大学の文学部の紀要をPDF化する仕事の企画を立てているということは何度も書いてきたが、正式な了承をもらった。名前も出していいと言うことなので、ここに書かせていただくことにする。学習院大学の文学部の紀要である。アクロバットの製品版がでしだい作業に入って、大学のサーバーから論文を読むことができるようにする。これは、学術情報の公開の革命的な事件だと言る。学内にももともと準備が出来ていたので、昨年末に急速にLANがひかれており、受け入れてくれる状況にあったということだろう。理解ある決断にこころより感謝したい。
未来社の目録誌に『未来』というのがあり、社長の西谷氏がその時の様々な問題についてエッセイ(?)を書いている。先代の社長である父君のエッセイは何冊も本になっている。出版の様々な問題について書かれている。今回は『規制緩和』という筑摩新書からでた本についてであった。西谷氏の文章は前半と後半のつながらないちょっとおかしな文章であった。
その文で知ったのは、もともとその『規制緩和』という本は他社から自主的な企画で作られていたのに、刊行を途中で取りやめたために、筑摩からでることになったということだ。要するに再販制度についての記述が気に入られなかったために、はじめの会社は途中で刊行をストップしたのである。ばかばかしい。このことでわかるのは、はっきり言って出版社は、もう役割を果たしていないと言うことである。言論の不自由を実現しているのは出版社だということだ、これは痛切に反省しなければならない。読売や毎日新聞と同じレベルであるということだからだ。そんな出版なら、文化的とも守るべきものとも言えないではないか?
西谷氏の認識が、低レベルなのはそのことに対する痛切な気持ちがないということである。次におろかなのは、再販制が文化を守っているという点について『規制緩和』の著者は認識を間違っているといういいかただ。私は本は文化的な商品だと思う点では全く同感だが、再販制で守られてきた、今後も守られるという西谷氏の認識は全く間違っていると思う。いままで、文化が守られてきているとしたら、それは再販制のおかげではない。本が、啓蒙主義だったからだ。知識は、多くの人々に通用するはずであるという幻想があり、それはだれでも同じ値段で買うのが当然だという幻想があったからだ。少なくとも今後は、再販制度では文化は守られないと言う事態が訪れる。そのためには、むしろ早めに再販制度に依存しない、出版文化、流通を考えておいたほうがいいのではないか。
再来年になるが、教科書を章ごとに切り売り、まとめ売りできるようにして本を出すつもりである。これは、まだ、可能態にすぎないが、本を章で電子的に売り買いするという時代が来るだろう。これは取次店を通すべきものだろうか?教科書は、生協の軽印刷・製本機を使って作られるだろうし、本文なら電子的に決済されるだろう。値段は?様々な試みが起きてくると思うが、再販制度はそういった新しい生き残り策を邪魔するだけではないかのか?
小さな出版社のフェアを三省堂で2月に行ったことは、以前述べたが、その企画者守屋さんを囲んでささやかな酒宴が催された。フェア自体の売り上げは、年間を通しての様々なフェアの中で、5本の指に入る売り上げであったということだ。これはなかなかすごいことではないか。可能性を感じさせる。名古屋や大阪など、規模の大きい都市で、巡回して販売することも可能ではないか。
ちょっと心が落ちついたので書いておく。技術と創造の集団ということばを名刺や封筒に印刷してある印刷所がある。ここが、この春、大きなミスを犯した。本の切る位置を間違えたのである。作りなおしを依頼したが、納期に間に合わないので、断念した。しかし、その後、なんら正式な謝罪もなかった。刷り直して製本し直すのが当然なものなので製本代を値引きさせてもらった。こちらとしては、今後、注意してもらうための教育費と思った程度のものであった。しかしながら、その会社は、所長と副所長がやってきて、なんだか分からないことを言いにきた。要するに「自分らに責任があるということを認めながら、仕事を継続してやりたくない」ということらしいのである。そのこと自体、きちんと伝えられないようなのだ。それはそうだろう、話しに会わないことを言いに来たわけだから。社長の命令かね? だとしたら、馬鹿な社長だ。「あなた方は技術もないし誠意もないのですね?」といったら、否定できないでいた。それなりに技術があるかと思っていたんだけど、こんなものなんだろうか?はっきり言ってこのような印刷所は、つぶれて欲しい。
京都のある書店だが、教科書を100冊注文して、採用者に教科書を送ってくれとか、こちらにいろいろ指示を出しておいて、なんだかその教科書が生協で売られて、自分のところでは1冊も売れないから、返品したいと言ってきた。それも取次店が、替わりに電話をしてきた。あきれかえって、驚いて返品を了解したが、もう2度と売りたくないので、取次店にもう出荷をしないからそのつもりでいてくれと手紙を書いた。この100冊も最初は50冊といい、50冊追加して100冊となったのである。こんなことで、商売によくなるなあ。ひつじ書房が、その100冊の在庫が無くて重版していたとしたら、カラの注文で、本を作っていたら数十万の損失だった。はっきり言ってこのような書店は、つぶれて欲しい。
英語で執筆された研究書を出して、世界中に販売するというのは夢の一つだ。今まで何冊か、刊行し、イギリス言語学会にも出店し、おかげで少しづつ海外からも注文が来るようになってきている。しかし、あくまで国内の研究者に支えられてできることではある。ということで、近刊のThe dative and related phenomenanで、アンケートを取ることにした。以下はその下書きである。
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Dativeの読者へのアンケート
本書をお買い上げいただきましてまことにありがとうございます。小社ではタイポロジー関連などの言語学書を英語で刊行していきたいと思っています。今回、本書は5000円という値段を付けていますが、500部しか作っていません。計算すればわかることですが、総定価250万円です。書籍の刊行を採算ベースに載せるためには、本書の様な規模(300ページ程度のもの)の場合、継続的に刊行できる採算ベースに載せるためには以下のような計算となります。
組代
トータルで270万円となります。書店に卸す場合、67掛けですので、270÷.67=約400万円
つまり、500部の場合、本当は、8000円程度の定価で、2年程度で、9割かた売れませんと継続して本は出せません。できれば、3カ月以内に半分は売れてほしいところです。印刷所製本所に支払うのが2カ月後だからです。特別に依頼して一月遅くしてもらっていますが、せめて3カ月以内に、外注費分は売れてくれなければ、借金をすることになります(他の本の売り上げを食うか、実際に銀行にお金を借りる)。
今回、5000円ですから、もともと採算割れしていることになります。本書が、どのような売り上げになるかマーケティング上の実験を兼ねているので、特例としてこの値段にしています。本書が3カ月以内、1年でどのくらい売れるか、今後調査を行いますが、つきましては、読者の方にお尋ねしたいことがあります。たとえば、今回、1年間で150部しか売れなかった場合、適正な発行部数は、多分、500部ではなく、300部であったということになります。その場合、今後、比較的傾向の近い本を刊行する場合、
ということになり、採算ベースに載せるためには、13000円程度の定価にする必要があります。このことについて、その値段ではとうてい購入できないのか、それとも必要なものであれば、その値段でも仕方がないと考えるかということについてご回答をお寄せいただきたいと思います。
ちなみに、今回、DTPで社内で組版を行っていますので、上記の原価にその分は入れないで計算すべきとも言えますが、これは本来は、経費として計上されるべきものです。実際にその分の労働は投下しているわけですから、最終的には回収されるべき、経費だと思われます。この分が回収されませんと、一時的に意気込みで本を作ることは可能ですが、継続的に刊行することが出来ません。また、通常、印刷所に外注した場合、1ページあたりの英文の組単価は、4000円程度にはなるだろうと思われます。
薄給(時給800円〜)、交通費全額支給、週に1日以上働ける方。仕事の内容は、マックを使った編集の補助と発送の手伝い。PagemakerなどのDTPソフトについて教えます。