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2000年8月12日 7月から8月はじめ

鎌田先生に教えていただいて、函館で開かれた日本語教育研修会をのぞきに行った。鎌田先生は、京都がホームグラウンドであるのに、アイヌ語学者の村崎恭子さんの後任で、日本語研修会を主催している函館国際交流センターの顧問になっているとのこと。

函館では、ホームステイが15年前から行われている。センターでの教室の中の日本語教育と滞在先での日本語学習の関係ということが、議論の前提になって、内と外での日本語教育ということが、テーマであった。牧野成一さんは、米国での外国語教育協会の提言を引かれて五つのCということを言われた。コミュニケーション、コネクション、コミュニティ、コンパリソン(比較)、あれ、後もう一つは・・・、カルチャーだった。

一日目に話しをされていたパネラーの春原さんは、坊主頭の竹中直人に似た方で、つい先日、大阪大学の臨床哲学研究会の中島義道さんの講演会での資料に中島さんとの対談が載っていて、関心を持っていたので、思いがけない意外な出会いに驚いた。何かの縁があって、つながっているものがあるのかもしれない。

ただ、春原さんはコミュニティと日本語教育の関係は、リアルな地域社会ではなくて、教室の中で、特定の関心を共有している人との関係だと言っていたのは、理解できなかった。実際のコミュニティをわざわざ除外するのはどういうことなのか。団塊の世代の「地域嫌い」なところが、でているのだろうか?

鎌田先生に引率していただいた、市営温泉は露天風呂にいけなかったのは残念だが、なかなかよかった。名古屋大学の尾崎さんにいろいろキーパーソンを教えていただく。

8月1日 浜田さんの引きで、JCAFEの理事になった。JCAFEは市民の力をコンピュータによって、いっそう活力をつけようという運動体である。午前には理事の山田さんに来ていただいて、サーバーにPostgresSQLをインストールしてもらう。これで、データベースを動かしたい。

8月2日 渡辺保史さんに事務所を訪問してもらう。彼こそ、まさに函館で地域とインターネットについて考え、実行している人。「情報教育応援団、学校の壁を崩せるか」(『本とコンピュータ』2000年8月号)は、面白い。函館で会えず、来ていただいた。昼は、知のフィールドワークの新しいインターフェースの打ち合わせ1度目。夜は、家族でひつじの10周年のお礼の会を御茶ノ水の銀座アスターで開く。娘と久しぶりに会う。

8月3日 夜は、投げ銭でお世話になっている橋本大也さんが作った会社データセクションのお披露目パーティに出席。まぐまぐを作った深見さん、A-Girlの伊藤淳子さん、ブックレビューの三根さんに会う。

8月5日 ViVA!で、南研子さんの講演会を開く。アマゾンのインディオを支援するNPOをやっている方。彼女は、アマゾンで、電気も何もない中で5感が研ぎすまされていき、第6感が目覚めたという。彼女の本(『インディオからの伝言』本の木)を読むと、なんとインディオの病気を治したり、まさに呪術師の能力を発揮している。恐るべき人。話しも面白い。小野田さんとあって、停滞している進化する図書館のプロジェクトをすすめようと立ち話する。

8月6日・7日 南伊豆で休暇。娘がはじめて海で泳ぐ。浮輪だが、2年前はこわがって水に入らなかったことからするとすごい進歩だ。旅行に付いていって、親たちへの義理は果たしたと思ったのか、帰りに幼稚園で、兎の世話をすると、また、祖父母の処へ行きたいという。小石川よりも春日部の方が空気が綺麗だからか?

8月9日 知のフィールドワークの新しいインターフェースの打ち合わせ2度目。T嬢が参加、頑張ってくれるので、進みそうだ。火星の地表の絵を入れるのだが、Vikingの写真がなかなか感じが出ていて良い。ルーズだが、「NASAより」でよいでしょう。夜は、スパゲティを食べる。Iさんの言った1万から2万する野外コンサートで自分の好きな曲以外は、聞かないで邪魔をするという話しに愕然。

8月10日 『認知言語学の発展』の翻訳権についての回答が、2つから来る。あと一つ。夕方は、14日に行う鼎談の後の食事場所を選ぶために渋谷のタイ料理屋さん「KABARA」へ。中国風というか、バブルの前に作られたというホールが、広くてゆったりしている。ワインもおいしい。

8月11日 「出版の敗戦を考える会」(私が勝手に付けた名前)の集まり。白熱するが、上手くまとまらないかと思ったら、小田さんの発言でどうにか前向きに動き出しそう。

2000年8月15日 対話をめぐるテイダン

14日、哲学者の鷲田さん、劇作家の平田さん、精神科医の崎尾さんの3人で鼎談を行った。初回は、平田さんのホームグランドのアゴラ劇場の稽古場で行った。テーマは、「対話」。しかし、その議論の入り口に立ったという感じ。でも、そのことは、議論が上手く行かなかったということではなくて、そもそも、対話する人間は、自分自身と対話できるのかという(私の予想よりも)さらに前の前提を話し合ったということになるのではないか、と思う。

一回目を終えた後の食事に、平田さんの奥さんの陽子さん(平田さんのやっている青年団の女優さん)が、鷲田さんのファンということで加わった。初顔合わせは緊張したが、テイダンの後の食事は、なかなかくつろいだものになった。対話にどう向かうように議論を進めるかが、次回以降の課題。これは私の。

2000年8月16日 現代思想の本を売るシステムがあるか?

東浩紀さんという方がいて、浅田彰の2代目だそうだ。この説明は、ほとんど意味がないなあ。サンデー毎日で大月隆寛さんがいってたけども。つまり、現代思想の若手の旗手であるということだ。私は、山根信二さんとの対談が面白いと言うことを教えてもらってHPを見たに過ぎない。(その対談は、論座の6月号にのったもので、バックナンバーを買おうと思ったら、朝日新聞のホームページからは買うことができなかった。ちゃんと買えるように作っておいてほしい>朝日新聞出版局)その対談はこっち→コンピュータ文化なき日本

彼のホームページの中で、唐沢さんとの論争(?)について書いてあって、変な意味で面白かった。というのは、東さんは現代思想系の本のマーケットが、数万部と認識しているということが書いてあった。うーん。私は、この認識は甘いと思う。今を生きている期待のホープとしてはあまりに子どもっぽい判断ではないだろうか? 彼の本を出した新潮社なんて、小田光雄さんの本を読んではじめて出版界の現状が分かったというトンチンカンなのであるし・・・。「思想としての出版界の沈没」というテーマを今の時代に全然認識していないとしたら、これはかなり重大な問題なのではないだろうか?そもそも、『批評空間』(太田)で連載していた原稿を、新潮社で出すと言うことは、弱小出版の私には許しがたい行為ではあるのだが・・・。批評空間の編集者に聞いたら、いろいろなことがあって・・・(必ずしも彼のわがままではない)ようなことをいっていたが、どうなんだろうか。該当部分は以下の通り。

『エヴァ』ブームのときには確かに小谷真理氏の著作のような例外があったが、それは決して一般的なことではない。例えば、僕や野火ノビタや宮台真司や香山リカが原稿を寄せた『エヴァンゲリオン快楽原則』(第三書館)は、僕の記憶が正しければ5000部も売れていない。もしかしたら唐沢氏の本はバカ売れしているのかもしれないが、それは僕たちとは関係ない。(中略)それゆえ、少なくとも僕の場合は、金銭的、部数的なことを第一に考えれば、今後とも現代思想や文芸評論に軸足を置くのが最善とさえ思われる。例えばつぎにオタク文化を主題にした本を出しても、おそらく『存在論的、郵便的』の半分の部数もいかないだろう。これは、現代思想については少なくとも数万規模の固定読者が確実にいて、広告を打つべき雑誌や本を売るルートが確立しているのに対し、オタク系評論ではそのようなシステムがまったく整備されていないからだ。(以下略)
(もとの文章はこちら→唐沢俊一氏の「悪口」について

2000年8月19日 GNUTELLAのもと発見

GNUTELLAは、インターネットでパソコンにある情報を共有できるようにするソフトだが、その名前はNUTELLAというパンに塗るチョコから取ったとかいてあった。聞いたことがあるようなと思って、食卓を探してみたらあったのでデジカメでとってみた。

著作権の議論が、日経新聞とか、日経産業新聞とかでよく取り上げられているが、アーティストは困惑で、著作権法学者などの大学の先生方は、グヌーテラのような存在に比較的好意的であるという構図になっている。複製が可能なことを前提にした著作権をなどという。この発言自体、現状に即しているし、議論を進めていく価値はある。しかし、ここで問題にしたいのはその言葉は、どこの土台にたって発せられているのか、ということだ。大学の先生方は、自分たちのコンテンツ、書いた本さらには授業までもがデジタルコンテンツになるということを想定しているだろうか? 大学はいつまでも安泰だと思っているのではないのだろうか。授業も講義も演習以外は、複製可能なものに過ぎないと私は思う。週に6コマ教えているとして、対人的に個別に教える必要があるもの以外はすべてデジタル化可能である。つまり、概論の授業のようなもの、著作権法概論のようなものは、非常に優秀な一人か二人の講義を録画して、配信すればよかったりするのである。もし、6コマが2コマになった場合、専任講師は必要がないということになる。

大学の数が、現在の3分の一になる・・・。ほとんどの授業は、単なる複製に過ぎなかったりするからだ。そうなることを想定しないで楽観的に発言している著作権関係者を見ると、自分は対岸の火と思っているのだと思ってしまう。今の3分の1になれば、大学に就職するにも本をきちんと出しているかということがいっそう重要になってくるだろう。その時複製がフリーなら、出版社は本を出さない、著者が、全部買い切る場合以外は。著作権というのは、出版社が複製して、その分を印税として払うと言うことではなく、著者が、複製権を出版社に払うということになる可能性もある。

大学の先生方は、あと10年くらい立たないとこの意味が実感できないだろう。私はGNUTELLA自体には敵意をもっていない。これが、「本サーバー」を実現するタネの一つになってくれればいいと思っている。(そもそも、日経産業新聞にしろ、自分の立場はどうなっているのだろうか? ここにも棚上げの癖が出ていると思う。自分のことだと思わないから、議論が深まらないのだけれど。)

2000年8月21日 Bookcafeライブ企画書

本をめぐる前向きな議論のリアルな場所を作りたい。本を書いた書き手、本を作った編集者が、サンドイッチとビール程度の軽食を取りながら、90分間のライブをする。

本のプロモーションにもなり、本をめぐる意見の交換の場所にもなるといい。したがって、来てくれるように呼びかける相手は、最優先は書店の書店員(新刊本が中心だが、古書店、新古書店でも可?)で、次に編集者で次に書き手で、次に読者ということになるだろう。図書館関係者も範囲内。実際に営業・仕入れも可とする。(版元の担当者が、注文短冊を持ってくれば。)

できたら、書店の人は100人規模で会員になってもらえるといい。当日、書店の人は500円引き。版元によっては、見本本を提供?。

実際の話し手は、本をもうすぐ出すか出したばかりの著者・担当編集者にお願いしたい。彼らが、実際の仕入れ担当者、買う読者向けにプレゼンテーションをするというわけ。教養講座ではなく(そういう要素もあるが)、非常にシビアな営業活動ということになる。でも、これは音楽業界ではやっていることだ。そんな緊張感が何かを産み出していくことができれば面白いだろう。

ただ、実際に行うとなれば、書店の人が来やすい時間・場所というのはどこだろうか? もしかして、ランチタイムがいいとか、あるいはもう本当の深夜だとか、あるいは10時からとか・・・。

これは思いつきにすぎないものだが、書店員の方の声を求めたい。

2000年8月23日 ブックマップは優れたサイト。でも、インターネット的じゃない

ブックマップというサイトがあり地方小出版流通センターと組んで、地方小であつかう書籍の新刊情報を載せたり、立花隆のページと連携したりして、面白い。文化通信の星野さんに電脳書店構想というのを7月のはじめに教えていただいて、読んで、共感を覚えた。そのページはここ。なかなか面白いと思う。書評をオープンソースにして、本が買える仕組みを作っていこうと言う考えは、私が参加している書評ホームページも持っているものであり、共同に何かできたらいいと思う。

ただ、いくつか問題点がある。それは、次の3点。

  1. インターネットエクスプローラー以外でチェックしていなかったということ
  2. ネットスケープでは見えないということを指摘しているのに、1月も何もしなかったこと(今は見える)
  3. こちらは、メールで実名で指摘しているのに、一度も名前を名乗らないこと

本というものは公共財である。あるいは公共性を目指すものであるはずだ。それが、マイクロソフトのインターネットエクスプローラーでしかみえないという設定で、指摘されても1月もほっておいて、問題だと感じるところがないのだろうか? たとえば、特定のソフトでしか読めない新聞を公開していると言うことが許されることだろうか? 許されると思うのなら、出版人ではないだろう。文句爺みたいになっていやだが、こちらが実名で指摘しているのに、名前を名乗らないと言うのはどういうことなんだろうか。理解に苦しむ。インターネット的じゃないんだよなあ。自分で出来ることを自分でやる、というのが、インターネットの自助の精神だと思う。そういうことがないのは、何か昔の人って感じ。その点ではに触れた東浩紀の方がまだましだ。彼は自分でHTML化している。その点は自分で勉強して、ホームページを作っているのだ。技術と表現は関係しているというのが、現代的である。それがないのなら・・・

2000年8月25日 筑波山のふもと、綱火

23日、午後から半日の夏休み。綱火という花火の(民俗)芸能を見に行った。23日の3時半に8人乗りのレンタカーを運転して、つくば市の隣の伊奈町の高岡地区の芸能、綱火を見た。始める前、長く、盆踊りをするわけでもないのにスピーカーからは茨城音頭が流れ、私の娘はつられて踊りだす。ビールを飲んで、しばし待つが、7時半にやっとスタート。

これが本当に壮絶。祭礼のスタートをする時に、神殿に花火の「繰り込み」を行う。花火を入れるというのはただ持ってくると言うことではない。それは花火を神殿に持ってくるのだが、火がついた、火が吹き出している花火や回転している花火を神殿に持っていって、火を神殿に浴びせかけるのだ。数年前には、神殿が焼失したそうだ。これが、30分くらい続き、あたりに火の粉が飛び散る。

次に人形や船などの作りものをひもで操作して、人形などが空中を舞いながら、花火で舞う。踊りのシーンは、暗い中であり上手く撮影できない。なかなか見事。途中、祭礼の文字が浮かび上がる

最後になぜか自衛隊機の空中戦。最後には、対空砲火のような花火が連続して、空へ向けて放たれる。なんとも日本は平和である。ロシアでは、潜水艦が沈んでしまった日に・・・。(さらに、抗議する母親を鎮静剤で沈めてしまうとは、テレビカメラに映っていたとはなんともはや。)

私たちの20世紀、最後の夏休みは、その後、つくばに行ってメキシコ料理でチキンを平らげて終わったのである。妻は、マスターにオレの飼っている犬も食わないと言うくらいに骨だけ残して、食いつき、娘は、ラテンのリズムで踊りだした・・・。花火とチキンで、ストレス発散になりました。身体が軽くなったように感じた。

2000年8月27日 データベース講習会+メディアリテラシー+オンライン読書

JCAFEの技術セミナーで、データベースの講習会を受けた。JCAFEの理事になっているので、企画した方でもあるのだが。ホームページを単なる表示板ではなく、様々な動きをさせるためにはデータベースをかませる必要がある。このことについては、追ってまた、書くつもりである。PHPはSQLを動かすためのものだが、SQLのコマンドを埋め込んでおけばいいのかと思っていたが、当然ながら、それは文章で書かないといけない。これはやはりプログラミングである。とほほ。

夕方には、先頃『メディアリテラシー』を刊行した菅谷さんと合流。この本については、BK1と書評HPで書評を書く予定。

『「オンライン読書」の挑戦』(晶文社)を送っていただいた。ありがたいことである。ざっとみた段階での感想を箇条書きにする。ここでは、批判的な感想を述べることにする。

揚げ足取り風になってしまったが、それは私自身の問題である。文学主義と学校主義、そして啓蒙主義から逃れようともがいているからである。そういう目からすると楽観的に見えてしまうのである。それをいつまでも繰り返し続けていていいのだろうか? でも、それは昨日までの私である。

2000年8月31日 8月最後の週

27日 認知言語学の発展のため、日曜出勤。きれいな紙に打ち出す。

28日 ルーターダウン。専務が、サーキュレイターの電源コードに足をひっかけ、電源が切れたせいとは断言できないが、これがきっかけでとどめをさしたもよう。いろいろやったが直らず、秋葉原に自転車で行って、代替え品を購入。ほぼ8時間は、メールも何もかもストップ。生命線を断たれた恐怖の時間であった。ルーターは、ひつじのネットワークを外とつなげる肝の部分。

29日 認知言語学の発展の表紙を三美さんに渡す。

30日 認知言語学の発展の本文を三美さんに渡す。娘が帰還。

31日 『図書館の学校』の座談会。「図書館は不登校児を受けれるか?」で、私が提起させていただいたことについて、図書館の司書の方々と話す。気が付くこと多し。

8月も終わってしまった。やり残したことは多い。

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