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振り返ると反省すべきことが多いのは、例年の通り。今年は本を出して、出版界・学問業界に対する問いかけを行った。これは、身ほど知らずともいえるが、少ない好意的な書評はあった。「鳩よ」や仲俣さんの朝日の夕刊の紹介、東京新聞の夕刊、未来の西谷さんの文章などとオンラインの河上さんや真島さん、辻さんのレビュー。
年の終わりになると今年の本として取り上げるシーンが多いが、ひとこともどこにもふれられていなかった。そういうものか。あまりがっかりすると偏屈爺になりそうなので、自制しないといけないとは思うものの、嫌らしい言い方をすると出版そのものの基盤に問題を投げかけているのに、こまごまとしたことには、反応するものであるのに、インフラについての議論は無視するのか。こんなことを書いているとだれかが、また、いらだっていると言ってくるかも知れないが、たしかにいらだっていることは事実だろう。
本という者の捉え方が、いわゆる業界人と私ではだいぶちがうのかもしれないとも思うようになった。今の業界の主流は「本の雑誌」と○○なんだなあ。それを否定する必要もないが、彼らはサブカルチャーだというかもしれないが、メインカルチャーになっているのである。とすると私は何カルチャー? 脇カルチャーかしら。
そんな中ではポシブルブッククラブのメーリングリストで、何人かの人が今年の収穫としてルネパブの刊行を取り上げてくれていたことには深く感謝したいし、ルネパブ公開読書会に参加してくれている方、主催していくれている英さんと山本さんにはお礼を申したい。こんなにいろいろの方の支援をもらっているのだから、既存の人々が無理解でもいらだつべきではないだろう。
また、多くの人はもしかしたらお手並み拝見ということで、見守っていてくれているのかもしれない。せっかちはよくない。
年末に柳原書店が営業を停止したりと小田さんの本の予言がますますあたりそうなかなりいろいろ問題がある出版事情である。これを乗り切るだけでもなかなか大変だが、やはり、問題点を指摘したり、具体的な改革案をだしたり、閉じこもらず積極的に出ていきたい。とはいうものの、今までとは少し方法を変えることにする。今までの数年間は、最終的にルネパブに結集したわけだが、自分で、個人に提唱するということだった。これからは、組織を動かすことを考えたい。実際に何かをする段階になって、一人の声に直接パワーが集まって動かしていくということを期待していたわけだが、個々の出版人にはほとんど期待できないことがわかったと思う。賢いはずの人々は、自分の足下のことは考えず、また、行動にもでない。出版人と言っても、おおかたの人々は普通のサラリーマンと何らかわることがない、ということだ。こういう言い方は、あまりにも尊大だし、そういうあんたは何と言われると返す言葉がないのだが、でも、多少の能書きを言ってもいいくらいは数年間やってきたと言ってもいいだろう。だめ?
多少嫌らしいかも知れないが、組織のトップの人々を巻き込んでいく方向に変えよう。取次の幹部とか、印刷所の幹部とか、経営に携わっている人を口説くことにしよう。草莽革命ではなく、長州藩と鹿児島藩を動かすという感じか。やだねえ。でも、仕方がない。吉田松陰から高杉晋作あるいは坂本龍馬に路線変更。
さて、そうなると自分で歩いて説得して歩くことになるが、自分でDTPをやっているあるいは新人にDTPで本を作ってもらっている余裕がなくなってしまう。本作りから学んでいる時に本の作り方が分かっているものが、教えないといけないからだ。このこと自体は非常に好きな仕事であるが、拘束され過ぎてしまう。本の作り方が分かっていてDTPをやるのなら、いいのだが、操作を自分で全部できてしまうとルールがわかりにくい。ここの作り方の意味が分かっていないと、すべてが選択肢になってしまう。そんなところに力を注ぐなと言ってもわからない。逐一教えることのできる体制というのも、くろしおさんみたいに、編集長が別にいればいいのだろうが、そうではないひつじでは、私に負荷が掛かりすぎる。やはり、一番手が掛かる時期は、印刷所にお願いした方がいいだろう。教育費込みだと考えれば、安いものである、といえよう。すいません、三美の稲田さん。よろしくお願いします。
また、印刷所に組んでもらえれば、自宅で仕事をするのも楽だ。こはいい。
今は過渡期でDTPで作っている途中のものもある、これが年度内に片づけば、私も含めて外に出よう。初心に返って、研究者の方々の研究室を訪れよう。そのためにも、経費は掛かっても、一時的にDTPの比重を下げる。組版は専門家にやってもらって、人と会うことに重点を置こう。人と会い、さらに本を買ってもらう。買ってもらうことが一番の批評だから。
認知言語学、障害と習得の言語学、ネットワークの言語学、テキスト論、談話論、脳の言語学、社会言語学などなど。さらに、小さな経営者になって気が付くこと。それが本になっていないことがおおい。だから、SOHOのための本を自分のためをも兼ねて作っていこう。機動力を付けること。さらに、オンライン言語学誌を創刊したい。高校生のための日本語入門、人にわかりやすくつたえるための言語学、人間関係のための言語学、言語学の可能性は広い。きちんとした研究をしている言語学者で文章が書ける人に、きちんとお願いをして、ひつじならではの、書籍を出していきたい。10年周年を迎える2000年は新しいテーマを見つける機動力を優先したい。さらに、原稿催促も強化されるであろう。本来のひつじのテーマすら十分に刊行できていない。手仕事に追われるのではなく、まめな連絡を心がけたい。
冷静沈着な蛮勇で行こう。
1999年もたいへんお世話になりました。2000年もどうかご贔屓に。2000年で10周年を迎えます。
3歳の娘がいるので、幼年誌を見る。今月号のある雑誌に、ポケモンの専用端末がでて、これではバトルはできないのだが、歩くとワットという単位がたまって、それがたまると他の同じ端末に移動したり、あるいはゲームボーイ機に移して、ポケモンにパワーを上げることできるそうだ。
これは、ほとんどエコマネーである。ワットを貯めるには、歩くしかないようだ。そういうことがあるかどうかわからないが、たとえば、父親が通勤途中そのポケモン端末をつけていると、子供にワットをゆずって上げることができる。子供が何かお手伝いをしたときに、それまで貯めておいたワットをご褒美に、お小遣いではなくて、そのワットを上げることができる。何かをしたことをお金ではなくて、ワットとして交換できる。最終的には、子供達は譲りうけたワットでバトルをすることになるのだが、そのワット自体を流通・交換できるというところは、一種の電子マネーに近いし、発想はほとんどエコマネーである。
子供用のゲーム機に、一番最初に「エコマネー」が導入されるというのは、興味深いことではないだろうか。「エコマネー」が、子どもたちの世界に遊びのための商品として導入されると言うこと。そんな商品を開発することができるのは、もしかしたら、現代に対するしたたかな洞察者だからなのかもしれない。もし、これが本当のエコマネーだったら。自分のワットを、自分の支持する人に譲り渡せるとしたら、これはまさに投げ銭といえるだろう。おそるべしポケモン。あなどりがたい。
年末、以下のような文章を考えた。
デジタル羊として新たな旅立ちを
ひつじの耳を創刊します。
ひつじの耳(仮称)を創刊します。ひつじの耳は、ひつじ書房の本を生み出すための孵卵機と考えます。無明舎さんを見習って、原稿が来るのを待つのではなくて、もっと積極的に原稿を作り出そうと思います。編集者としての腕をもっとふるおうと思います。この人にこんなことを考えてもらいたい、文章にしてほしい、こんなことを聞きたい、知りたい。
そうしたことを原稿を待つのではなくて、どんどん働きかけて、本を作りましょう。これは安倍さんの出版ニュースの文章を読んで思い立ちました。言語学にはいろいろおもしろいトピック、こんなことをもっと研究してほしいなどと思うことがたくさんあります。でも、今までは、その人がたまたま書いてくれるのを待って、発表の場を求めたときに、ひつじ書房がある、というようにしようと思っていました。でも、安倍さんによると自社で企画を立てて積極的に動いているそうです。別に研究者自身の問題意識を軽んじているわけではありません。でも、編集者が提案してもいいでしょう。その提案が良ければ、もしかしたら、言語学自体をすすめることができるかもしれないからです。
加えて自分が知りたいこと、考えたいこと。あるいは会って話を聞きたいこと、悩みを解決するために知っておきたいこともたくさんあります。SOHOとは。子供のいる環境で仕事をするということ。少人数で、仕事をしていくために考えないといけないこと、などなど。そんなことは既存のメディアではだれも教えてくれません。でも、これからは必要になることです。SOHOにとって必要なことを人よりも少しだけ先に経験しているとしたら、そのことをテキストにしていくことは、自分のためでもあり、後から来る人にも役立つでしょう。いろいろ思うところはありますが、この辺で。 オリジナルの文章
安倍さんの「著者ってそんなに偉いの?」を読んで、思いついたことだ。安倍さんによると2つの事件があったという。大きな企画として編集委員と話し合って創刊することに決めた雑誌なのに、原稿を全く書いてくれない編集委員にあきれ果てて創刊まえにやめてしまったこと。少人数で運営している出版社が、自分勝手な著者にはつきあいきれないというのはよくわかることだ。雑誌の場合は、定期的に刊行しないといけない。さらに、1000ページもの本が、盗作まがいのものであることが発覚し、製本間際に刊行を取りやめたこと。この分量で組んで、印刷まで終わっていたとなると数百万の損害だろう。
安倍さんによると著者の原稿を待つのではなく、自分で企画を立てて本を作っている無明舎編の本をかなり回しているとのことだ。作家先生を抱えている大手の出版社ではない出版社の場合、重要なことだという。安倍さんにならって、私も待ちの姿勢から、積極的に本を作っていく方向に変えようと思う。また安倍さんは、別のコラム「舎内報を出す理由」の中で「この未曾有の不況を乗り切っていくためには、まずは資金繰りを中心に据え、場あたり的でない刊行プランや原稿ストックが重要な経営戦略上の中核になる。」と書かれている。資金繰りとよい原稿のストックということだが、心の底から、まったく正しいと思う。ひつじの屋台骨の本も、何年も待ち続けているが、原稿が届かない。屋台骨の本がでないとひつじの経営はとたんに悪化してしまう。よい原稿を確保するには、きちんと催促することも含めて、こちらから積極的にでていかないということだ。
ということを思ったので、先の文章は書いた。2月には妻の40歳の誕生日ということもあって、家族旅行を企画しようとしていたのだが、それも兼ねて、安倍さんに会いに秋田に行くことにした。お会いしてくださいますかとおそるおそる電話をかけたら、大船に乗った気持ちで来てほしいとあたたかい歓迎の言葉を下さった。どのようにして無明舎編の本を作っているのか、教えを乞いに行こう。出版の先輩にありがたく相談に行こう。冬の角館は素敵なところだそうだ。
ちなみに、安倍さんには、この秋、「本の学校」ではじめてお会いして、魅力的な話しぶりに引かれて、勝手に慕っているという関係だ。そうだ、ルネパブについても「出版ニュース」で良く紹介していただいている。
9日は、夏に「進化するニューヨーク公共図書館」を『中央公論』に書かれた菅谷さんの懇親会を浦安市立図書館で開くことがあって、浦安に行く前の時間、事務所にでている。郵便受けに『本とコンピュータ』の最新号が入っていたので、目次に目を通す。小説家の井上夢人さんの「アンドロイドは電子活字の夢を見るか?」を読む。小説家自らが、e-novelsというサイトをたちあげたことは最大限に評価したい。でも、よくわからないことがある。
井上さんは、ある出版社がプレーンテキストで電子化を求めてきたことに疑問を抱き、著作権についてどうなっているのか、と聞く。コピーされることに対して、満足のいく答えが得られないことを述べている。最終的に自分のそのe-novelsでは、PDFでやることにしたらしい。しかし、PDFで著作権が守られるのだろうか? 疑問点を述べる。
- 紙に打ち出したものを簡単にコピーできることをどう思っているのだろうか?
- パスワード付きで誰かにゆずってしまえることをどう思っているのだろうか?
- OCRで読みとれば、簡単に電子化することができてしまうことをどう思っているのだろうか?
この3点を考えると、プレーンテキストに比べてPDFがそれほど著作権を守るという点で優れているわけではない、ということがわかる。もちろん、コピーしようとした時の手間がかかるという点で、プレーンテキストよりも抑止力がより強く働くということはいえるだろう。ともいえるが、PDFはレイアウトしたものが手に入る。コピーして読むのなら、こっちの方がありがたいくらいだ、とも言える。
思うのだが、小説家が新しいおもしろいこころみをしてみました、ということではなくて、著作権の問題、それはPDFで原理的に解決可能なのか。それは抑止力の程度の問題ではないのか。もちろん、程度問題こそが重要だとも言える。PDFは印刷できないよう設定することもできる。また、井上さんのこころみは、根本のところで作家と読者の問題、そして出版社の問題を問いかけていることが重要だろう。(出版社の問題は、井上さんが触れてもいる。)また、雑誌の小説をコピーして配る人がいないだろうことを考えるとそれなりに有効だと考える根拠が何かあるのかもしれない?それはなぜだ?といったもう少し掘り下げた内容にすべきだったのではないだろうか。
また、プレーンテキストを拒否し、PDFを優先するということは、どうしてなんだろうか。作家のある種の特権性が、テキストを固定することにあると感じているのではないか。その点なら、PDFは守ることができる。財産権としてではなく、作家の名前の権利。このことは、作家の特権性は、近代の印刷技術によって守られているということではないのか?という疑問を呼び起こす。と同時にコピー可能ということは、パソコンやUNIXのOSがたまたまそうなだけであって、将来の電子端末がその機能を限定してくる可能性も大きい、という点では、作家の権利が揺らいでいるのは、パソコンの時代であるが故で、たかだか、十数年の特殊な時代の問題なのかもしれない。別にポストモダンの要請でも何でもないともいえる。ここの点がおもしろいのだ。
コピー可能であること。そのことは、モストモダンの要請なのだろうか。それともたまたまそうであるにすぎないのか。コピーが容易であることとその逆に作家にお金を送ることが容易でないこと。私は、お金を送ることの技術的、文化的な面の方が大きいと思うのだ。井上さんは、どう思われるのだろうか。そのことを聞いてみたいものだ。
3歳の娘がいる関係で、幼年誌を読む。小学校入学ではないが、幼年誌は年齢が関係ないので、たまたま読んだ小学校入学準備号にドラえもんがあった。
内容はこんな感じ。お使いの練習をする。3つの選択肢がある。いちいち、どれでしょう、と選ぶ箇所が、何カ所もあってあきれてしまう。お使いの途中で、草野球に誘われたら、(1)ことわって帰ってから遊びに来る、(2)少し遊んでから帰る、(3)遊ぶ。こういう形式に意味はないし、そんな三択方式は試験でもあるまいし、最低だ。もう一つは、コンクリート管が置いてある草原(くさはら)でジャイアンは野球をしているが、いったいいつの時代なのだろうか。今年39歳になる私でもぎりぎり最後だろう。このドラえもんの時代設定はいつなのだろう。しかし、ここではそれらのことにふれたいのではない。次のシーンを問題にしたい。結局、断りきれず、帰ろうかとも思っているノビ太のところにボールが飛んできて、受け損なって預かった卵焼きをつぶしてしまう。がっかりしているノビ太にドラえもんが、時間をもどすふろしきをその荷物にかけて、直して上げる。落ちはもどしすぎて、卵焼きが卵になっているところでおわる。
失敗をしてもそれを取り返してくれるドラえもん。子供にとって魅力的な存在だが、問題がある。こういう場合、ジャイアンも誰も風景にしかすぎなくなってしまう、ということである。ノビ太にだけに都合のいい論理構造ではないだろうか。これは、ノビ太一人が主人公であるから、他の登場人物は単なる風景だから、許されることであって、もし、別の場面でジャイアンとノビ太が対立する場面があった場合、ジャイアンが同等の権利を主張したら、どうなるか。成り立たなくなるのである。こういう風にも考えられる。ジャイアンもドラえもんをもち、おかあさんもドラえもんをもっていたら。それぞれが勝手にドラえもんの魔法を使ったら、収集がつかなくなるだろう。ノビ太だけが、ドラえもんを使える状況でないとだめなのだ。
これに対して、すべての登場人物が、ドラえもんを持つことを許される場合、また、ドラえもん自身が、登場人物として、自分のストーリーを主張している場合。それが実は、ポケモンである。登場人物すべてが、バトルに参加している時、マサシ一人が、ルールなき魔法を使うことができなくなる。ピカチュウは、電撃を使うが、それには一応ルールがあり、その場その場で都合の良い超能力を使うことはできない。ポケモンは、進化することができるが、それもルールにのとって進化する。勝手にその場で、都合のいいように進化することはできないのだ。そのルールもいくつもの条件が絡まりあい、かなり複雑である。
もともと、ポケモンがバトルというように一人ではなく、複数の友人同志で競技することを前提に作られている。ここで、論理の詰めなく、ジャンプすると共同性が埋め込まれたゲームであり、ストーリーであるということである。それに対して、ドラえもんは、個人の失敗とその回復のドラマしかない。確かに、ノビ太は愛すべきキャラクターではある。しかし、他者はいない。ここには共同性はなく、あらかじめある成熟(きちんと失敗無くこなせること)とそれをうまく実現できない自分がいるだけである。
となるとポケモンとドラえもんの間にある断絶というのは、予想以上に大きいといわないければならない。ポケモンの世界は、いわゆる動物たちが死滅し、猫も犬もいないで、ポケモンをゲットして、巨大なポケモンも一瞬にして手のひらサイズのカプセルに閉じこめることもできる非常にシュールで恐ろしい世界である。たぶん、子供たちは、生き物を飼うことも許されないマンションに住んでいるという現実世界にいて、実際の生き物たちよりも、ポケモンの方にリアルさを感じているのかも知れない。彼らを飼い慣らすことができるという設定、カプセルに納めることができるという設定、これはこれで、シュールな現実である。一方、これは、妖怪に過ぎないとも言え、であるならば、昔から同じような話しはあったのではないか、との考えも成り立ちうる。シュールな設定に必要以上に驚かなくてもいいのかもしれない。
さて、私は、ドラえもんは日本のバブルの最後まででリアルさを失ったと思う。とにかく、お金を出せば、壊したコップも買い直してもらえるし、崩した卵焼きもなおしてもらえる。自分の論理だけが、実現する。といいながら、現実的ではない、空き地とコンクリート管。草野球。壊したものを直してくれるということ、これはたぶん、バブル期のお金のメタファーではないだろうか。むしろ、ドラえもんは、子ども達の夢ではなくて、大人たちの夢だったのかもしれない。だから、コンクリート管が空き地にあるのではないか。
少なくとも登場するものたち、すべてが、ポケモンを持つことができ、さらにポケモン自身も自分の意志で戦うことのできる世界の方が、今はリアルな気がする。
お得意さまがいるように、イチゲンさんもいる。ひつじは言語学の本を扱っているが、数年前から出している本を急ぎでほしいという人がたまに電話をかけてくる。私が電話に出ると優しくしない。その本は出たときから、重要な本であったのに、今頃になって論文を書くのか、大学院のゼミの発表に必要だからか、急ぎでほしいと言われても困るのである。素直になれない、だって、今まで何をしていたのと思ってしまう。
さっきも電話があり、どこにありますか、というので、お茶の水を通るというので、日本書房にあると答えたら、しらないそうだ。日本書房を知らない院生はモグリである。彼女に日本書房を教えない教員もモグリである。非常にがっかりし、この人はひつじのお得意さんになることはないだろうなあ、と思った。
誤解をさけるために、言っておきたい。買った後は、お得意さんであり、神様予備群だと思っている、念のため。東京の大学に行っている人で、言語系をやっている人は、せめて日本書房くらいは知っていないといけない。日本書房は、元々は、国語国文学の古本屋ではあるが、日本語学・言語学の専門書も扱っているお店である。ここを知らないと言うことは専門家を目指していないと言うことになる。
8日は杉本つとむ先生のお宅にお邪魔した。先生は、私たち夫婦の仲人で、毎年新年になるとお伺いしている。杉本先生は、日本語学者で、近代語の成立を中心に研究している。その中で、江戸語の究明のためにオランダ語、洋学の研究者としてもパイオニアの方。
雑談した。長崎のグラバー邸というのがあって、坂本龍馬との会談でも有名だが、武器商人だったということをみんな知っているのか、とおっしゃった。竜馬は、明治維新の立役者だと司馬遼太郎も言うが、結局は武器商人なのではないのか。その通りだと思う。
解体新書は、翻訳ではないか。それよりも以前に京都には、通常の分類では、蘭方医ではなく、漢方医とされている山脇東洋らがいて、自前で解剖していた。杉田玄白は、自分では解剖していない。執刀は、非人にやらせていた。東洋は、小腸と大腸の区別が見つからず、オランダの医書は間違っているのではないか、と考えたという。これは、遅れていたということではなく、自分の目で見たことの方を信じて、書いてあることを疑ったということでは、本当の科学的思考はどっちにあったのか。オランダ医学の方が、最終的には正しかったかもしれないが、自分の頭で考えていたのはどっちなのだ。東洋たちは、解剖した人々、彼らは罪人であったりもしたのだが、その後、弔っている。そんなことは、玄白はしなかった。もとのターヘルアナトミアには、死者への弔いがある。玄白はそれをはずしてしまった。どっちが本当の医者なのか。
権威によりかからず、自前の思考を積み上げていくこと。自前の思考が、不完全であったにしろ、その積み重ねが肝要。オランダも、解体新書までたどり着くには、50年もの解剖の歴史があるという。東洋たちと玄白たち。玄白の流儀が尊重され、東洋たちの実践が軽んじられていく近代。私は、不完全であっても漢方医とされた東洋に習いたい。
完璧な思想の輸入よりも、不完全でも自前の思考。私は、これは臨床的であり、フィールドワーク的であり、実践の思想だと思う。輸入を盲信するのはやめて、実験を進めよう。Y2Kは、アメリカよりもヨーロッパよりも先に日本が経験した。これは、ミレニアムの時代に味わうべき経験だと思う。日付変更線が変わらない限り、日本は常に欧米よりも先に、日付に関わる問題については新しい事態へ突入していく。この点で、私は、山形浩生さんの日本の書籍よりも、翻訳をという計画、プロジェクト杉田玄白は、この意味で、疑問を持つ。日本の書籍よりも翻訳をという文章は、「ぼくたちの文化のありかたを考える」(『新教養主義宣言』)による。山形さんと私は、どうも向かうベクトルが逆のようだ。そもそも、最初に作るということの大変さを思うからこそ、「無料のテキストが善なり」という信仰には、つきあいきれないと思っているのである。できあがったものでいいものがあれば、無料で配ればいいじゃん、ではなく。これから苦労して作り出そうというのが、私の考えだから、水と油でも仕方がないか。
また、9日に話してくれた菅谷さんの話しでは、浦安市立図書館のこころみには、ニューヨーク公共図書館でもやっていないサービスがいくつもあるという。単に、欧米を良いとするのではなく、良いことはお互いに見習っていけばいいのだ。でも、まあ、やはり図書館が市長直属というのはいい。「図書館を市長直轄機関へ」という運動を起こそうか。
「進化するニューヨーク公共図書館」(『中央公論』1999年8月号)を書かれた菅谷さんが、1月には比較的長期間滞在すると本人から聞いていたので、講演会でもやろうか、あるいは投げ銭ワークショップの前回の図書館の第2段をやろうかと思っていた。そこで、12月に菅谷さんにメールを出すと数日くらいしか滞在しないという。開いている日は9日しかない、とのことで、大きな会は催せないので、前に浦安市立図書館を取材したいとおっしゃっていたような気がしたものだから、館長の常世田さんに連絡をとったところ、懇親会のようなかたちで是非やろうとなり、9日に行うことになった。
結果は、とてもよい、いい会になったと思う。それは、菅谷さんの話がざっくばらんで、自分が図書館をアメリカで使いはじめた経験に基づいていること、それが菅谷さんのテーマであるメディアの問題と切り結んでいることを気取らないことばで話しかけてくれたこと。それに加え、図書館の友の会の方々の実際に図書館を支えていく中での質問、建設的な提言があって、加えて、そこに図書館の学校の小川さんが、専門家の立場から、折に触れて、補足されたりということもあり、なかなか密度の濃い、そして建設的な会になった。図書館についての会の場合、どうも暗い話しになるだけで終わりということが多いようなのだが、そういうことはなく、どういうふうに図書館をもりあげていくか、そのことが市民の力を強めていくことになるのか、とお互いに模索しながら、とても良い感じで予定の時間を越えて、さらに二次会にまでなだれ込んだのだった。
また、会の前に取材された菅谷さんは、浦安市立図書館はニューヨーク公共図書館にもないサービスがあるということ、書き手としてここを事務所がわりにしたいとおっしゃり、アメリカから日本に戻ってきたときは、浦安の図書館のそばに住みたいと言われたように、このずばぬけた市立図書館があったからこそ、おもしろい盛り上がった会になったのだろう。
忙しい中での懇親会をこころよく引き受けてくれた菅谷さんに感謝したい。私は、みなさんと分かれた後、インターネットの元祖伝道師である会津泉さんの新年会に菅谷さんといっしょに出かけたのだった。UDITの関根さんや日経の坪田さんにお会いした。今回、2回目であったが、前回と同じこんなホームパーティを開きたいと思う素敵なパーティだった。
イトーヨーカ堂が決済銀行を作るということは、たぶん、郵便局の郵便振替のようなサービスもはじめるだろう。となると、今まで、本の代金を払ってもらうのに、ほとんど郵便振替を使っていただくようにお願いしてきたが、セブンイレブンでもそれが可能になるだろう。
振り込まれる側は、平等にだれでも、小さな会社でも可能になるのだろう、そうあってほしい。と同時にオンライン決済も、小さな会社にまで門戸が開かれるようになるのだろうか。そうあってほしいものだ。実際にどうなっていくのか、知りたいことは多いが、こういう視点がないせいか、報道されないのは残念である。
と思ったら、サービスはすでにありました。振り込みではなく、代金回収のサービスでした。ここです。残念ながら、3000円までで120円と郵便振替よりも割高です。と同時にセブンイレブンとトーハンなどがやっているイーショッピングブックスで、ひつじの本も注文できるようです。ここ。
友人が、マンションを購入した。部屋に入ると何かがおかしい。決めたはずの設計図と右左逆になっている。案内人のくれた図面を見る。設計図が、左右逆、文字も鏡像に焼き付けられていた・・・。
笑いごとではない、と思うのだが、笑ってしまう。数千万の買い物。物件。設計図が、文字ごと逆さまでも気が付かない建築者。数千円の本で、それが許されるだろうか。これは商品として失格だろう。
そういうものがまかり通っている現状。本というものを作っている人間からすると信じられない。作り手も、それを許容している買い手たちも。
地球の反対側の軌道を回っている地球と全く逆向きの惑星で立てられるべきものが、誤って地球に立てられてしまった。誰かが入った段階で、核爆発が起こって、宇宙全体が絶滅する。少なくとも日本人は、絶滅だろう。私は、マンションは日本人を破壊すると信じている。
数千万なら許されるのか、数千円でも許されないのに。そういうものさとデレク・ハートフィールドだったら、いうだろう。そういういえば、彼は、どこに行ったんだろう。地球の裏側に行ってしまったって、誰かがいっていなかった? そう。
21日、秋田の出版社、無明舎さんを訪れた。中心街から本の少し外れて、住宅街の中にあんばいさんの自宅の隣に立つ事務所を訪問した。あんばいさん、鐙さん、岩城さん、柴田さんにお目にかかった。
無明舎の社長、あんばいさんの話しを聞いて愕然とした。資金繰りと良い原稿のストックということについてお聞きしようと思ってお伺いしたのだが、この二つは当然のことだが、連動していることであった。これが別々の二つのポイントだと思っていた私は、本当に察しが悪い。資金的に余裕があるから、良い原稿をストックできるということなのだ。なかなか内容がよいと思ってもさらに書き直してもらうことができるか、それは資金的な余裕がないとできない、とあんばいさんはおっしゃった。「資金的な余裕がないと直ぐに出したいとおもってしまうじゃないですか」と。まさにその通りだ。
ひつじと同じ4名で、年商は3倍である。無明舎が、20年選手で、ひつじがやっと10年しかたっていないこと、を考えても、また、あんばいさんとほぼ同年代の人が一人、少し年下の人が一人、という年齢構成を考えても、我々が無力すぎるだろう。無明舎の十年前は、もっと先に行っていたに違いない。時代の風は違っていただろうと思うにしろ。とはいえ、あと10年で同じとは言えなくても、今のひつじの倍くらいの経済的な規模にならないと組織として運営していくということを考えたときにまずいだろう。
あんばいさんは、他の地方出版社や東京のいろいろな出版社を見て、真似ようとしたこともあったが結局できず、自分しかできないやりかたを見つけて、それが効を奏したという。今となっては東北地域においてきちんとした編集の仕事ができるところはない、という唯一の存在になっている。また、そのことは、東北地域の書き手、写真家などなどのネットワークを持っているということであり、その蓄積と財産をうまく活用して、年商の半分は稼ぎ出しているという。ひつじにそのような蓄積はあるだろうか。妻ともその夜、真顔で話したが、これはやはり真似ができない。自分の道を探るしかないのだろう。しかし、このことは、一つの出版という活動を地域や社会に溶け出していく戦略でもあるし、我々なりの何らかのかたちで応用することもできるのかもしれない。それを模索しはじめよう。お忙しい中、せっかく時間をつくってあっていただいたのである、その経験を生かすことができるように、つとめたいと思っている。
それにしても、そういう安定した資金繰りの上に、自分たちが編集して作る本が軒並み当たっているということで、今度の本は、1万部で行こうなどと話されている会話を聞くとこれは、今時の出版社の会話だろうか、と驚いてしまった。こんなに強気になれる出版社は、東京にもないだろう。
元医師志望で無明舎に入舎の翌日から、原稿を書いていたという若い柴田さんが、おじさんたちの中で、てきぱきと仕事をこなしていた。組織としての仕組みがきちんとしているから、人も育つのだろう。とてもうらやましいことだ。やるべき仕事が明確にあって、それをこなすステップがあること、そういった点も学ぶべき点が多いように思った。彼女は、編集者然としたラフな格好ではなく、きちんとしたスーツを着ていた。やはり、新人には、段階を追った順序のある社員教育というものがあるのだろう。ベテランの中で、きちんと仕事を習い、育っていくやり方があるということはうらやましいことである。それとパソコンが机の上には置いていなかった。その方がいいのかもしれない。机の上にあると、顔が見えなくなってしまうことはよくないのではないか。うーん、どうなんだろう。当然のことだが、解決策を教えていただいたということではなく、新たに考えなければならない課題に目を開かせてくれたということ。挑戦のしがいのある山々。
行き帰り、そして翌日の男鹿半島紀行は、無明舎を手伝っている舟木さんの手を煩わせた。不思議な感じのする、すてきな方であった。舟木さんに同行していただいたことも今回とてもありがたかった。なまはげ館では、突然、なまはげが登場し、娘は泣いてしまった。なはまげは、太い声で叫ぶ声には、大人でも震え上がる迫力がある。なまはげが、深夜、森の中から、家の中にきたら、本当に迫力がある。近代的なたてものの中でもそうなのだから、それが普通の家屋だったら、どんなに恐ろしいだろう。
あんばいさんと無明舎のみなさんにたいへんお世話になった。お礼を申し上げたい。