付属物が、細かい動きの設定などを担ってくれるからだ。これは、依存のしすぎだろう。やはり、軽いものを作るには、エディターでこつこつ作って行くしかないのだろうか。
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