半歩先を行くというのではなくて、8歩くらい先を行こう

2013年7月15日(月)

半歩先を行くというのではなくて、8歩くらい先を行こう

今回も少し偉そうかも。

『英語教育、迫り来る破綻』の講演会を昨日開催した。ひつじ書房も共催者の一つ。関東にいるほぼ全社員で、運営方に回りました。この本自体の出版のおおもとは、自民党の遠藤議員の大学入試へのTOEFL必須化という提案への反論を4人の著者で公開しようということでありました。TOEFLをから、TOEFL等を、と文言がかわり、一定の成果を上げたということもできますが、小学校英語の教科化ということを自民党は言っていて、今回の選挙でも過半数を取ることが予想されますので、問題はより深く、深刻になったとも言えます。

ひつじ書房としては、日本語で学術コミュニケーションができなくてもいい、英語で学問はやりゃあいいじゃん、というトレンドに反対したいという気持ちもありました。TOEFLは北米の大学にはいるための試験ですから、それが目標になって、本気で取り組んだ場合、高校の授業の半分は英語でやることになります。社会も理科も、体育も。そうなると日本語での学術語よりも英語で覚えておいた方が楽だという社会を作ることになり、市民の間で、高校までしかでていない人間と大学で学問を行う人では、議論ができなくなります。高度なことは英語ですませればいいという社会になります。そういう社会を招来してしまう言語政策、言語教育政策、学術政策というものは、とんでもないものと私は思います。

今回、英語教育でのオピニオンリーダーと呼べる講師の先生方が、学校教育における英語教育の目的の一つは、母語を相対化することなどによって、よりよく気づき、使えるようにすること、ということを話されていました。そのような話を聞くと、私は納得するのですが、国語教師や日本語教師はどう応えるのだろうか、ということを考えてしまう。国語教師が、母語を大事にしたい、という発言をするでしょうか。日本語教師が、日本語という母語をきちんとするべきだというでしょうか。日本語教師の一部は、多言語主義と言いながら、日本語をしっかりとらえようとしない方が、良心的だという発言を繰り返しているくらいです。

それゆえ、乾杯の前の懇親会での発言の際に昨日の講演会の話ではなくて、刊行する『エスペラント運動人名事典』と『日本語を衆議する/衆議する日本語』のことを話しました。その意味を分かってもらえただろうか。英語教育の問題を、母語や国語教育の問題と連携させていくべきだという主張であったのです。

私の認識は、否定的な感想ということではなくて、私の発言の意味をほとんど分かってもらえなかった、ということです。聞かれないことをどう伝わるように組み替えていくか、ということが私のテーマなので、そのこと自体はよいことと思っています。すぐ伝わることを上手に伝えるのは、私の管轄内ではないのです。

ついでにいうと、ベストセラーを目指さない、もっぱら、学術的な書籍を地道に出していくというスタンスなので、「すぐ伝わることを上手に伝える」という半歩先を行くというのではなくて、8歩くらい先を行こうという、妄想的な蛮勇を目指したいと思っているのです。さらについでにいうと、訳知りの半可通の人が、「編集者は、必要だが出版社はいらない」といいますが、それは半歩先の企画の場合の話です。誰かがその企画を買ってくれるでしょう。でも、8歩先は買ってくれません。当然です、すぐにお金になりませんから。そういう時は、出版社という器は必要だと思います。半可通は、半分しかわかっていないのに...


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