去る3月に思うこと
1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言いますが、年明けからはまさに怒濤のごとく、あっという間に時が過ぎ去っていったように思います。
ふと気づけば、わたしがひつじ書房に来てからもう1年がたちます。担当した書籍も何冊か刊行され、新しく本ができあがるのが、今では何よりの楽しみです。
ひつじ書房では現在求人をおこなっているのですが、採用試験や面接の様子を見ていると、同じようにわたしが試験や面接を受けていたときのことを思い出します。
特に面接は、とても緊張したのでよく覚えています。わたしが面接を受けた時には、社員のほとんどが面接官で、一対多の状況で面接がおこなわれました。その状況だけでも心が折れそうだったのですが、言いたいことがうまく話せなかったり、厳しいことを言われたりして、自分の不甲斐なさを感じ、とても落ち込みました。
今となって思えば、面接する側も別に意地悪をしていたのではなく、真剣に面接をしていたのだということも分かりますし、わたしも過剰に緊張する必要はありませんでした。ただ、そのときの「話しにくさ」というのが、妙に印象に残っているのも確かです。
そのとき思った話しにくさというのは、誰に向けて話したらいいのだろう、ということでした。年齢も役職もさまざまな初対面の人たちを前にして、誰を相手に、誰に合わせて話したらいいのかまったく分からず、なぜそんなことを考えてしまうのかも分からず、そのときは混乱していました。話の「宛先」がブレたために言葉が出てこなくなるというのも初めての経験でした。
このような面接の場に限りませんが、さまざまな立場のさまざまな人が集う場で話をするということは、思ったよりも難しいことのように思います。
先日、『市民参加の話し合いを考える』という本を刊行しました。
この本は、いま改めて「話し合いとは何か」ということを考え、話し合い学の多様性を発信していく先端的なシリーズ「話し合い学をつくる」の第1巻になります。
話すことが難しいのなら、話し合うということはもっと困難なのでしょうか。それとも、話し合うということは簡単で、皆あたりまえにできることなのでしょうか。
ぜひ本書を手にとって、考えていただきたいと思います。
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