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2021.4.20(火)

くらしとことば


滋賀に越してきてそろそろ1年が経ちます。
以前大阪に住んでいたこともあって、慣れているつもりでしたが、やはり関西弁はむずかしい。

近所の人やお店の人とちょっと話す時の、敬意と親しみがこもったあの感じが真似できないのが悩みです。お裾分けをもらって、「ありがとうございます」は何だかよそよそしく響くし、「ありがとう」は砕けすぎている気がするし、「おおきに」と自然にさらっと言えたら良いのだろうけれど、自分の言葉ではないなあと思ってしまうのです。

伊豆から東京の大学へ進学した時も、言葉のギャップを感じることがありました。
方言なんて大丈夫だろう、と思っていたわたしが恥ずかしい思いをした言葉を2つ。

●いっこっつ(〜っつ)
わたし「このお菓子いっこっつ食べていいよ」
   (このお菓子一個ずつ食べていいよ)
友達 「え? 遺骨?」

●かじる
わたし「蚊に刺されたところかじっちゃったの」
   (蚊に刺されたところ引っ掻いちゃったの)
友達 「(そんなところを歯で…?)」

「かじる」に掻くという意味はないんですね。知らなかった。

東京から大阪に移った時も、いろいろありました。
図書館で働いていた時に、電話で利用者に案内をすることがあったのですが、地名などは特に関西風に言わないと伝わらない。地域に寄り添う図書館の一員であらねばと、先輩方の言い方を真似て話していました。

その後ひつじ書房の入社試験の時に、言葉のアクセントが変わってると言われたのは忘れられませんし、結構ショックでした。ある意味「さすが」なのですが。

ことばの迷子は続きます。




2021.4.16(金)

Twitter語学活用術


「スマホ依存症」「SNS依存症」がニュースなどで社会問題として取り上げられているのを最近よく見ます。『スマホ脳』(アンデュシ・ハンセン著、新潮社)がベストセラーになったのも記憶に新しいです。自分も依存症とまではいかないものの、疲れていて何もする気が起きない時などについついTwitterを見てしまう、ということはあります。

このTwitterに費やしている時間を有効活用する方法はないか、と考えて、最近は自己流でTwitterを語学(自分の場合は中国語学習)に活用する方法を実践しています。
まず中国語学習用のbotをたくさんフォローしました。中国語の単語や過去の中国語検定の問題をツイートするbotなどをフォローして、一問一答形式の問題がタイムラインに「出題」されたら解くようにしています。
また、中国語のニュースアカウントをいくつかフォローして、ツイートの内容を訳す練習をしています。ツイートは140字しかないので、短文を訳す練習としてちょうどいいように感じています。中国に関するニュースも読めるので一石二鳥です。もし文が難しくて訳せないときや訳に自信がないときは、ツイートの左端にある「ツイートを翻訳」というボタンを押すことで、機械翻訳でツイートを訳してもらうことができます。機械翻訳なのできれいな訳ではないですが、自分が文意を捉えられているかをチェックする分には十分な精度です。

本当はTwitterの言語設定自体も中国語に設定しようかと思ったのですが、なぜか変更できませんでした。そのほかにもまだまだ色々活用できそうな気がするので実践を続けていこうと思います。



2021.4.9(金)

高校の図書館の思い出


先日、書店さんからのご注文の電話を対応していて驚くことがありました。なんと、その注文は自分が通っていた高校の図書館からのものでした。思わず、「自分、そこの高校の出身です!」と言いたくなりましたが、そこは堪えていつも通りに注文対応しました。
しかし、こんな嬉しい偶然があるとは思いませんでした。ご注文いただいた書籍は自分が編集した本ではなかったのですが(少しだけお手伝いはしました)、いつかは自分が編集した書籍が母校に注文され、後輩たちに読まれることがあるかと思うと背筋が伸びる思いがしました。

高校の図書館にまつわる、忘れられない出来事があります。自分の好きなミステリ作家の一人に米澤穂信先生がいるのですが、高校のころの自分は、あるとき雑誌『野生時代』にしか載っていない単行本未収録(当時)の短編があるのを知り、なんとか読みたいと考えました。しかし、地元の図書館にはなぜか『野生時代』のバックナンバーは置いてありませんでした。
なんとか読めないものか考えていたところ、『野生時代』のバックナンバーは高校の図書館には置いてあることに気づきました。これは灯台下暗し、などと思いながら早速高校の図書館に向かい、その雑誌のバックナンバー置き場を探したのですが、不思議なことに他の号はすべて揃っているのに、お目当ての米澤先生の短編が載っている号だけありませんでした。
自分と同じ考えの人が先に借りたのだろうか、しかしそんな偶然があるのだろうか? などと不思議に思いつつ、検索機でその号が借りられているのか調べると、なんと誰かに借りられている記録はありませんでした。

では、なぜこの号だけなかったのでしょうか。司書の先生にこの号が読みたいことを伝えると、先生は少し戸惑う様子を見せましたが、しばらくして司書室からお目当ての号を持ってきてくださりました。なんでこの号だけ司書室にあったのか、私はその号の表紙を見た瞬間、気づきました。表紙には大きく「官能小説特集号」と書いてありました。
地元の図書館ではなく「生徒に相応しい本しか置かない」学校の図書館だからこそ起きた、まさしく米澤先生の書くような「日常の謎」体験でした。



2021.4.6(火)

ピラニアにかまれたら死む?


「ピラニアにかまれたら死む?」

この間、4歳の子どもが聞いてきました。
内心、「おっきたっ」と思い、彼に質問してみました。

母「ピラニアにかまれたら死ぬかもね」
母「ちょうちょにかまれたら死ぬ?」
子ども「ちょうちょはかまないよ」
母(……たしかに)
母「じゃあ、ママにかまれたら死ぬ?」(注:たまに子どもに小さい足かむぞーとじゃれて遊んでいます)
子ども「死まない」

私は「おお〜」と膝を打ちました。
というのは以前『ちいさい言語学者の冒険:子どもに学ぶことばの秘密』(広瀬友紀、岩波書店)を読んでいて、この本で紹介されていた現象と同じだったからです。この本では、子どもがこのようなことばの「間違い」をするのは、「飲む」「飲まない」などのマ行五段活用の規則を「死ぬ」にもあてはめていると説明されていました。この本、言語習得中の子どもがみせるいろいろな逸脱から言語学の楽しさを教えてくれます。 さらに、ある本の編集会議でも同じ話題になりまして、上記とは違った面からの説明の仕方もあるかもね、のようなことを話されていたのですが、そのタイミングで「ピラニアにかまれたら死む?」を聞けたので非常に感動しました。

まだ「死めば」を聞けていませんが、ひきつづき注目していきたいです。




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