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1999年8月11日 日経新聞1999年8月10日夕刊の「鐘」の悠氏は、愚かさを恥じよ!

まあ、何というか、情けないというか、知性がないというか。新聞記者なんてそんなものか。

悠氏によると公立図書館は、『五体不満足』というベストセラーを、即座に借り出せるくらいたくさん購入しないといけないそうだ。新古本屋で買ったらどうだとまでいっている。そこまでいうかなあ、あんたねえ! このコラムも誰かの盗作だったりして。少なくとも図書館や出版の事情を取材して書いたものではないという点で、新聞記者の名が泣くと私は思うのだが。

市民のための情報源として公立図書館がどうあるべきかということは、非常に重要な問題である。それを単なる「こずかいの節約」というものにおとしめていいものだろうか?

本が、あるいは文化的な出版をどう位置づけていくのかという視点に全く思いが及ばないのだなあ。誤解をさけるためにいっておくが、公立図書館が、ベストセラーを買ってはいけないといっているわけではない。『五体不満足』もいい本だと思う。その本を貸し出すために何十冊、何百冊と購入してしまうことで、もっと地味な本が買われなくなってしまう問題をいっているのだ。もちろん、何冊かは購入していいだろう。でも、すぐに貸し出せるようにしろという発言が、実行された時、いったい何がおこるか、ということに少しでも思いをはせたことがあれば、そんなことを「公器」である新聞のコラムに書くだろうか。

私が言いたいのは、単なる愚痴を公器に書くな、書く場合は、新聞記者であれば、最低の職業的な倫理、取材をしてから書け、ということ。はっきりいって取材もしていない通俗的な意見にお金を払って読まされたくないということなのだ。

1999年8月20日 食べ物屋を育てること

今週半ば、夏休みをとった。その帰りに、夕食を取ろうと16号線沿いのたべもの屋さんをさがして、車を走らせていたところ、手作りそばの和食の店があって、店構えがそんなに悪くないのでそこで食事をすることにした。

そばをとったが、つまみに鴨の串焼きを頼んだ。その鴨の串焼きはとてもおいしかったが、あとは最低だった。鴨が美味しかったので、次々に頼みすぎたのがいけなかったのかもしれない。壁にはそばが健康にいいという能書きが、沢山はられていたにもかかわらず、そばがメインにもかかわらず、味は特にどうということはなかった。そんなにまずいというわけではないのかもしれないが、鴨以外の串はひどく、期待して頼んだイカ串は冷凍を解凍しただけであった。たぶん、二度と行かないだろう。

どうにも悲しいのは、このような店は少なくないことだ。ラーメン屋をなのりながら、ラーメンがおいしくない、ラーメンはまあまあだが、餃子がだめとか、そういった店の多いこと。たいていの人は、失敗を恐れて、ファミリーレストランに入るようになってしまう。すごくおいしくはないにしろ、あまりはずれがないからだ。

一方、このような店が持続しているのは、客の方にも問題があるのではないだろうか。まずくても食べてしまう。まずい場合は残しておくべきだ。きちんとした店なら、何が残されているかチェックしているからだ。それは、口には出さないにしろ批評となるだろう。おいしいときは、ほめるし、お代わりもする。良い客になるべきだと思う。

でも、もしかしたら、ひょっとしたら、味覚がない人が多いのかもしれない。私個人は、おいしくて安い店を見つけると、頻繁にそこを利用するし、人にも知らせるようにする。できるかぎりの手を尽くして、大事に育てていきたいと思う。ところが、たいていは、しばらく行かないとお店の味はかわっていないにしろ、安いということしか、わからない客が、しずかに呑みたい客のよこで、靴下を脱いで歩き回ったり、猥談を女の子にしていたり―女の子も喜んでいるところをみると信じがたい気持ちになる―いいけどね、よそでやってくれという気持ち。安くておいしい店というのは奇跡的にだいじな店であるのに、粗末に扱ってしまう。たとえば、お茶の水駅前のカメヤの話し。

良い店はそうして、だんだんダメになっていく。ただ、これはなかなか難しいことである。安くておいしければ、お客もたくさんくるだろうが、良い客に来てもらうようにするのはどうやったらいいのだろうか。客がおいしい店を大事にするということができなければ、店は育たないだろう。これは、すべての客商売に言えることだ。そもそも、客に、味覚があるのか、味覚があって育てようと言う気持ちがあるか。育てようというと大げさだが、だいじにしようという気持ちがあるか。

これは、投げ銭的な課題だろう。よいコンテンツであるということをそもそも理解できるのか? 内輪受けの冗談と、プロフェッショナルな冗談。こういう区別はちょっとばかばかしいかもしれないが、―良いコンテンツとは何かということが最初の問題かも知れない―ここでは仕方がないので「良いコンテンツ」とよんでおこう。そうしたものを育てていく「味覚」というものがあるのか、ということが難問であるように思う。

これには、もしかしたら、文化的な鍛錬によって育てられた嗅覚が必要なのではないか。しかし、そいつはどこで育てられるのか?土台がないところに、土台から作る。これは、ウルトラCの離れ業のようなものではないのか?

1999年8月22日 やっぱり、休眠

ひつじでは、DTPで本を作っている。その理由は、

1 言語学という特殊な組み方なので

●印刷所に細かい指示を出すよりも自分でやった方がストレスが少ない

●研究書という性格上、あまり売れ行きがよくないので、外注費がかけられない

ということである、発音記号やロシア語になると自分のところでやった方が効率がいいということもある。

今やっている『時間とことば』などでは、発音記号だけで追いつかず、文字を作ったり、さらに発音記号を組み合わせたりするという非常にめんどくさい作業が、山積みだ。これを印刷所に出せるのは、経済力のあるところだけだろう。しかし、自分でやれば全てを背負いこむことになる。私が、発音記号に詳しいわけではないが、やはり、初心者には困難ということがあり、ひつじの中ではどうしても私がやることになってしまい。仕事が積み重なってしまう。

そんなことを言うなら日誌などを書いていないで、先にやったらどうだという意見があるだろうが、本当におっしゃるとおりだ。

2 経費を抑えてリスクを分散する

普通に組んだら印刷所にお金を払わなければ行けない。直ぐに売れない人文書を出していくためには、自前で組むことが必要なわけだ。ひつじがもし、他で出せないユニークな研究書をだせているとしたら、そういう内部負荷を背負っていることで出せているところがある。普通、2000部ではだせないような本を出すことができるのは、そういうことがある。

しかし、問題がある。仕事が立て込んだときに、全く身動きがとれなくなってしまうことだ。発音記号の組み合わせなど、なかなかうまく行かないとストレスが非常に蓄積して、怒りっぽくなってしまう。

贅沢な悩みであるが、数年来、原稿が途絶えていた「日本語研究叢書」の原稿が入り、鎌田先生の『日本語の引用』であるが、それにつづいて『日本語のテクスト』(野村真木夫先生)も入稿の予定である。その他、ここ数年、原稿が入らなかったのが嘘のように、編集すべき原稿が来ている。昨年度は、英文の研究書以外、言語学の本は出していないので、経済的にも非常に苦しかった。うれしいことであるが、もともとマンパワーの乏しい、ひつじの場合では、どうしていいかわからなくなる。

それに加えて、自業自得ともいえるけれども、ひつじの宣伝をも担っているさまざまな、私の「宣伝塔」としての付帯的な仕事が、取材を含めて、本当にありがたいことではあるが、いくつもこなさないと行けない。話しをしにいく機会も多い。秋は、アミ編集工房の編集者養成のための催しで9月28日に大阪に行くし、大阪市立大学の経済学部の公開講座に10月5日いく予定も入っている。投げ銭のワークショップも9月29日にあり、それ以前に投げ銭のフリーマーケットを9月半ばには動かさないと行けない。

うーん、正直、首が回らない状態である。

ということで、やはり、日誌はしばらく停止することにしよう。いろいろといいたいこともあるが、日誌を書くエネルギー源をどうも最近(昔からだが)怒りにしすぎている向きがあり、妻からは「偏屈爺」と言われてしまったようにこれでは、やはり、まずい。怒っている時ほど、芸が必要だろうから。SOHOは楽しいながら、仕事をしないといけないはずだ。変な道楽っぽい仕事ぶりはよくないにしろ。

ここままでは、松本オヤジは、ぐちの多い、単なる偏屈オヤジになってしまう。

しばらくのお休みをいただきます。

1999年8月25日 まだ続いてしまう日誌 大阪外国語大学のフェア

これで、本当にしばらくお休みにしよう、と決意しつつ、首尾一貫しない日誌である。思うことがあるとたまに書いてしまうかもしれないが、許されたい。23日、大阪外国語大学の生協の専務理事の永吉さんと米田香代さんが大阪から訪問され、なんと言語学出版社フォーラムで、歓迎会を開いた。

こういうことはそんなに頻繁にあるわけではない。本当にまれな例だろう。でも、それには理由がある。書籍担当の米田さんは、4月はじめという大学生協の書籍部にとっては教科書の販売で、超人的に多忙な時に、平行して言語学フェアを開催してくれ、結果も200万円近い驚くべき成果を上げた。これは、彼女の企画であった。

「4月にフェアをやるように企画しましたので、地獄を見ることは予想していたんですが、予想以上にたいへんでした」7社から届けられた本を整理して、フェア用の短冊を挟み込み、棚に入れていくのだが、「いくらやっても全然減らないので、泣きがはいりそうになりました。でも、パートの人に手伝ってもらってどうにか並べることができました」12時を超えて働く日も何日もあったということだ。

売り上げは、期間中、減ることはなく、最後までずっと売れ続けたとのこと。彼女の熱意と労働と出版社側のそれに応える対応で大きな成果を上げた。米田さん、どうもありがとう。

1999年8月25日 小遣い節約のためではなく不況に対抗する図書館の利用を

先日、日経の夕刊のコラムにかみついたけれども、そうは言ったって、給料が減って小遣いが減らされているんだから、だれも読まない人文書なんかではなくて、小遣いの節約に役立つ本を図書館はなんとしてでも買って入れた方がいいんだという声が聞こえてくるような気がした。「高邁」な知の本ではなく、そういう本を買ってほしいという気持ち自体は、分からないではない。素直な意見だろう。日経の一面でなければ、私もそれほどは憤慨しなかっただろう。

でも、そういうふうに思いがちな方向けに、ちょっと違った視点を提供したい。それは、不況で労働時間が減っている(?)この時期にこそ、強靭な思考を鍛え上げるために、あるいはリストラで無節操に首を切る会社に対抗するために、優れた経済の書とか、自分で会社を興すためのマーケティングや発想を鍛えるための、しっかりした本を読む、読もうと発想を変えてみてはどうだろうか、ということだ。公立図書館には、そういう骨太な本をこそ、買ってもらうべきであって、ベストセラーなど、2冊買えばいいというと言い過ぎか。

今の不況は、構造的なものであって、次の時代への真摯な模索なしに、会社も個人も乗り切ることは不可能ではないだろうか。単に節約して、身をかがめて乗り切れるものだろうか。もっと、地味な本、基礎の本を探して、できれば人文書の中の優れた本を読んで、この時代を乗り切る土台を作ろうではないか。千円台の本を図書館に買わせようという発想よりもこっちの方が本質的だと思う。私は、千円台のベストセラーをケチる人には未来はないと思う。そういう人は、首になっても仕方がないような気がする。私が経営者だったら、月に読む書籍代の少ない人から首にする。これは、あまりにも酷な意見だろうか。

1999年9月12日 本をめぐる4日の旅

10日、11日、12日と米子で開かれた「本の学校 緑陰シンポジウム」に、参加し、12日には山口県の徳山市にあるマツノ書店にお邪魔した。今回は、ひつじ書房の秘蔵っ子賀内といっしょの計4日間の本をめぐる人と出会う旅であった。

帰ってきた時には、専務(妻)から、ひどく疲れている顔をしていると警告された。というのも、疲れると無意識に八つ当たりする傾向があって、専務およびスタッフに多大な迷惑をかけることがあって、そんなことになる前にということで、警告されたというわけだ。といっても、疲れていたというほどのことではない。帰りの新幹線の4時間半のほとんどを寝ていたわけであるし、肉体的な疲労が残っているというわけでもなかった。問題は、この旅で自覚した課題と問題の多さに、精神的に疲れていたということなのだ。疲れていたことに変わりはないか。

まず、今回は、先頃、『ルネッサンスパブリッシャー宣言』を刊行していたこともあって、多くの人に声を掛けていただき、また、出会いがあった。大先輩である無明舎の安倍甲さんには、ルネパブに感動したといわれ、その他、学文社の松尾さん、勁草書房の徳田さん、そして、日立デジタル平凡社の龍澤さんとは、書評期生同盟に参画下さるとのことばももらったし、岩波書店の社長大塚さんともことばを交わした。龍澤さんは『無縁・公界・楽』の編集者であるという尊敬をしている方であったし、未来社の西谷さんにもはじめてお会いし、書店新聞の田中さんには、連載をさせてほしいと提案したら、前向きに考えて下さると言っていた。その他、佐野眞一さんとプレジデントの石井さん、旭屋書店の湯浅さん、井上はねこさん、青空文庫工作員の及川さん。

2日目に開かれた第1分科会に出席した。正式な報告もでているが、あまりにもひどいので、私なりに報告をしたい。

9時という予定時間を大幅に過ぎて、あるいは最初に開始時間を遅らせるというアナウンスがあったのかもしれないが、少し遅れて会場に入った私には、そのような説明はなく、他の分科会よりも30分遅れた9時半から、分科会はスタートした。

スタートしたのはしたのであるが、津野海太郎さんが冒頭から、ひどくゆっくりした口調で、話し始めた。その上、予定の時間よりも早く切り上げましょうと最初からいうなど、ずいぶん、気の抜けた感じであった。しかし、これはあとで気が付かされるが、たぶん、津野さんの作戦だったのではないかと思う。

西谷さんから、口火をきったが、彼もずいぶんとゆっくり話し、全体に、あまりどうせ話すこともないので、のんびりやろうという雰囲気であった。たしかに、午前中の話しは、岩波書店の大塚さんが述べられたように70年代には「哲学講座」が、10万部以上売れたのに、同様の講座が年代を移るに連れて、4万部になり、最近では2万部を切っているというように、人文系の出版の現状は、どうもぱっとしない、マーケットは20分の一になってしまって、どうしようもないわけだ。どうにも、やれやれという感じで進んでいった。

私が、朝、帰りによる松村さんの息子さんに買っておいてもらった徳山までのチケットを2枚なくしてしまったことに気が付き、どうしようもない情けない気持ちになっていたということもあったのかもしれないが、気が乗らず、はっきり言って眠いような感じでさえもあった。(無くしたこともあるが、それよりも疲労による自分自身の管理能力の減退を感じ、がっかりしてしまったということが大きい)

昼の休憩に入った。

地方小の川上さんに言われていた第5分科会のレポートを押しつけてしまった賀内のことを昼に心配しながらのぞき込んだり、(必死にパソコンでレポートをまとめている彼女を心配させると悪いので、チケットのことは聞かなかった)、そんな具合で落ちつかないで、『ひらけ! T-Time』を売ってくれている田辺さんたちの後ろをうろうろするだけで全然手伝えず、どうしようもないところに、津野さんに「指名するから、過激に話してね」と言われ、あまり、頭が回らないでいてぼーっとしていた時に、龍澤さんにお会いして、網野善彦さんのことなどを話しているときに「大塚さんがあんなにざっくばらんと話しているのは初めてだ」という言葉を口にされて、あれ?とにぶい私もちょっと感じたのだった。

後半は、龍澤さんの「ネットで百科」のデモで、始まり、西谷さんのパソコンのユーティリティの機能を使った原稿整理(SedMacを使った本格的なもの)の話しの後、会場を含んだ「雑談」に入った。勁草書房の徳田さんによる意図的な西谷さんへの質問の時に「パソコンを使った処理によって1000部という少部数でも刊行できるようにするということは、できるということを単純に良いことであるといえるのか、そのような少ない部数の物は、紙で出さないといった選択枝もあるのではないか」という本人も断った上でのことであったが、意図的に反対意見を提出された。西谷さんによれば、それは、決して1000部で終わらそうとしているのではなく、人文書の読者は3000人くらいはいる可能性があり、また、その可能性にかけるのではあるが、スタートを少なくすることで堅実に出版活動をすることが可能になると答えられた。また、葦書房の三原さんは、西谷さんは、原稿整理を完全にすることで、初校で責了にしているということだが、書き手には、原稿を直す権利があり、自分としてはそのことを尊重しながら、本にしたいと述べ、津野さんは、その両方とも違う意見を持っているが、ここでは話さないことにすると述べた。

因みに、三原さんは、葦書房の創業者がなくなった後に引き継いだ経営者であるが、もともとは水俣病を精力的に取材して報道する毎日新聞の記者であり、編集委員のような要職にまで付いた方であったが、今は、小さい出版社の親父の風格があり、記者という職業の人が、一般にそんなに小さな会社を経営できるともおもえないが、そのことに驚かされた。見事に親父になりきっていることはすごいことだと思う。事実、口が悪い人は1年持たないと言っていたそうだ(この話しは、別の時に別の人から聞いた話)。

その後、私が指名されてしまった。質問をせねばとの思いから、無理矢理まとめようとして、どうもあまりうまく話せなかったのだが、哲学講座が10万部以上の時代と激減した時代では、社会や読者が変わってきているのではないか、その読者をどう考えているのか、といった趣旨で質問をした。それを受け手の変化ということで、上智大学の植田先生が、本を読んでいた読者は、音楽に行ってしまったのではないか、という趣旨のことを話された。尾崎豊の葬式を見に行ったそうである。しかしながら、津野さんが、植田先生の意見として聞いておくにとどめるということにさせてほしいとそのままにし、私の方に質問ではなくて良いので、投げ銭などの自分でやっていることを話してほしいということで、再度、私が話しをさせていただいた。

私は、『ルネッサンスパブリッシャー宣言』を出したといい、ルネッサンス=復興ということは、一度死ななければいけないのではないか、と述べることから、はじめた。11万の読者というのは、実は出版のバブルであり、現在の数千人という読者の方が実態と近いのではないか、そのことを見るべきと述べた上で、岩波のヘルメスの広告媒体資料に、ヘルメスの読者は、月額5000円以上の書籍購買金額であるという事を誇って広告を募っていたことに、その金額の少ないことに驚いたことを話し、一方、携帯電話の電話料が一月1万円という人はかなりいるだろうが、だとすると、話しをするまえのコミュニケーションの手段としての、映画や本は必要性を失っているのではないかと述べた。もはや、コミュニケーションには、間接的な媒介は必要がなく、実質的に話しが中心になってしまっているのではないか、ということ。

逆に、1000人の読者が、1000人の人数で、ある本を支えるということがあるわけで、その1000人が支えようと言う意識があれば、あるいはその意識を作ることができれば、本の再生は可能ではないのか、そのためにも投げ銭システムというパトロンシップを育てる仕組みを作ろうとしていることを報告した。また、新しいタイプの読者共同体を作りなおすために書評のHPを運営していることも述べた。

私は正直、驚いたのだが、岩波の大塚さんが、あなたの発言に感動したと言われ、あなたの言うことは、たしかにそうなのだが、多くの人間を抱えている社としては、(縮小した)現在の現実の読者数に甘んじることはできない、脅かしたり、誘惑したりして、読者に本を買うようにするようなことを行うこともやっていかないといけない実状があると言われた。(ここで、私は感心しても仕方がないのだが、やはり、龍澤さんのいわれるようにこんなにざっくばらんと話されると言うことは今までなかったのではないだろうか?)

この後もいくつかの発言があった。

アミ編集工房を運営して、若い編集者を育てている井上はねこさんによって、現在の大学の知は、古くなっているのではないか、学問としてのフェミニズムには全く興味を持てないので、その手の本を買わなくなってきている。高名な女性学者のUさんを含めて本など全然面白くないし、勉強にもならない。むしろ、インターネットなど違うところでの、文章の方が面白いこともある。また、大学の中での地位を上がるための業績のために本にするのではなく、既製品の学問ではない若い人の論文などが、オンラインでデジタルで読めるのなら、別に紙の本にする必要がないのではないか、少部数の物を無理の本にすることはやめて、別の媒体を使うことも考えても良いのではないかと述べた。ここで、頚草の発言者も、そのことが、自分の意図に近いと述べた。

結局、終わったときは予定の時間をこえていた。他の分科会よりも遅くなったくらいであった。終わった頃に気が付いたのだけれど、津野さんが、ことさらにゆっくりとはじめたのは、どうしようもないやれやれという人文書の不況を不毛なあるいは、文化の危機だといったような絶叫的な声ではなく、それぞれの持ち場で起きていることを、静かに正直に忌憚なく、しかも丁寧に語り合うことから、ゆっくりと考えていくという方向に議論が流れていくように仕向ける作戦であったということだ。それは、結果として、大きく成功したと判断できる。最終的な印象として、静かに語り合ったという満足感が残ったように思う。

個人的には、この後にマツノ書店を訪問したことが、もう少し具体的に少部数での読者共同体ということを私に考え直させることになった。少しだけ言うと、丁寧に読者に通知をだし、語り続けることで、500部刊行の本を刊行する前に、ほぼ80パーセントの予約を取ってしまうのである。そのために、本当に丁寧に「お得意さん」にはがきを出している。ちなみに、大村益次郎の覚え書きが、大村家のふすまの下張りから、見つかり、長い年月をかけて、それを文字に起こしたものが、現在、校正が出ているところで、その一部を見せていただいた。また、農民から武士までの混成部隊であった奇兵隊の日誌の翻刻も進めているとのこと。これは、民衆から、支配層までの幅広い言語資料となるだろう。さらに、念願の手書きのお得意さまデータベースを見せていただいた。本当に細かいデータを記録していて、この着実さが、読者にマツノ書店を支援しないといけないと思わせ、また、山口県史の資料を出すという行為そのものをも支持したいと思わせているのだと思った。本当に貴重な体験をさせていただいた。

ひつじ書房も、来年で10周年を迎えることになるが、初心を忘れないで丁寧に、本を作り、丁寧にお得意さまとつきあうということを忘れてはならないと反省をさせられた。松村さんの書かれている火車日誌に松本が、高杉晋作として紹介されるということであった。山口県史を出している出版人にそのように言われることは本当に光栄である。高杉晋作は、奇兵隊を作ったからねえといわれた。書評や投げ銭は奇兵なのであろうか。前にも述べたが、この日誌自体、火車日誌を真似ているものである。ちなみに、「かしゃ」ではなく、「ひぐるま」と呼ぶとのことであった。

夜は、酒宴の席を設けて下さった。松村さんとの話はあらためて別の機会にしたい。

さて、松村さんのひょうひょうとした中での着実さ、500部というミニコミと呼ぶべき部数の専門書を丁寧に作っていることを見るにつけて、丁寧に仕事をすることに細心の注意を払っていることを再認識するにつけて、私の仲間の間では評判の良かった第5分科会のことが、どうも気になり始めた。違和感が胸の中に持ち上がってきたのである。それ何なのか?そのこと自体が、釈然としない気持ちを浮かび上がらせ始めた。これが、たぶん、私が事務所に帰ってきたときに強い疲労が表情に出ていた理由だと思われる。

この文章を書くことで、その気持ちの一部が整理されて、すっきりした気持ちになった。

デジタルも紙のミニコミも関係なく、読む人に求められているということが、重要であるということ、それはそうだが、何かがおかしい。自分が好きであること、自分が書きたいことを書くことが、読みたい人と出会うことができる時に、幸福である。その時には、媒体の規模には関係なく、幸せが生まれる。もし、その幸福感のために、商売や届けることにまで、気持ちが及ばない場合あるとしたら。

松村さんの営為を見るとき、違うと言う声が私の中に聞こえてくるのである。これは、甘いのではないかという声だ。

自分が出したいものをだすことは、いいことだ。それが、読者の求めている物であるならば。たしかに反論はしにくいがそうなのだろうか?何をいいたいのかというと、「戦略の不在、責任は?」と言うことである。もちろん、そのような戦略や責任についても十分に思いを寄せ、実行している人も少なくないと思う。しかし、そうではない場合も少なくないのではないか。

一番、分かりやすい例を挙げるが、具体的な固有名詞は隠すことにする。

ある人が、ある人の書いた文章を、本にした。それしか、しなかった。

これだけでは分かりにくいので、もう少し説明する。この場合は、紙の本にしたのだけれども、本にするときに、流通経路を開発しなかったのである。その人は、トーハンや日販が、どうぜ口座を開いてくれないので、開設しなかったというかもしれない。しかし、6冊以上出すという出版計画書を持っていけば、地方小出版流通センターの川上さんは、かならず口座を開いてくれるのである。少なくともそのようにすれば、注文して、本を手に入れることができるようになる。それすらしないとは。私は、そういう人とはつき合えない気がする。

ある人が、ある人の書いた文章を、本にした。それしか、しなかった。

つまり、これではだめなのだ。本を出してさしあげるということは、それが、スムーズな方法であれ、なかなか大変な方法であれ、少なくとも届くことが可能であるような経路を確保しないと、本を出すと言うことの責任は果たせないのだ。もちろん、悪意はないし、本屋さんにたまたま知り合いがいなかった、業界的な知識がなかっただけなのかもしれない。

今は、インターネットがあるではないか、そこで本のことを告知すれば良いではないかという反論が来るかも知れない。それはそうだ、しかし、私はそれでは、責任として不十分だと思う。それでは、自分の家の前に張り紙を出しているのと変わりはない、と私は思う。それでは、行動していることにはならない。もちろん、自前で様々な売場を作り、わざわざ遠方に出向き、精いっぱいの努力をしている人もいるだろう。

「トーハンや日販が、どうぜ口座を開いてくれないので、開設しなかった。」などという訳知りは、決して言い訳にはならない。そんなことは、だれにも言えることなのだ。ひつじに関して言うと、どうにか、本が読者に届けられるようにするために、今までの9年間の苦労がある。苦労したから偉いといいたいのではないが、そういう営為をさけても許されると思うのが解せない。その仕組みを作るところから、あるいはその仕組みを作ることができるような経験と知恵がない限り・・・。私たちは、それを作ろうという努力を積み重ねてきた。デジタルだから、そんなことをしないでいいということがあるだろうか?

電子出版を行うときの十箇条

1 内容を吟味する
2 読者を吟味する
3 その内容を読者に届ける方法を吟味する
4 届けるための形式を吟味する
5 その形式を実現するためのコストを吟味する
6 実現するための障壁を吟味する
7 読者が不足している場合は、あきらめるか、作り出す
8 コストがかかりすぎる場合は、あきらめるか、コストを減らす
9 届ける方法が難しい場合は、あきらめるか、その方法を作る
10 自分に能力が欠けている場合は、あきらめるか、自分を変える

これは、もちろん、電子出版だけではなく、出版そのものである。このことが、うまく実現できないためにあきらめるという判断をできるだけ、さけたいために、新人も含めて、ほぼ、毎晩、11時過ぎまでという感じで、仕事をしているのである。いわゆる大手の出版社は、読者が多くいないとあきらめる。あるいは、数万人単位の本だけを作る。一方、小出版社は、読者が少なくても本を出すことを可能にするために、身を削っているのである。この体制は、改善しないといけない。(マツノ書店の松村さんは、6時で仕事は打ち切ることにしていると宣言している。)というのも、道がないところに道を付けようとしているからだ。

たぶん、大手の出版社と零細との違いは、ここにある。零細の出版社は、小さな確かな読者共同体とともにあるのだ。

趣味人の本の作り方

(趣味という言い方は、どうも古くさいが、他のことばを思いつかないので、とりあえずこれで呼んでおく。趣味だから誠実ではないという意はない、念のため)

1 自分の出したいものを書く
2 その人が出したいものを本にする

もちろん、時代の感覚、作り手と読み手の趣味の分野が一致したとき、この本の作り方も、無効ではない。むしろ、零細出版社が、どうあがいても1000部の時に、この方法の方がかえって数万人を確保することもあり得るのである。だから、1000部前後の本をずっと出し続ける零細の出版社(プロ)と数万部の発行を誇るミニコミ誌(プロもいるが、たいていはセミプロ、アマチュア)もあるということになる。たぶん、ミニコミ誌的な作り方をする大きな企業が出している雑誌もあるのだろう。話しは変わるかも知れないが、音楽の世界に地方小出版流通センターがないのは、そういうことが原因なのかもしれない。

とすると

趣味人型雑誌・ミニコミ-----------商業誌・マスコミ
              ↑
              ↓
           零細専門出版社

という対立項もあり、むしろ、ミニコミ誌とマスコミ誌は、近い場合もありえるということだろう。この問題は、この問題でなかなか面白い。総合雑誌の時代が終わったという点では、商業雑誌も、作り方は、ミニコミに近いと言えるだろう。この場合は、売るときや物を作るときの経費や方法などは、それぞれ、営業部や制作部にまかせて作り手は考えなくていいということになる。流通あるいは届けることまで、考えているという点では、私の分類では、「谷根千」は、零細出版に近いのだろうか。賀内が、「谷根千」の山崎さんに聞いた話では、編集だけ希望の人は、すぐに辞めてしまうそうだ。零細出版社とミニコミは、違うものなのか、それとも共通するものを持っているものなのか?

私は、これでいうといわゆるミニコミとしての電子本を作ることはしないだろう。私が、協力し、あるいは作りたいと思うのは、少部数出版としての電子本であろう。それらは、編集者としての責任、あるいは戦略を持ったものになるだろう。

さて、とはいうものの、投げ銭は、「趣味人の本の作り方」に近いのではという声が聞こえてくる。あるいは、インターネットはそもそも趣味人の世界ではないのか、という疑問。インターネット上でそれをマッチングさせ、それを生業として成り立たせるものではないの?という声。さて、それにはどう答えようか? ひとことだけいうと、仕組みごと作ろう、ということが、「電子出版の十箇条」に近く、その意味では、単なる趣味を志向してはいないということだ。

もう一つ。趣味と道楽の違いはどうなのだろうか。似ているようで違うところもあるような気がする。たとえば、『江戸の道楽』(棚橋 講談社メチエ)の本の中に日本地図を作った伊能忠敬の話しが出てくる。これは、道楽であると。学問・研究は、趣味であるのか、道楽であるのか? 伊能忠敬の例を見ると、道楽の方が、公共性を持ちやすいような気がするけれども、根拠はないか。

最後に、チケットは見つかった。私が、私の袋と賀内の袋を、取り違えてしまうと前後して、同室の文苑堂の松田さんの袋を私が取り違えるということがあって、なんだか分からなくなっていたのだが、交流会で、チケットがなくなっていることを必死の思いでいうと、賀内の同室の方が、チケットを見ましたと名乗りを上げてくれたのである。何のことはない結末になってしまった。事務局の塩見さんには、多忙な中、ずいぶん、ご心配をお掛けしてしまった。感謝とお詫びを申し上げる。私の同室の方についても感謝いたしております。

1999年9月24日 販売の分析をするために地方小の庇護を出たのに

金曜日の夜から、研究社の藤井さんの群馬の豪邸に出かけた。言語学出版社フォーラムの会合を藤井さんのセカンドハウスでやらせていただいたのだ。行きは、大修館の青木さんと同乗し、営業会議を藤井さんのお宅のそばで行ったということを聞いた。もちろん、秘密の話しを聞いたわけではないが、営業会議で一年の売れた数の確認と来期の刊行予定を決めるというそのことだけでも、私には身のつまされる話しだ。

ひつじ書房では、きちんとした営業上必要なあるいは経営上必要な数字をきちんと照らし合わせるということをしていないからだ。基本的に私のどんぶり勘定で運営しているのが、現状だ。

とはいうものの、月次あるいは商品ごとのデータがないわけではない。実は地方小出版流通センターという庇護を離れて、トーハンや日販と取引し始めたのは、書店名が地方小ではわからないことから、書店別の売り上げがわからないという事態を改善するためだった。地方小では、取次に82掛けで入れているようなので、ひつじからが、67パーセントだから、15パーセントを流通の手数料として取っている。これが多いのか少ないのかわからないが、返品がないために通常の取り扱いの手数料よりは、安くなっているのだろう。15パーセントには、どこの書店で売れたとかの情報作成料は入っていない。もしかしたら、もう10パーセント程度の手数料を払えば、データを作ってくれたのかも知れない。しかし、聞いたことがない。

個別に出荷していないとデータを作ることができないから、地方小の庇護を離れたということだ。書店さんから、本が届かないと言われても、どこまで行っているのか、一括して数十冊を入れてしまうために分からないこと。もう一つは、再販制が崩れ、あるいはまた取次の機能が変化した時、書店ごとに納品の掛け率が変わってくるだろうが、その時、どの書店がお得意であるかがわかる資料がこちらにないとまずいと思ったからだ。

とはいえ、それまで、課題であっても実際に行っていなかった出荷のデータを、1998年の6月につけはじめていたが、さらに書店リストに受注しているのかいないのか几帳面にとり始めたのは、T-Timeを最初に出すときに、きちんと資料を作る必要が生じたからだった。だから、98年の6月7月は、初期であったことによってデータ作りで非常な手間が掛かった。スタッフの方も仕事が圧倒的に増加してしまった。一点一点、データを入れていく。これは、なかなかたいへんなことだ。たぶん、それも、昨年人が3人辞めてしまった理由の一つではないかと思っている。もちろん、それだけが原因ではないにしろ。

残念ながら、その後もバタバタが続いていて、データは入れるようになっているのだが、私の方でせっかくのデータを全く分析できていない状態のままである。これでは、まったくまずい。しかしまた、実際にどうにかする必要があるだろう。ということは、ひつじ内の仕事の再構築をする必要があるということになるだろう。

1999年9月25日 果たして、CD-ROMの本は、紙の本よりも発展しているのだろうか

しばらく、つらつらともにゃもにゃと頭の片隅にあった疑問が、さらにかたちをなしてきた。私の場合、たまにそういうことがあって、何か疑問をいだくと、頭の中のどこかで静かにエンジンを回しながら、考えているときがある。かならずしも、とても大きなパワーを使うわけでもなく、たとえていうとパソコンの中で少ないメモリーしか使わない小さな思考のアプリケーションが動いているような感じだろうか。私は、起きているときも、寝るときも、そんな感じで、いくつものことを考えている。たぶん、高給取りのサラリーマンはそういうことはないだろう。何かがあると、そのエンジンが、全速力で回転を始め、数カ月間の成果をまとめ、思う浮かぶことがあるのだ。

今回の場合、ジャマイカ飛びが売れなかったことにある。出る前から売れないと思ったなどということは言うまい。何かしっくり来ないものを感じていたのは事実だと思う。それは、一言で言うとCD-ROMというものが、電子本にほんとうにふさわしい形態なのかということであった。さらにいうと、それはむしろ本屋さんよりもレコード屋さんやCDレンタルショップの方が親和性が高いのではないか、というような気持ちだろう。

本の欠点として、パッケージ化する必要があるということで、物語性や整合性や統一性が必要になってしまう。これは、マスプロダクトの場合はメリットだけれども、自分の思いを伝えたいということからすると、非常に無理が生じる。ルネパブでの繰り返しになるが、さまざまな声の個性を殺し、文体を統一し、それほど専門的ではない人でも読めるような啓蒙性の必要によって、荒削りで面白いところが削られてしまうのだ。パッケージ化は、全体で値段を決めやすいということがあるが、中身を切り売りすることができなくなってしまう。だから、本の場合は、立ち読みができたり、切り刻んだりすることができるようになっている。書き込みという点もそうだ。

私は、パッケージという考えは、破綻していると思う。作り手が主導し、読み手を導くようなパッケージという形態とはおさらばしたいと思っていた。

では、CD-ROMというものは、どうなのだろうか。ここで考えているのはCD-ROMにおさめられている電子本のようなものである。これは、紙の本から進歩しているのだろうか?良く考えるとパソコンに入れた後の検索の機能以外のところで、何か進歩しているところがあるだろうか。一枚のものにまとめられていること、パッケージという問題は、そのまま引き継がれているのではないか。さらに悪いことに、立ち読みが全然できないのだ。パッケージになっていて立ち読みができない、当然、切り刻んだりすることはできない。この性質は、本ではなくてレコード、音楽CDだ。急いで付言しておくと、音楽でもインディーズとして、マスプロダクトとしてではなくやろうとした場合、焼き付けされたCDのかたちではだめではないか? もし、自由でプロダクトの数に関係なく音楽が生まれるとしたら、書き込み可能なメディアが現れたときではないのか。

現実的な対策として、電子本と言われているものに、十分な紙の本をつけるということも考えられると思うが、それは電子本なのだろうか?電子的な部分は、おまけにすぎないのではないのか?これでは、電子の部分がそえものになってしまうから、最初の意味がない。それが売れたとして、売れればありがたいわけであるが、そのことに意味はあるのだろうか。あるいは、そこから、電子本あるいは電子出版が生まれるだろうか? たぶん、CD-ROMにはおまけ以上の機能はないだろう。

電子本が紙の本よりも進んでいるものだというのなら、パッケージをすてて、ナビゲーションの中に身を任せるとか、自由に出入りできるとか、何かが必要なのだ。もう、破綻している紙の本のパッケージという機能を離れなければいけないのではないか?

とするとこれは、せめて立ち見ができなければならないし、立ち見版を別途作るくらいなら、全部をシェアテキスト・投げ銭テキストにしてしまう方がいいのではないだろうか。パッケージを捨てることができなければ、電子「本」の意味がないのではないかということだ。

そのために、オンラインでの編集行為を支援するために、投げ銭システムを作る運動をやっているのではないのか? パッケージに問題がなければ、オンラインでテキストを読めるようにする意味は、考えなかっただろう。CD-ROMというものは、退化したメディアなのではないのか? FDならば、書き込むことはできる。この点では、FDよりも劣っていることになる。人間が勝手に書き込みできないメディアは、そもそも本ではないのではないだろうか。もちろん、現在、CD-ROMを電子本と呼ぶ場合、FDには入りきらないし、インターネット経由で動画を見せることはできないし、オンラインの課金の方法もないから、しかたなく、あるいは戦略的にCD-ROMを使うということはありえるだろう。でも、方便なら、もっとストレートに問題にせまることをした方が、精神的には楽だ。だって、面白いもん。

デジタルコンテンツには様々な問題、課題があると思う。それに対してCD-ROMは何か有効な新しい考えを提供しただろうか。それは、無意識のうちにレコードと本の悪いところだけを受け継いでしまったのではないか。

日誌 1999年4・5・6・7月

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