2000.9.16

時間もなく、これいじょうあたためても良くなる見込みが限りなくゼロに近いので、公開します。あくまで、不十分なメモに過ぎませんが、不完全なものも、見る力のある人が見れば、なにがしかのヒントが得られるものだと思います。

聞き間違い、理解不十分でもとの意図と違う内容になっている可能性があることにご注意ください。したがって、参照する場合は、ここから引用せず、それぞれの方々の著書にあたってください。

松本 功


HCDP2000展「コミュニティの未来デザイン」

<9月10日(日)15:00〜18:00> 

「地域コミュニティにおける協働のデザイン」

パネラー
片桐常雄 (建築士/ぶりっじ・えーしー)
岸 裕司 (習志野市秋津コミュニティ会長)
西部 忠 (北海道大学助教授)
森川千鶴 (多摩新聞社発行「多摩ガイド」編集長)
渡辺保史 (ジャーナリスト)

地域コミュニティにおけるコミュニケーション


趣旨説明(渡辺保史)

(開始よりも20分ほど遅れて松本が到着したので、後半のみ) 関係性のデザイン。ヒューマンセンターデザイン

いままのデザインではものを作るのが中心。今までのデザインでは捉えきれないものがある。

まち作り、コミュニティのデザインとして置き換えたとき何が見えてくるか?


片桐さん

世田谷区の多摩川町作りハウスで、エコマネーを発行、ツールとして使おう
パン屋さん、床屋で使っている

藤沢の例
インターネット
行政が市民の意見を聞くのにつかいはじめ、市民同士が会話を交わせるようになった。参加者少なく。激論が交わされている。

大和市の例。

藤沢
アクセス記録を見ると都内からインターネットでアクセスしている。

食事のレシピ集をインターネットで集めて、小冊子にもした。
ふじさわ自然通信
バリアフリー、インターネットで知り合えた人が、イベントということでオフ会
3月21日、引地川でダイオキシン発生。サファーの質問に環境庁に勤めている人が分かりやすく答えてくれた人
毎日散歩している人が、デジカメでとって載せていた人が、ポパイの取材。
議事録、手打ちからデータをくれといわれた。議事録がホームページに載るようになった。
くげプー。くげ沼のプールの跡地に意見をいう。

一人がまとめる。ばらばらのものをまとめる技術を開発してほしい。アレクザンダーの提言。末広がりと修練の両方を提案。35年前。


森川さん

多摩ニュータウン。その中でも南大沢、都立大学のあるところ。
一般的なイメージは、多摩ニュータウンは落ち込んでいるという前提。勢いを無くしている街。それでも老人が元気だったりする。

都心に勤めていたが、出産後に多摩ニュータウンに。地域を中心に活動。管理組合が集まってはじめた。
NPOフュージョンという団体。
公団が主体で行っていたものに、市民が参加化し、公団が手を抜いた段階で市民の雑誌になった。それがNPOフュージョンの母胎。
管理会社にお任せであった。住民が求めるサービスとは何かということをNPOが入って、住民が望むサービスに変えていく。
保育園が地域の活動の中心。ビオトープの提案があった時に、牧場があり、酪農家がそこで使うものを堆肥化して戻す。住民のアイディアと住民の縁や保育園の父親が大工仕事で作った。
学校が休みになるときに地域の人が先生になり、生徒になる。勤めている人がweekendの時に
多摩未来
大学の先生、行政、市民が集まった。多摩ソゴウの跡地をどうするかの意見を集約していく。
高齢化が進んでいる。初期のころに開発された地域。多摩葬研というグループ。多摩ジャーナル。
エコマネー。コモ。ものとの交換が無いので、コミュニケーションツール。会員60名の中で流通。自分でできること自分でやってほしいこと。猫のえさ。話づきの人の話を聞く。
ぽんぽこネット。2年5ヶ月。15人でスタートで、300を越えた。9000メッセージが流れた。活発な議論が流れている。ネットワークコミュニティ。
酪農家。バルククラーが故障。牧場の前にみんなが集まった。300リットルが消費。
多摩未来
三宅島から避難してきている。情報がせっかくあるのに、情報が伝わらない。インターネットにつなげるわけではない。行政からも支援・信頼を受けている。
べきろんでは動かせない。気分を行かせる場があれば、生かせる。ここまでやれたねということ。気分のコンセンサスが地域を動かしていく。


岸さん

習志野市秋津コミュニティ
融合を実行、学校と地域社会
秋津小学校を基地にしながら融合活動を行っている。
あき部屋を1階にまとめてもらい、そこで39のサークルが運営されている。50人で運営委員。9人がかぎを持っている。いざというときに避難所。かずさぼり。電気を使わない井戸掘り。20日述べ1000人でほって井戸を作った。屋上にジャグジーツキノ風呂。融合。学校と地域のメリットを同時に果たす。融合の発想。ビオトープ、環境教育。田んぼ。自分たちのコミュニティをデザインする。

学社融合。企業も。行政、防災。情報過疎者を出したくない。千葉工業大学との協力。企業+NTT。
7500人すべての憩いの場
学校教育機能
防災
社会教育
環境保全機能
お風呂
学校給食。標準家庭18歳以上の子供と両親。地域の給食総合サービスにしてもいいのではないか?
公立、義務教育、行かなければ行けない。本人が楽しく通える学校でありたい。それを支える地域でありたい、学校経営をしてほしい。PTA。あってよかったPTA。住んでよかった。
不登校児がここ5年ゼロ。


西部さん


LETSという地域通貨があった。カナダに住んでいたときは、うまく行くと思わなかった。丸山さんという人が教えてくれた。90年代いろいろ見てきて、考えが変わった。肌で感じる。地球全体がひとつのマーケットになる?コミュニティは小さくなってしまう。本当に起こっていることは?
通産省の調査。PDI82年から、住む費やす働く育てる学ぶ交わる遊ぶ癒すなどのキーワードで調べている。

公正が増えている
自由・快適
安全・安心→低化

育てる・交わるが低化したのはどうしてなのか。お金の関係。

お金がメディア。マーケットが広がることがコミュニティを

お金とコミュニティの親和性を強めたい。地域の中での人のつながりを強めるようなツールとしてのお金。お金をデザインする。

全国では30個所以上。北海道の中でも7、8個所。

地域を生き生きさせる。地位の経済を活性化、地域のコミュニケーションを活発化させる。
相互扶助、ボランティアとして普通の意味で捕らえるとそうなるが、経済の考え方で言うとそれだけでは不完全。交換の要素をいれながら、互酬。

3000から4000
1 信頼
2 一定の地域の域内循環;自立的な循環
3 利子が付かない。ためても利子は付かない。持っていればいるほど価値が減る。1930年代にスタンプ貨幣。裏にスタンプをはっていかないと使えない。ためないで使う。オーストリア。アメリカはニューディールでコミュニティ通貨を禁止される
4 コミュニケーションをより活発にしよう。
5 理念、福祉、環境の理念を実現するために使う。テーマを持ったお金。
6 人々に安心感を与えるというよりは、参加している。

紙幣型
口座を持つ。口座0から出発。記帳していく方式。

イサカ・アワー。エンデの遺言。紙幣式。委員会、ルール。ミニ中央銀行。9人の委員会。
新気加入者に対して。
寄付。
貸し付け。
ニュースレターに書いている人にボーナス。

LETSは通帳方式。記録をつけていかないと行けない。個々の取引を、有機野菜、公開される。匿名性がなくなる。

こっちの方が黒字赤字がいつも支え宛いる。マイケルリントン。スマートマネー、スマートカード。自動的に記帳していく仕組みをGETSという仕組みを作った。

地域通貨、エコマネーということばがはやっている、加藤さんが通産省。

加藤さん、市場と非市場の住み分け。介護や福祉をエコマネーで、通常の経済はリアルなマネーでと区分けする考え方。

住みわけをしないで、どっちでも使える。

栗山町、クリンという単位。530人。

ポットラクション。2
月に2回。わいわいがやがややりながら。ポットラック、オークションの合成語。
www.econ.hokudai.ac.jp/~nishibe


渡辺

地域のおける情報デザインを考える。七飯町に3年前から住んでいる。デジタルとフィジカルをつなぎ合わせる。結節点を作ろう。ノード函館。言いっぱなしでは無く、実際になんかやろう。アイディアはたくさん出るが実際のかたちにならない。函館の地域ポータルサイト、検索エンジンとモールが融合した玄関口。

まちGOO。
アクセスする人は消費者。これはこれであってもよい。

ドウナンドリーマーズネット。手助けをしてくれる人を探す。
27の地域市町村にウェブマスターを決める。

アナログをどこに残すのか?
世話役をどうやって育てるか
地域コミュニティを育てる場合の規模は?世田谷区の場合、三軒茶屋の場合。

松本の感想

多摩の南大沢にしろ、秋津にしろ、過去のコミュニティがないか、ほとんどないところで、新住民だけで、あるいは新住民主体で運営できるあるいは運営せねばならなかったという状況にある場所である。そこできちんと運営することが容易である、というつもりはないが、既存の商店街がある、前から住んでいる人がいて、新しい住民がいる、商店街があると同時に新しい商売を模索しているというような場所での事例が欲しかった。

いいかえるとその地域で生活の生産の部分をやっているひとびとがどうかかわるのか、ということ。消費者的な生活者だけではなく、パン屋さんにしろ豆腐屋さんにしろ、地元の看板屋さん、あるいは印刷所、出版社などなととの関係がどうなるのか、そっちのことを知りたい。

それがなければ、協働というキーワードが生きてこないし、地域での協働がなければ、地域通貨などはあまり意味を持たないだろう。

私に具体的な結論や提案があるわけではないが、さらなる議論の展開を期待したいところであると同時に私自身も生活の中で考えると同時に、出版人としては<住まう>とはどういうことなのか、とか<働く>とはどういうことなのか、などの議論を仕掛けていきたいと思うのである。