2011年1月3日(火) あけましておめでとうござます。2011年昨年はお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。トップページに書いたことを少し詳しく説明します。 出版というメディアについて、創業以来考えてきました。編集という機能、社会的な機能についてずっと考えてきました。私の現在の結論は、編集という社会的機能とそれを支える社会的な機能である出版というものは、社会的に必要なものである、ということです。しかし、社会的ということは、社会的に認知されなければ、存在できないということでもあります。社会的に必要なものが社会的に必要であると認識されるわけではないということです。 現在、電子書籍と言われているものについて、安易に肯定的な意見が表明されすぎていると思います。私はそれに荷担するべきではないと思っています。現在、電子書籍と言われているものは、二つのグループがあります。一つは、自炊といわれるような紙にできたものを、スキャンニングして、画像として電子ファイルにしたもの。紙の書籍のために作った組版データをPDFなどに変換して、画面で読めるようにしたもの。それからもう一つのグループ、iPadやKindleのような専用端末で読むもの。こちらは、それぞれの電子書籍端末メーカーが抑えている電子書籍ストアで買うものとなります。こちらはライセンス「保護」というものが関わってきます。個別の機器に依存したライセンス処理機能を持っているものです。電子書籍端末の読書ソフトで読みます。 前者は、基本的にPDFが代表的なフォーマットとなり、PDF閲覧ソフトで読まれるようになるでしょう。基本的にサーバーで処理するライセンス処理機能を使わなければ、コピーはほとんど自由となるでしょう。普通にハードディスクにダウンロードされる形式である場合、解読キー付きで手渡されることを考えれば、プロテクトは有効ではなく、簡単に見れてしまうでしょう。このこと自体が悪いのではありません。ただで読めてしまうものに、ただであることは当たり前と思われてしまう場所では、出版・編集は関わりにくいでしょう。 後者は、アマゾンで著作権料70パーセントであるなどと喧伝されています。あたらしい情報流通がはじまるかのように宣伝されています。そういう局面はありますが、いくつかの危険性があります。 閲覧ソフトはいつまで既存のファイルに対応できるのか、という持続性の点。私の経験では、メールソフトをバージョンアップしたところ、三年前のメールのデータが消えたことがあります。アップデートする時に、何が起きても保証しない、いいですか、「はい」ということでアップデートボタンを押しているわけです。そういうことが起きないという保証があるのえしょうか。保証はないでしょう。IT業界はバージョンアップした際に不都合は利用者が全て負うようになっています。 雑誌の記事のようにある期間読めればいいということであれば、よいのですが、書籍として作ったものが、閲覧ソフトのバージョンアップで読めなくなることがあるというのには、とても耐えられないことです。「バージョンアップした際に不都合は利用者が全て負う」というような発想は、出版社にはとうてい耐えられません。 二つ目は書き換え可能性という点。kindleが、一旦発売した書籍を、外から個々の人々が持っている端末に入って、削除したということがありました。 アメリカでのアマゾンによる『1984年』(ジョージ・オーウェル著・ハヤカワ文庫)の「回収」事件です。これは、キンドルによって配信された同作品が、実は配信に関する著作権処理が行われていなかったという理由で、配信リストから落とされたという事件です。配信リストから落とされただけなら当然のことですが、実際に同作品を購入したユーザーのキンドルからも、配信データが消去され、実質的に完全な「回収」が行われたのです。(『電子書籍の真実』村瀬拓男 マイコミ新書 2010) 端末に入っている書籍データは、あくまでアマゾンからは書き換え可能なデータなのです。そういうものが当然とされる世の中というものは何かというなら、それは高度情報化ネットワーク社会、最近の言葉で言うとスマートグリッド社会でしょう。ネットワークを誰かが、監視し、管理することが可能で、後から跡形もなく、なかったことにしてしまうことができるということであるわけです。記憶さえも捏造されうる可能性。 そういう社会でいいのか、ということが議論されず、ただ、流通がネットなので手間がかからなくて、人手を通さないのでコストも少なくて安価に手に入れられる、ということはやし立ててよいものかどうか。そういう議論なしに、ただ、便利であると言うことだけで世の中を進めてよいものなのか。 電子書籍の可能性は十分にありますが、現在、向かっている(と思われる)方向性を全面的に賛成することは、困難です。昨年の議論は非常に安易であったように思います。アマゾンやアップルなどの企業がリテラシーの根幹を握ってもよいのかどうか。21世紀のリテラシーにとって、どういう要件を満たしている必要があるのか、ということの丁寧な議論が必要です。そういう議論に出版・編集と言うことは関わっていくのだと思います。 編集・出版という社会的機能は存在するべきというだけではだめで、存在させなければなりません。そのためには、出版に携わる私たちが、社会的な存在として発信していく必要があります。紙か電子かというよりも、社会的な編集、社会的なアーカイブ、社会的な記憶、つまりは社会的な連携が可能である社会になってほしい。そういうところにこそ、出版や編集は生きていくでしょう。現時点で、紙は電子に負けてはいないと思います。安易に電子的、ディスプレイ的、電極的な世界を賞賛しません。 私は、自分の考えが妥当性があると思っていますが、世の中の流れはもう少し安易に流れているでしょう。そういう時代であるがゆえに、閉じこもらず、動いたり、会ったり、お話を聞いたり、お話しをしたり、発言したり、書いたり、実際に丁寧な仕事をしたり、あたりまえのことをキチンとしていくということ、これまでよりいっそう丁寧にやっていこうと思います。新しい考えに出会い、話しをお聞きし、それをさらに世の中に伝えていく、学術書の分野で、発信媒介者であるということは、これからも大事なことです。定説になった考えを広めることについては、得意ではありませんが、新しい考えと出会って、送り出していくことにドキドキしています。 存在するべきというだけではだめで、存在させなければなりません。そのためには、出版に携わる私たちが、社会的な存在として発信していく必要もあります。それを出版することに加えてどうやっていくか、難問であります。しかしまた、普通にまともなことをきちんとやっていくことから、はじまるのだと思っています。 そんなわけで、容易なことではありませんが、果敢に取り組んでいきたいと思います。社員一同、執筆者の方にひつじ書房で研究書を出すことができて良かったと言っていただきたいですし、ひつじ書房に企画を持ち込もうと思っていただきたいです。そのためにはきちんとした書籍を本年もできるだけ丁寧に作っていきたいと考えています。さらに継続的に営むためにはきちんと売れてくれることも大事です。作ることだけではなく、ちゃんと読まれていく、買ってもらえるようにつとめて参ります。どうぞ、本年も叱咤激励、ご鞭撻よろしくお願いします。 言語学を中心とした学術成果を世に送り出すために、本年もつとめて参ります。文学研究・文化研究でも、頑張っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。 今年もどうぞよろしくお願いします。 執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。 「本の出し方」・「学術書の刊行の仕方」・「研究書」・スタッフ募集について・日誌の目次 日誌の目次へ
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