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2000年2月9日 風邪でダウンで情けない

今年の風邪は、本当にたちが悪い。寝込んで、汗をかいても直らなかった。たいてい、寝込むところまでいっても、2日ぐらいで直るのだけれど、今回はだいたい一週間かかってしまった。今は、どうにか直って、娘にうつして、妻にうつして直ったようだ。始末が悪いですな。

かろうじて、復帰したので、調子を取り戻して頑張りたいと思っております。

と思ったら、昨晩から、またSPAMメール(多量のばかげたダイレクトメールを送りつける)が、ひつじのメールサーバー経由で送られているのが、分かって、メールサーバーを対策を講じることのできる有料版にしようと決めたのだが、上手くクレジット決済ができず、しかたがないので、4月10日に切れる次のβ版をとりあえず入れてみようかと思っているところ。何と7000通近いメールが、OUTGOINGメールボックスにたまっていた。これは本当にまずいだろう。メールサーバーも機能しなくなってしまうし、よその人にも迷惑をかけてしまうことになる。

2000年2月12日 ひつじの向かう道あるいは過酷な運命。

私がひつじ書房を作るときに考えていたことがあった。それは、既存の二つの出版のあり方を、批判的に乗り越えるということだった。私が所属していた出版社は、国文学の専門書を刊行する出版社だった。専門書ということで500部とかの少ない部数の本をもっぱら刊行していた。原稿は教科書的な性格のあるもの以外は、ほとんどが著者からの持ち込みだった。この結果、かなり高価な値段で刊行するということになった。その中で私は高価であることの功罪について考えさせられることになった。

高価であること自体が問題だというほど実は、簡単ではない。500部という刊行部数のものであれば、10000円以上になることも仕方がないことである。仮に10000円で500部であれば、総定価で500万円にしかならない。これでは、外注原価に120万円程度しか掛けられないし、もし売れたとしても利益はないのだ。だから、10000円だからといって利益中心主義と言うことにはならない。多くの人は一万円という値段だけをみて、作るコストの回収の方法にはおもいが及ばない。だから、私は少部数の研究書の意義というものを考えさせられることになった。一万部売れる内容ではないものを、安価に出すことはできないし、関わる編集者は生きていかなければならない。当時、日本大学の教授は、40代で給料が一千万だと聞いたことがあった。専門書の出版人は、決してそんな給料をもらうことはあり得ない。本は高いとしても、それはマーケットとの関係でそうなっているのであって、そこに法外な利益はないのだ。とはいえ、問題は、内容を判断する能力に不足があって、その本が普遍性を持っているか、判断できないことにあるから、一律、少部数で本を作ってしまうことにある。

一方、普通の一般書を出す出版社の出す人文書の内容は、決してオリジナルなものではなく、欧米の思潮の2番煎じだったり、数千部クラスの本を作るノウハウしかないために、数千部を売るための本の作り方になってしまうことも多い。その結果、情報の単なる輸入屋になってしまう。欧米のトレンドを後追いするだけのブローカー。一般の人に分かりやすいと売れないと思うから、本人が書きたいことを何倍にも薄めてしまうことになる。何のために出したのかわからないような本ばかりだと感じていた。輸入ブローカーではない、デベロッパー、インキュベイターになるためには、本当の画商のような才能が必要だろう。書き手を作り育てること。その機能は、一般書を出す出版社にはなかなかない。

どういうことがおこるか。たとえば、レビストロースとも交流のあった文化人類学者の記念論文集の末路。論文集を出そうとしたところが、一般書は出せるが、専門書を少部数で出すノウハウがなかったから、本当は専門的な内容で出すべきその本が、結局、いろいろな地域文化に関するエッセイ集になってしまったという。文化人類学者としてそうそうたるメンバーが執筆することになっていて、日本の文化人類学の水準を示す内容の研究書を出す可能性もあったのに。その可能性を潰し、単なる雑文集しか作れない一般書の出版社。これも一方ではとても情けないことだ。

考えないと行けないのは、専門書を専門書として出すと言うことも、意味がないわけではないということだ。それが必要なときもある。こっちの場合、いつも数千部の本をだしている出版社では、数百部の本を出すノウハウがないためにしかるべき水準の内容の本を世に送り出せないのだ。(一方、文化人類学者が山口昌男をはじめとして、スターは産み出したが、地道な内容の本を出せるような研究発表システムを作れなかったところに、問題があるとも言えよう)

それなりに安価な一般的な本と、オリジナリティはあるが、部数が少なくて高価すぎる本。その両方とも何か違和感を感じていた。私は、500部の本の存在を認めつつを、もし、内容が普遍性を持つときは、打って出ることも可能な柔軟な体制を取るべきだと思った。専門書だけを刊行する地道な出版社の欠点は、いつも地道に出しすぎるために、希に出会う可能性のある本に対しても、そのいつもと違った可能性に賭けるという冒険ができなくなってしまうことにあると思っていた。だから、専門書を専門家向けに出すという前提は持ちつつも、その枠にとらわれない出版をしたいと思ったのだ。

これは、既存の専門書の出版社に対する批判と同時に、専門書を専門書として刊行できない一般書を中心に出している出版社両方への批判を胸に抱いていたということになる。

これは、苦難の道である。専門書をもう500部しか売れないと決めつけて、それなりの方法を一貫して継続する方が、実は楽なのだ。特に一人か少人数でやっている場合。いつも少部数の本を出している出版社は、書店への営業力がないし、一般紙で書評に取り上げてもらうノウハウもコネもないから、2000部を売り切れないのである。一方、いつも一般書しかだしていないところは、一般書しかだせないのも問題だ。固い少部数の本を出すことが、できない。

一般書は、専門的に意味が無くても、書評に取り上げられる。専門書は、新しい情報を生み出したということで意味があっても、新聞などの書評に取り上げられることは決してない。取り上げられても、書店に入らない。このギャップは何とかならないものか?

新しく生み出すものは、だれでも読みやすいということでは必ずしもない。しかしながら、新しい知を継続的に、生産していくためには必要だし、重要なものだ。そういうものは、広く評価されない。評価される場所もない。つまり、ひつじ書房が新しい形式をもった出版社を成り立たせていくためのインフラがないということ。日本の場合、セミプロを上手に作り出すことができなかった。500人と5000人の中間がない。500人をコアにして、周辺的に支える人が数千人いて、その人たちが支えてくれる仕組みがない。したがって、インフラから作らないといけないと思ったのは、このような既存の出版のカテゴリーと違った出版を作ろうと思ったところにすでにあったのかもしれない。それはまた身の程をしらない愚かなドンキホーテのようなことだったのだ。

500人だけを相手にしているのであれば、学会にこまめに行くことでいいだろう。これは、私のいた桜楓社や笠間書院など国文学系の専門出版社などの場合。最近では、岩田書院や、若草書房などがこのやり方。きちんと読者をつかんでいれば、それなりに安全な方法である。逆に一般的な宣伝・広告・書店営業はあまり意味がない。逆に5000人を相手にしているのであれば、学会に行くのは意味がなくて、宣伝したり、書店営業が必要になる。平凡社とか筑摩書房とか晶文社とか、一般的な出版社。それなりのブランドが確立していれば、回していける。このハイブリッドのためには、これを両方行うということではなく、新しい仕組みが必要なのだ。専門性の高い書評が存在することや書店に在庫をするのではなく、即応性の高い書店配送(この前提は書店が買い切ることが必要で、目利きが必要になるし、それなりの経済的な体制が必要)の仕組みが必要になる。この道を目指してしまった時から、苦難の道は決定済で、インターネットを使った新しい試み、さらに書評や投げ銭さまざまな試みをせざるを得ない運命にあったのだろう。

ちなみに一万部以上を最初から想定している大手の出版社の場合は、またべつということになるだろう。

2000年2月19日 UNIX講習会

今日は、UNIXの講習会をした。Mさん、Tさん、Sさんの3名。皆さん学生さん。ひつじの黒板に講習会をやると書いて置いたのだが、自主的に参加してくれた。ありがとう。

Tさん以外は、文系頭で、なかなか難しかったようだ。とはいうものの、3人ともperlを使ったCGIははじめてだったのだが、最初のステップはみごとにクリアした。おめでとう!なかなかのものである。私が、大学生の時にプログラムを作るなんてことは思いもしなかった。私自身、ホームページを作り始めてタグを手で書くようになるまでは、こんな私になるとも思いもしなかった。この変化は、ほんの数年間に起きたことだ。

それはともかく、3人ともよくやったと思う。

これは、私がこれから、ホームページをもっと使って新しいことを機動的に動かしていこうということの素地を作ることで、それに協力してもらいたいと思ったから、であり、手伝ってもらいたいこともたくさんあるのである。山積みだ。過重になっていはいけないが、期待しているのでよろしく願いたい。

大変と思うかもしれないが、実際に必要とされている作業をすることで、学べるものもあると思うし、私もそんなに詳しいわけではないが、できるだけ、わかる限りで教えていきたいと思っている。よろしく!
3人の今日の感想は、以下の場所にある。
MさんTさんSさん

2000年3月2日 NPOの問題

山形さんが、またやってくださいました。私も異論を書きました。www.hituzi.co.jp/altcommu/hot-index.htmlです。

追記
上のURLの文章は、お遊びで書いたものです。内容は間違っていないと思いますが、間違ってもリンク付きでホームページに載せたりしないでください。URLを書いておくのは、ご自由です。クチコミで広めるのは構いません。
ある種の宴会芸としてお楽しみください。今は、忙しいので、クレームが来ると困るんです。文体模写というのがあるように、ページ模写というのがあってもいいと思いますが、法律上の見解で争いたくないですので。柳原先生が帰国してからにしてほしいです。
密かな楽しみとしましょう。といいながら、火に油を注ぐのが好きな(?)Mさんが、もうすでに山形さんにメールを出してしまったようです。江戸っ子でもないのに気が早い。できることなら、年度が替わってからにしてほしかったというのが本音です。

2000年3月14日 UNIX講習会の2回目

3人に土曜日に来てもらって、perlでCGIを動かす「研修」を行った。3人いるといろいろあって面白い。というか、それぞれ間違うところが似ていたり、違っていたり、ということがあり、私も過去にやった失敗などがあって、お互いに補い会うことができるというのはなかなかいい。

S君が、一生懸命にやって動かない、うった文字も間違いがないのに、ということで、私が改行を教科書通りに入れていくと・・・。openというところが、OPENになっているのを発見。そこを直すと問題なく動いたり。こういうことは、本当はきちんとした先輩がいて、見て上げたり、教えて上げたりというのがいいのだろうが、現実的にはそうはいかないので、習いたてでも3人いるとフォローしあえるのがいい。一人だと袋小路にはいってしまうが、抜け出るのもたぶん容易だ。

ということで、一番進んでいるTさんには、教科書に載っていたメールをだすCGIを改造して、拍手がおくれるようにしてもらった。これにもいろいろあったが、どうにかクリアしたと言えるだろう。

今月中に教科書を終わらせるのはちょっと無理かな。でも、中途半端ではなく、どんどん進んで使えるようになった方がいい。せっかく習っても使えなければ、腐ってしまう。どんどん進みましょう。使わないと使えるようにならないようだ。また、面白がって自分でもいろいろやってほしい。Tさんは、このこともあってか、パソコンを買ってしまったとのことだ。宝の持ち腐れにならないように。もちろん、心配はないが。

3人には、、私がCIDFで話す内容を聞いてもらって、直すことができた。おかげでどうにか場を切り抜ける程度には話すことができた。Thank you。

2000年3月16日 クレジットカードでのご注文を近日お受けできるようになります。

ミリオンカードの営業の方から、電話があり、クレジットカードの加盟店になることができるとの話しであった。半信半疑でお会いすると、海外からの注文でも受けることができるとのこと。「これは!年来の願いが叶う!」ということである。

ということで、「なぜクレジットカードが使えないか」の内容をうれしいことに撤回することができる。

現在、申請中。近日の内に、カードでも注文することができるようになる。ただし、実際にどのくらいの注文があるか、不明のために最小限のしくみでスタートする。認証は電話を使うので、最初の内は、もたもたすると思うが、お見守りください。

これにともない、注文のフォーマットも改訂する。代引き、郵便振替に加えて、クレジットカードでもお金を送ってもらえるようになる。しかも、海外からも注文を受けることができることになる。海外からの場合、これまで振込手数料が、数千円と書籍の販売には、非現実的であった。それがこれからは、簡単に注文を受けることができる。海外向けの研究書を刊行する際にも使えるわけで、英語で書かれた研究書を出すことができるようになる。これはうれしい。

2000年3月19日 迷惑メールが続くとインターネットが機能しなくなるのではないだろうか

ひつじでは、メールサーバーを動かしている。恐ろしいのは踏み台にして他のアドレスへの転送に使われてしまうことだ。メールサーバーに詳しくないのでどうしてそんなことができてしまうのか、理解できない。ひつじのメールアドレスを持っている人間が、ひつじの中から、あるいは自宅や出張先から、アクセスできればいいだけで、余計な機能が内蔵されているのがいけないのではないか、というふうに思う。それともリレーが出来ること自体がメールサーバーに必須の技術なのだろうか?

さて、数千通のばかばかしい広告メールが、人生を変えようだとか、美容法だとか、そんなメールを信じる人がいるのか、というメールがどんどこどんどこ送られて転送されていく。最近は、メールアカウント一つ当たりいくらいくらで売りますと言うメールまでくる。

それにあまり根拠がないのだが、無料メールが突然送られてきたり、おかしなメールがきた後にそのサイト名でどんどこメールが転送される傾向がある。覚えもないのにある無料メールから、あなたはメールアドレスを登録したというしらせがきたり、あるスパムが私あてにきて、たぶん、それでメールアドレスが生きていることを確認してから、踏み台にするようだ。

しかも、恐るべきことに、compuserveだとかhotmailだとか、有名なところから送られてくることもあり、多くの人が使うからフィルターにかけて、受信不可にしにくいものがおおい。最近だとfreemlに勝手に登録された。私が登録したわけでもないのに、メールが送られてきて、正直に登録を外すようにメールにいろいろ何度も送ったのだが、いちいちエラーが出る。こっちは登録したわけではないのだから、必要事項など覚えていないのに。だから、めんどくさいし、嫌だし、freemlのメールアドレスを持っている人からはメールがとどかないように設定してしまった。

もしかしたら、だれかからの嫌がらせなのかもしれない。勝手にメールリストを登録してしまえば、どんどこ意味のないメールを嫌いな相手に送ることができる。それにしても、確認もナシに登録してしまうfreemlのサービスは甘すぎるし、質が低い。こんなサービスを称賛して、紹介している『インターネットマガジン』もレベルが低すぎる。

申し訳ないが、匿名電話を受け付けて、対応するような余裕はない。だから、匿名メールも受け付ける余裕もない。申し訳ないが、あなたがフリーメールアドレスを使っているとひつじには届かないことがあることをご了解いただきたい。

こうなってくるとメールアドレスによっては相手に届かないことがあるということになる。本当はお互いにきちんと届くこと、それはとりあえずは個人名などで区別せず、葉書のようにとりあえずは届くという前提であったことが崩れてしまうことになる。これは、バベルの崩壊、言葉が通じなくなると言う事態になることを意味する。ある意味では、インターネットの崩壊の兆しともいえなくはない。また、サービスは無料だからいいということではなくて、サービスの質というものも重要だろう。

崩壊を防ぐためにもPOPではなく、メールを受信する前に内容を確認できる新しいメールプロトコルに移動すべきだろう。

2000年3月22日 命がけのジャンプ

現在、新刊を次々と出している。懸案としてのこっているのは『認知言語学の発展』と『日本近代語研究3』である。どちらも私が作っているので、私の身体が空かないと進まないのだが、『ここからはじまる日本語学』が明日出るので、どうにか『認知』にかかれる。これはうれしいことだ。

さて、多くの作り手は、人が集まっているとそこで売れると思う。しかし、人が集まるのと、実際にお金を払ってくれるところまでの距離は、恐ろしいほど遠いものなのだ。自分が作品を作った。それだけでは誰も読まないし、買いもしない。次に辻に立たつのも大変だ。辻に立って、声を振り上げても、売れないときは売れない。そういうことは理屈ではわからないんだなあ。自分の作ったものが身銭を切ってでも、買われるのか、そういう問いかけは必要だ。他人からの評価ということになる。評価してくれるのか、値段を付けて世に送る。マルクスも言っているようにそれは命がけのジャンプなのだ。でも、ジャンプをしなければ、はじまらないだろう。コタツに座っていてはだめだ。

2000年3月31日 卒業の季節

3月は卒業式の季節だが、ひつじでも、卒業があった。今日はその壮行会があった。昨年の4月からきていた賀内と夏から、編集の仕事を手伝ってくれていた藤井が、ともにこの31日をもって旅立つことになった。ひつじは、もともと私と妻の二人で切り盛りしてきた会社なのだが、そのもとの姿に戻るということになる。編集に関しては、しばらく前から、人がいて作っている状態が、5年前くらいからあったのだが、さらにそれ以前の状態にもどるということになる。

賀内は、母校に口があって、なんと教鞭につくことになっている。大学院が、美術教育だったのだから、これは、よいことだと思う。この道で頑張ってくれることを期待している。藤井は、詩集をだしている出版社に正式に社員として就職することになった。半年強、編集のみならいをしてくれて、それが役に立ったとすれば、うれしいことである。半年で4冊作ったのだから、編集者養成ギブスをはめていたようなものだといえるかもしれない。

二人になってしまうことを考えると、仕事は滞ってしまうかもしれないが、できる範囲で誠実にこなしていこう。前にも述べたが、社内で作るDTPから、印刷所に任せる方向に変換しつつある。学術書の組版に優秀な三美印刷さんにやってもらうことにしているから、本ができるという点については、さほど障害はないと思う。もしろ、専門家に任せるのであるから、実質はスムーズに行くのではないか。

ただ、正直言って、もう一人新規でくる予定であったために、二人減るということになるから、いろいろ新たに進めようとしていたことができなくなる。本当は、大学の研究室まわりをしたいと思っていたのである。会社を作って10年経てば、いろいろと垢もたまっているだろうし、新しい人とも出会いたい。そういったことが、できなくなってしまうのはとても辛い。経理に関しても、きちんと前年比がわかるようにすっる予定だった。

しかし、出会いがあれば、別れもある。それぞれが巣立っていくのだろう。二人の前途を祝福したい。今来てくれている優秀なアルバイトのスタッフといっしょにできることをやっていこうと思っている。

2000年4月1日 マイナス思考からの脱出

鏡を見ると妻も私も顔に疲れが出ている。疲れているときに、何かを書くとマイナス思考の文章になる。そういうときは書かないのが一番なのであるが、書かないとまたたまってしまって、さらにマイナス志向になる危険性もある。疲れているだけではなく、というか疲れている原因の一つは忙しいことにある。今日は、娘の4歳の誕生日なのだが、実家に預けていて、会いに行くこともできない。

また、マイナス思考は伝染するから、気を付けないといけない。さらに相乗効果というものがあって、マイナス思考どうし感染しあわないようにしないといけないのであるが、なかなか上手く行かない。とはいいながら、楽しいことも、発見も喜びもある。それでどうにかもっているともいる。

ということで、いいぞと感じたことを書く。

●1

兵庫県稲美町の図書館には、地元の日の出みりんが、本を寄贈したり、支援をしているとのことだ。アメリカなどではニュヨーク公共図書館などのように市民や企業人がパトロンシップを発揮して、充実したサービスを行っているところがあるが、日本ではそういう図書館があるということは知らなかった。そのことを知ったこと。

●2

岩井さんとばばかよさんの「美術展」にいって、とても面白かったこと。岩井さんにもお会いできて、本のことを気にしていると言ってくださった。ペンで画面をさわると、ババさんの描いた人や雲や水滴や、レコードが動く。それについれて、様々な音が出る。妻は、雪の結晶のような様々な綺麗なかたちをしたものをさわるとピアノの音がでるものにはまって、しばらく一人で遊んでいた。何か癒されるものがあったのかもしれない。ばばさんも素敵な方でした。

●余談

私は、突然だが、ここのところ、童話を書こうかと思っている。これは、子どものためというよりも、私の両親の世代にたいして、また、学生や勤め人のために、新しい世界観を伝えるためだ。私が今考えていることは、SOHOに関することから感じていることで、高度ケイザイ成長期に壮年だった両親には上手く伝えることが出来ないし、高度成長期に青春を送った団塊の世代にも、そのジュニアにも、いま、現役のサラリーマン達にも正攻法では伝えることが難しいと思っている。ただ、縮小期に入った日本人には必要なものだと思っている。10年後には受け入れられる考えだと思っている。

実は、もうすでに一匹、キャラクターを考えている。名前は、ガバンモチくんというねずみのちょっと大きくてかわいいいきもの。だれか、私のアイディアを聞いて絵を描いてくれないだろうか。

というようなことを考えながら、プラス思考へと切り替えようと努力しているところ。

2000年4月9日 デザイン装丁にお金をかけられるとしたら

前の2回分、日付けが間違っていたので直しました。

土曜日、Mさんにお会いした。ひつじ書房は、装丁やデザインに経費をかけていないのではないか、とのご指摘をいただいた。それについての、雑感。

2000部で2400円の本が売れるのに3年掛かっている場合はどうだろうか。

2000×2400=480万円。外注製造原価が、25パーセントとして120万円ということになる。480万円の67パーセントは320万円。これを3等分すると107万円。3等分ではなく、半分程度売れると思えば、160万円ということになる。

240頁の本の場合、240×1000円=24万円。ということなら、装丁、デザインに20万円払うことは可能だという計算になる。問題は、2000部はきついだろうということ。1500部ならどうか。

1500×2400円なら、360万円。25パーセントとして、90万円。組版、印刷、用紙、製本で75万円でおさめられれば、装丁に15万円くらいはかけられることになる。しかし、360万円なら、全部売れても、20万くらいしか、利益がでないだろう。これは、商売とは言いにくい。

1500部なら2800円にしようか。420万円。25パーセントとして105万円。これで、15万なら、本を物理的に作るのに90万円かけることができる。

メディアとコミュニケーション叢書は、この路線で行くか。いずれにしろ、一年で半分、3年で売り切れることが必要だ。断っておくと420万円の本だとしたら、年収400万円を手に入れるためには、10冊実際に刊行しないといけない。売れたとしても、これはビジネスにはまだ到達しない値段構成であると申し上げておかなければならない。

本文が明朝体で、読みやすいこと。ペーパーバックで、A5判正寸であること。そういうデザインをしてくれる人がいたら、自薦他薦願いたい。もっとも、私も自分でやってみたい気持ちもないではない。本文の組版は、指定だけで、実際の作業をしないでいいのであれば、できないこともない気がする。とはいうものの、やはり、専門家に頼むべきだろう。

私の願うデザイン

  1. 啓蒙主義・教養主義ではない
  2. かといってアンチ教養主義のかつてのポストモダン風も嫌い
  3. 脅かし型のデザインは嫌だ
  4. かといって甘やかすのはもっと嫌い
  5. 文字は読みやすい方がいい。文字は消費される記号ではあってほしくない
  6. かといって、意味伝達を信じているわけではない
  7. 本はこれから生まれ変わると思っている人
  8. ペーパーバックと定型の中で勝負できる人(つまり、判型をすぐに変えたがったり、紙室を変わったものにしたりしない)

というと現在のデザインをかっこいいと思っていたりする人はだめなので、困るのである。

2000年4月17日 情報機器批評の必要性

前回、「水没」ということになり、2万円を一瞬で失ったことは以前書いた。CD-MAONEのサービス、IDOのサービスが商売以前であることはその時に述べたので個々では繰り返さない。

懲りずに今回は、PHSに挑戦した。神保町のキムラヤでアステルのPHSを購入した。関東では一番アンテナが多い、ということだったので。ところが、関東には多いが、高速道路のパーキングエリアには一本もアンテナをたてていないらしい。昨日、中央高速で山梨に出かけた。釈迦堂のパーキングエリアは、圏外だそうだ。

これから、何か問い合わせがきて、答えられない時は「圏外です」といおうか。しかし、パーキングエリアに一本もアンテナをたてないアステルとはいったい企業だろうか?それとも道路公団の嫌がらせ?こんなことも買ってから分かるという悲惨な状況である。

ここにも批評がない。

2000年4月17b日 メールソフト変更

メールソフト、クラリスメールが、メールを受信しすぎたせいか、崩壊していく。フォルダを開こうとするとエラーメッセージがでて、開くとそのフォルダの中は真っ白になっている。つまり、メールが消えてしまうのだ。

仕事の半分以上は、メールで行っている。一日やはり100件以上はくるので、メールは生命線だ。これが、消えていく恐怖。今までの記憶が消滅していくということだ。これは恐ろしい。

知り合いに聞いたらARENAというメールソフトがよくて、クラリスメールを読み込めるということだったが、結局エラーが起きてうまく行かない。じゃあまあ、ARENAはやめて、定番ユードラにしようと秋葉原に娘を連れて、帰りがけに寄った。

メールに依存するのはやめた方が良さそうだ。データは別途管理しておくことにしよう。そろそろ、色々な意味で転機だということになるのだろう。ちなみに土曜日は娘に眼鏡を破壊され、何も見えない恐怖を味わった。おかげで新しい眼鏡になった。

2000年4月18日 ホームページ近日変更、いろいろ変えます

今のホームページを全面的に変えようと思っている。今来てもらっているバイトさんたちに、絵を描いてもらったり、現在、準備中。今日もMさんにイラストレーターで絵を作ってもらい、GIFにする方法を教えた。

私が関わっているページを、ひつじ書房主催というのは言い過ぎだが、連合体として、わかりやすくしようとか、ひつじのホームページも複雑になりすぎたので、簡潔にしたい。不思議なのだが、若い人にいろいろと教えるのは楽しい。センスはわるくないし、期待に応えてくれるとうれしくなる。懲りたはずだが、私はそういう性格なんだなと思う。単なる教えオヤジか?

京都のY先生から電話。いろいろ心配して下さる。基本的に仕事のやり方を変えつつあることを説明する。ひつじはDTPをしばらくやめて、印刷所にだすことなどを話す。だから、今の本が片づくと後は本はそんなに遅れないで出せるようになるだろう。さらに、意外に幸いなことが起こりそうで、(現実化したら報告する)稼働したら、それなりに時間を取られることになるだろう。仕事のやり方を大幅に変えないと行けないだろう。本が出て、不要になったゲラの山を処分する。

今日は先頃までバイトに来ていた4年生のTさんが来た。まだ決まっていないが、顔は明るかった。頑張ってほしい。

2000年4月20日 メーリングリストの停止で怒り出す人

ひつじ書房では、刊行物の案内を、メーリングリストで出している。1000人以上の人を登録している。最初は、自主的に登録してる人以外に、学会の名簿からもこちらで登録し、発信した。こちらでは、丁寧に勝手に送ったことをお詫びし、最初の2回は、停止してほしいかどうかの確認を行った。もちろん、希望しない人は直ぐにメーリングリストから外した。

言語関係、認知関係の方に出したわけだが、研究を行っている人には、刊行情報というものは必要なものだという気持ちがあった。そして、登録してくれている人には

  1. 刊行物を年に数回、時期を決めて、値段を下げて販売する
  2. 登録者に対して、書籍の刊行のコンサルティングを行う

という特典を提供している。ことばを扱っている研究者であれば、意味のある特典だと思う。3月には書籍を多く刊行し、決算の前半期にできるだけ本を売りたいので、セールを行ったが、多くの人にご注文いただいて、感謝している。

ダイレクトメールというのは、その人に必要なものであろうが、本を読まない研究者というものはなぜか存在し、その人にとっても重要な情報であるはずなのに、ダイレクトメールというだけで、非常に感情的になる人がいる。はじめて、日本語教育学会に郵便のダイレクトメールを送ったときには、資源の無駄遣いですからというシールを貼ってきた人が入るのに驚いた。シールを貼ってくると言うことは、あらゆるダイレクトメールに貼って返送しているのだろう。でも、日本語を教えている人が日本語に関する研究書の本を、必要ありません、というのはいったいこの人は、ちゃんとした職業人なのか、こういう勉強をする気もない人は、首になった方がいいと感じたことを覚えている。

昨年も電子メールではじめて、停止されますかという打診のメールを送ったとき、許しがたい行為なので、同僚にもひつじの本を買わないように勧めますとわざわざ返事を下さった方がいた。英語関係の人だったが、英語を研究していて研究書を出している出版社を知らないというのは、いったいどういう人なのだろうと思った。いったい、大学の研究室で何をやっているのだろう。給料泥棒だろう。

もちろん、いつも注文をくれる人もいて、感謝しているのだが、だいたいいつも同じ顔ぶれで、そうではない人はどうなんだろうか。学術出版社というのは、研究者の成果を公開するのを助けたり、必要な情報を送り届けるものだと信じている。一種の運命共同体だと思うが、これは片思いなのだろうか。

先日も、メールを停止してくれといってきたのだが、その人のメールアドレスが登録されていない。転送されてきているのではありませんか、と問い合わせてみても、わからないから止めてくれのそれだけしか、反応がない。すでに今まで、何度もメールを送っていて、停止できるようにこっちはしているのにである。もとのメールアドレスが分からないと仕方がないので、その大学のメールの管理者に聞いてみたところ、それがいやがらせだ、訴えるとまで言ってきた。別に嫌がらせをしているわけではなく、そうしないと停止できないからであるのに。この人は理系の学部にいるのだが、コンピュータの仕組みが全然分かっていないらしい。仕方がないので、古い名簿を出して、その人の名前、名字しか教えてくれていないので、調べるのが容易ではなかった。この人かなという人がいて、元いた大学と思われる人のメールアドレス宛に送るとやはりその人であった。職場が変わって、メールを転送されていたのである。しかし、そんなことは自分が分かっているはずのことだから、最初にそのことを教えてくれれば、大学のサーバー担当者の時間も無駄にしないですんだのだ。法的手段に訴えるとまで言っていながら、人を侮辱していながら、そのことに対して一言もなかった。

その人は、大学の先生という職業はそんなにも偉いと思っているのだろうか。いやいや、本当に偉い、優れた人もいる。選んでつきあって行くしかないのだろう。それは、どこでもだれとでも同じこと。でも、威張っている人が多いような気がする。と思いつつ、ニフティの書店の内輪の会議室を読むとIさんという方が、高校の教材の納品についての感想を書いていた。注文を出すべき日に出さないで、出し忘れて、急に納品しろといってくる先生。先生という職業が、そういうものなのか。これは一種の職業病か。

話しを戻すと、メールは転送されて届く場合があって、その場合は本人が基本的には指定をしているはずである。ところが、忘れてしまうのか、メールを停止してくれという場合にも、本人が教えてくれない場合がある。無理矢理送っているわけではないのだから、冷静に受け答えしてほしい。そのくらいのことは社会の常識だろう。しかしながら、何度も確認しているのに、いきなり停止してくれという人の中には、最初からけんか腰の人、説明しても理解できないで、怒り出す人がいる。せめて、問い合わせには、普通に対応してほしいと思うのだ。

2000年4月23日 ポストサラリーマン社会のためにはSOHOを鍛える必要がある

ちょっとまえにパーティ風の会合に行き、主催されていた人の才能は、あーやっぱりたいしたものだ、と思ったのではあるが、来ていた人は正直いって感心しなかった。山形氏が私はNPOですといわれて怒ったかわりに、SOHOですと言われて怒ったというのに近いのかも知れない。

創造性が感じられなかったなあ。ビジネスというのはお金儲けだけではないはずだ。アイディアというのは人にうけるものを真似してだすということではないだろう。大企業主義、サラリーマン社会も終わりは近いが、これではSOHO時代はこないだろう。

SOHOとは単に小規模な金儲けの方法ではない。新しい社会の設計に必要な重要な部品であるはずだ。でも、これは99パーセントの人には分からないのだろう。

その場合の選択の方法

  1. 先達からの恩義を重要視して、わからんちんへ教えることも自分の恩を返すと考える
  2. わからんちんは相手にしない
  3. わからんちんには、レベルを下げてつきあう
  4. わからんちんにレベルは下げないが、遠ざけてつきあう
  5. わからんちんでも性格がよければつきあう
  6. わからんちんには暇があればつきあう

偉そうだね。

でも、実際に現金の商売をして、直接、お客さんに物を売り、印刷所とつきあい、分からず屋の著者とつきあい、学生とつきあい、ということを10年間続けてきたということはやはり無駄ではなくて、血となり肉となって、私自身、バージョンアップしたような気がする。

10年してわかることは、わからんちんとどうつきあうかということの前提に、わからんちんに丁寧に説明しても分かる数は浜辺の砂浜で真珠を見つけると同じくらい難しいということである。

2000年4月26日 認知言語学の発展の最終的段階

認知言語学の発展の最終的段階を、迎えている。私自身がDTPをやる最後の作品になるかも知れない。この年度末に、より特急の仕事が立て込んでいたこと、できれば私自身で納得できるように丁寧に仕事をしたいということから、かえって中途半端な時間ではとりかかれず、変な言い方だが、少し縁遠くなっていたが、やはり最後の段階で仕事を進めると楽しい、うれしい。

とはいうものの、遠かった分だけ、入り込むのに時間がかかってしまい。仕事の能率という点では良くないともいえる。自分でデータを管理しているから、初校、再校、三校とあって、図版が入っているもの、途中のものと様々だとバージョンの管理が」難しく、いろいろと探したり、照合したり、考えたりして、それだけで一日が過ぎてしまったりする。こういうやり方は、やはり、今回で卒業すべきだろう。

このようなことは印刷会社さんにおまかせしよう。そうすれば、仕事を切り替えることが容易にできるはずだ。能率も違ってくるだろう。仕事のやり方から変えようと、試行錯誤をこれからはじめることになる。

2000年5月2日 どうにか一月

新しい年度になって1月が過ぎた。妻と二人になって、1月が過ぎたことになる。私は、月曜日は娘といっしょに過ごす日で、2時には迎えに行って、職場を離れてしまう。二人になって、仕事はどうにかやりくりしないといけない状態になった。今来てくれているアルバイトの子たちが優秀なので、どうにか切り抜けているのは、専務の日誌にも書いてあるとおりだ。

もっとも、新人が辞めて二人になって仕事が増えたのかというと必ずしもそうではない。仕事を教え初めて、2年くらいは時間とお金の持ち出しだからだ。つまり、新人を育てること、新人の仕事をフォローすること、失敗の後始末をすることがなくてすむということは、短期的にはむしろ仕事の量を減らすことなのだ。大学を卒業したばかりの新人を育てるということはけっして容易なことではない。だって、学校は人に働くということを習得できなくするという教育効果を持っているから。さらにもう一人来ることになっていたのだが、それがキャンセルになったことは結果としてはよかった。3月の終わりに突然言ってくるのは非常識だと思うけれども。

そもそも仕事のやり方がわかっていないのを教えないと行けないし、最近の子は怒られたことがなく、誉められたことしかないので、注意の仕方にも気を使う。注意すると自尊心を傷つけられたと思うのか、防御に入り、自分は悪くないと言い張るか、言い訳をする。親が甘やかして育てたんだろうなあ。決して自分が悪いとは思わなかったりする。非常に気を使うものだ、一般論として。

以下を私の体験だと思わないでほしいのだが、会計士さんと話しをしていても、いつも、人を育てるのが難しいという話しになってしまう。SOHOにとってもっとも基本的で悩ましい問題だということだろう。以下の内容は、会計士さんから聞いたSOHO経営者たちの話を再構成しているものだと思ってほしい。

人育てに関しては、勤めている人はサービス残業だとかいうが、それどころではなく、こっちが、段取りを作るために朝早く来たり、ミスのフォローをしたりということがある。それで、1年で辞められたら、これは給料泥棒である。期待した仕事が十分できてなくても、申し訳ないと思わないし、給料を返してくれたりはしない。そんなことはしなくてもいいのだが、せめて、埋め合わせをしようくらいは思わないんだろうか。これは、数年働かないとわからないものだろう。

新人が、仕事ができないのは当然で、時間が掛かるのも当然である。はじめての人間はだれでもそうだ。そのことは、悪くない。慣れていけばいいことに過ぎない。ただ、一人前の仕事をするのに、新人が2倍の時間が掛かるのなら、2倍働くべきだし、せめての体力は必要である。その体力さえあればいいのだが、疲れてしまうと、結局埋め合わせができない。これも自分が体力がないということが分かっていればいいのだが、過剰な仕事を与えられたからできないので、自分のせいだとは思わない。給料を返してくれればいいのだが、そんなことはないのだ。

ということで、人が辞めたということが原因では、仕事は増えてはいない。しかしながら、いろいろここ数年で育んできたことが、どうやら、もう一歩踏み出しそうな気配がある。それが動き始めたら、どうなることか、楽観的だが、不安でもある。どうにかするけれども。

話は戻るが、学生から社会人になって、仕事ができる一人前になるということは、かなり、たいへんなことだ。仕事というものがどういうものなのか、お客さんがいて、著者がいて、流通業者がいて、外注先がいて・・・。それがどういうふうに経済的に、仕事の上で結びついているのか、そのことだけでも、1年はかかるだろう。仕事をこなせるようになるということは、自分の体に力が入らなくて、自然にできるようになることであり、このためには、全体の流れがわかってさらに、どこに力を入れ、どこで力を抜くと言うことまで、身体的にわかる必要がある。頭やマニュアルでは感得できないものなのだ。だから、学校秀才はなかなかうまく行かない。だけど、ポイントはうまく行かないことではなく、それを自分が無能であるということに気が付くことができないことなのだ。下手をすると教えてくれなかったのでできないと思って、自己防衛に入ってしまう。言葉で教えられることなど、わずかなのに、学校でいい成績を取っている人は、誤解することがある。

自分はダメなんだということに気が付くこと。批判を受け入れることのできる容量を持つこと。そのことさえ、できれば、マイナス思考にならないでいいのだが、頭がよい女の子はおうおうにして、自己イメージの変革ができない。これが重要なところなのだけれども。

仕事ができるようになれば、その頭の良いところは、再び再編成されて機能しはじめる。ところが、仕事ができるようになる前に自己防衛に入ると、その頭の良さは、逆に足枷になる。理屈だけこねて、自己防衛にはいってしまう。そこから逃れることができない人は、本当の意味では頭が良くないといういことだろう。古くさいいいかただが、謙虚さというのは必要なのだ。

また、経験的には、就職活動していない人はダメなことが多い。自分を値踏みされ、セールストークを作る過程で、自分の売りを考え直したりということは意味のないことではないようである。そういうことをさけて、学者になる気もないのに大学院に行ったりするというのは、どうも良くないようだ。

とはいうものの、では経験者を採るしかないと思って採用すると、ひどい人が来ることも多いという会計士さんがあった経営者による話しだ。

話は変わるが、子供を叱っては行けないというのも、俗説だろう。叱られ慣れていないと叱られたり、批判されたりしたときに、慣れていないので、過剰に驚いたり、過剰に防衛に入ったりする。誉めて育てた子が、知能指数が高いという調査があると、元フジのアナウンサーが言っていたが、知能指数が高くても、自己防衛本能が高くなってしまえば、仕事ができない人間になってしまう。知能指数で計るなんて言うのが、そもそも浅知恵なのだ。

この手の話しは、小さいなりにも経営者になってはじめて気が付くことであり、勤めているものへの批判と思われがちだ。しかし、私は、サラリーマンという文化が、弱まりそうな今、愚痴に聞こえるかとも思うが、これらのSOHO経営者の経験に働くということを考え直す機縁があると信じている。そこから、教育も何もかもはじまるのではないか。愚痴に近い点はあるけれども、できるだけ、正直に告白しつつ、もう少し広く説明できることばを見つけていきたいと思っている。

日誌 1999年4・5・6・7月日誌 1999年8・9月

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