無事に雨にも降られずに移転が終了した。新しい気持ちで、進めていきたい。以下は、移転の通知です。
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おかげさまで、小社は6月より下記に移転しました。
前の場所より、歩いて1分ほどのわずかな移動です。
思えば、春日部から出版社街である猿楽町に移って早3年、前半のほぼ2年間は、「住み込み」で仕事をしてきました。おかげで銭湯や飲み屋をいくつも知りました。
また、日本語研究叢書を2冊出したり、倉庫を持ったり、税理士さんにきてもらうようになったり、ホームページを持ったり、私はシンポジウムで話をしたり、個人的には子どもが出来るなど、苦しいけれどもメリハリのついた楽しい時間でした。
今後も、日本語研究叢書など小社の中心となる研究書を、きちんと刊行していくつもりです。また、新たな試みとして独自のホームページと書籍・学術情報の公開と流通のため、書評のホームページを作ります。今後とも今までと同様のご批判とご支援をいただけましたら幸いです。
松本 功(房主)
松本久美子・但野真理・桑原祥子
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OCNは申し込んでしばらくたつが込んでいるようで、工事は7月の頭になるとのこと。サーバー用にディスプレイとキーボードを切り替えて使うことのできるBlack Box社のスイッチが届いてしまった。機能は優れものなのだが、無骨な作りで、手作りっぽい。3つのマックを共用するので探していたらたまたま見つけたのである。Black Box社のURLは、www.blackbox.co.jpである。
小社で、渡辺実先生の古希を記念した論文集を刊行することになった。30名近い執筆者による大きなものだが、実はもともとはM書院が、引き受けていたものが、回ってきたものなのだ。一般に記念論文集は、売れないといわれているし、実際にそうである。しかしながら、一度引き受けたものをことわることは、普通はないし、明治から続く老舗なのによく分からない行動だ。もしかしたら、危ないのかも? 現代語・古代語の文法の研究者の第一線の方々を集めている本論集は、そこそこ売れるものだと思うが、売れなければどうしようか? 編者との相談で、1000部作って、10500円ということに多分なるだろう。本日から、割り付けを開始した。
論文集が、売れないのは、読者が自分では買わず、必要な部分だけ図書館や研究室でコピーしてしまうからだ。これは、不正コピーである。出版社側は仕方がないので、刊行をやめてしまうか、あるいは1冊で数人分という扱いで値段を高くつけるという対抗手段をとってきた。1冊、数万円なのは言ってみればライセンスが、数人分入っているからだ。でも、これでは、いっそう個人では買えなくなってしまう。論文集には、若手の研究者も書いており、彼らにとっては、論文を書くと言うことだけでなく、校正の仕方や、出版社とのつきあい方などをも学ぶ機会だったはずだ。そういった機会を失わせるということはどういうことなのか、本当はもっと考えた方がいい。出版社にとっても、新しい執筆者を知る機会だし、執筆者がどの程度の校正能力や執筆能力を持っているかを知る良い機会だったのだ。
本を1冊作るということには、様々な付帯するものがある。
高本さんのページを、見ていたら、潮木さんという方のオンラインジャーナルについての文章にたどり着いた。実に啓発的である。私も出版人という違った立場であるが、学術情報のオンラインでの公開ということを考えていたので参考になった。この問題の基本的な文献ということになろう。結論を急ぐべきではないので、今日はコメントをしないことにする。
潮木さんの所属されている教育社会学会の学会誌の目次が、学術情報センターの中に入っているのだが、アクセスできなかった。テキストで作られたにすぎないデータであるのに。登録に数週間かかるということもあるが、学情の前からの問題なのだが、基本的に大学に勤めているか、大学院生しか、加入できないのである。英語学会の会員であることで、申し込みをしたが、登録のための書き込みの用紙は、普通の人が入れるような質問事項ではなかった。
学術情報センターの問題点は、学会誌の本文を画像で集積しているらしいことだ。アクロバットが出た今、至急この方針は変更するべきであろう。
先に渡辺先生の記念論文集を手がけている話しを書いたが、編者の先生方にちょっと文句を言ってしまった。たいへん、失礼なことではあったのだが、その文句とは、原稿が横組みのものを、縦組みにしたり、その逆というのもあったということだ。これは、執筆者の意図とは関わり無く、編者側が全体のバランスを考えてしたことのようだ。しかし、これは、横組みと縦組みでは、例文の書き方が違うことや数字の書き方が違うことに対しては不注意だと思う。執筆者が、再校で赤字を入れることになるだろうが、当然、コストが絡んでくる。我々は、研究書が高すぎると言う無言の圧力と高いとコピーですませてしまうという一種の不買運動に対して、かなり神経を使っている。植字工など印刷所で働く人々の給料が圧倒的に安かった大昔ならば、ともかくそうではない現代においては、特に極力手間を省かなければ、本の値段を下げられないのである。この点は、できるだけ、多くの読者と執筆者に知ってもらわなければならないだろう。
以下はFbookc 9番会議室に書いたことです
昨日、厚木に行きました。ある学会(認知科学会)の発表を聴くためですが、その話しではなくてその学会の場所は、遠くて、駅の近くのバスターミナルから、30分ほどバスに乗って行かなければなりません。バスターミナルへは地下の通路があるのですが、通路の中には、案内が無くて、入り口らしい階段があるのですが、10番乗り場としか書いてないのです。私の目的のバス乗り場は7番なので、先だろうとそのまま歩いていくともうバス乗り場ではいます。先ほどの入り口は10番乗り場用ではなくて、全体の乗り場の入り口で10番乗り場が一番近かったので10番乗り場と書いてあったわけです。
本の場合、通常、目次があって、索引があったり、柱があって、目的の場所へたどり着きやすいように、それなりの工夫があります。内容の記述も、かならずしもそうなっては居ないかもしれませんが、読み誤りのないように、工夫をこらしますし、読みにくいところがあって、それに気付けば、再版する時に、直せるところは直します。
これは、編集という作業があって、インターフェースをそれなりに向上させるという作業が、本を作る工程には組み込まれているということだと思います。しかし、街にはそういうインターフェースを改善する人はいないのでしょう。道路の標識にしてもそうで、地元の人間、一度通ったことのある人間にしか分>からないようになっています。
街自体のインターフェースを良くするといったことをする街の編集者といった存在が、あってもよいと思います。また、電子化の進む中、その存在も危うい>わけですが、むしろ編集者的な存在が不足しているということを言った方がいいのではないか、と思います。
ジャストシステムから、上記のタイトルの本が出ていた。3月の奥付けになっている。紀田順一郎・荒俣宏・柏木博の3氏の鼎談だが、水越伸、室謙二氏が参加している回もある。ここでは、先日のインターフェースの話しと関連して、注目したいことがある。荒俣氏が、
と述べていることは、耳が痛い。今後の時代、編集の方法も標準化というか、外部の人間に話が通じるような言葉を作っていかなければならないだろう。この他、再販制についても、紀田さんの「これは経済原則の問題だろうと思うので、そこに文化の問題などを持ち出しての反対論は、やはり本質を外れるだろうと思います。」というのは、全く正しいと思う。
一つだけ、本の作り方について言うと、この本は、目次がもっと詳しいともっと良かった。後から読み返す本だから。
ひつじ書房が、鈴木書店の口座を取れたきっかけを作ってくれた恩人で、ずっと大学生協にお勤めだった登尾純一さんが、25日から、ひつじに来てくれることになった。ひつじ書房の弱点であった本屋さん対策をはじめもろもろの欠点を改善してくれることだろう。登尾さんには、書店営業の全般と新しい事業、書評のホームページの運営をやっていただくことになる。いよいよ独自のドメインもくるころだし、時節到来ということになるだろう。今週末には、自己紹介を書いてくれるはずだ。
新しい事務所を出版・書店関係の知人にお披露目することにした。7月8日の7時から。ひつじの事務所を覗いてみたい、という方は松本に連絡をとって下されば、どうぞ。お酒持参というのが、一応条件です。