2010年12月25日(土) この日誌については、6月から半年ぶりの更新です。以前に書いた日にちから、ずいぶんと日にちが過ぎてしまいました。 ブログとの棲み分けあるいは棲み合わせの問題ですね。ブログの方はそれなりに更新しています。私の日誌は、ブログ以前にブログ的な日記サイトとしてずっとやってきました。日記的に、日常的なことを含めて、短いスパンで更新して、情報を出していくことは、慣れていることでしたのでブログというもの自体に新味はありませんでした。ずっとやってきている日誌は、htmlで書いていますので、タグをいちいち入れないと行けないわけですので、ブログに比べればたしかに煩わしいわけです。それは「手間」ということなんでしょう。たしかに、手間がかからない方が更新しやすいし、情報発信を頻繁にすることができます。楽な、ブログの方で情報発信することが多くなってしまうのは、当たり前の成り行きでしょう。 ブログをはじめたときに、私の中にhtmlを使った日誌とブログに機能的な区別をして、それぞれ違うようにしようと考えました。日誌の方は会社的な度合いを大きく、一定程度公的に、ブログは社長個人の感想というふうに、プライベイトな雰囲気を交えることにして、分けて書いていこうと思っていました。ただ、やはりブログの方が容易に更新できますので、そっちに書いていく方が楽となり、ほとんどこちらの日誌の方は更新しなくなってしまいました。 ブログ的なものがよいのか、htmlで書く日誌の方がいいのかなどの反省もありますので、両者の位置づけを少し変えていきたいと思っています。考え中です。 創立20周年のシンポジウム「連用・連体を考える」この報告は、ひつじメール通信に掲載しました「房主から」というコーナーに書いた内容を元にしています。 19日の「連用・連体を考える」シンポジウムが、終わって、本年の20周年のイベントはすべて無事に終了しました。100名を超える方のご参加をいただきまして、たいへん充実した会であったと思います。講師の方、参加して下さったみなさまありがとうございました。 最初に前田先生が、主旨の説明をしてくださいました。その後、ご自身の発表に入り、議論の枠組みを整理してくださり、今回の議論をリードしてくださったと思います。さらには、議論していくための土台を話して下さいました。 大島さんの発表は、表現のあり方にもかかわるものでした。同じ事態を表現する場合、連体修飾された主語を使うのがいいのか、節を分けて接続詞を使って表現するのか、その文法的な違いあるいは、表現の違いはどういうことがあるのか、というようなこともこれからの研究課題になるのだろうと思いました。 橋本先生・渡辺先生は、中国語との対比の中で議論が他の言語との対照的研究も可能であると言うことを示して下さったと思います。これは、「修飾」ということ、連用・連体という視点で日本語以外の言語も一回とことん議論してみる意義があるということを示して下さったと思います。 山東功先生に来て話していただきまして本当によかったと思います。日本語学の来歴、範囲、もともとの考え方を用意した国学という存在にも焦点をあてて、もう一度振り返り直す必要と、そのことの研究に与える可能性について話して下さったと思います。 井上先生のコメントはすばらしかったと思います。4つの議論のさらなる可能性を示して下さったと思います。井上先生にコメンテイターになっていただきましたのは、本当によかったと思います。 会場の三宅知宏さんから修飾をどう捉えるのか、という質問がでましたが、これは、修飾の関係と格の関係と構文の関係、そしてこれらの関係は何ぞやというような大問題につながっていると言うことでしょう。連用修飾あるいは連用ということについても、あまり研究されているとは言いがたい副詞についてもこれから議論するべきとするのなら、連用という見方もまだあってもいいように思いました。また、古文の解釈や和歌の創作ということが国学的な言語研究の発祥であるということなので、解釈・読解そして言語の美的表現と文法研究の関わりは持ちうるのか、というようなことともつながっているでしょう。そういう問題は、国語教育の課題ともつながっているものだと思います。いろいろな意味でこれからの研究に開かれたとてもよいシンポジウムであったと思います。 また、たまたま、先日、「英語教育」に関して、全国のさまざまな学校、校種、年齢の現場の先生方にご寄稿いただいている本の企画の打ち合わせの中で、ある方の原稿にto不定詞の教え方のことが書いてあったのを思い出しました。 I bought a book to learn English. 「英語を学ぶための本を買った」なのか「英語を学ぶために本を買った」なのか。そこで議論されているのは、to不定詞を形容詞的用法として教えるのか副詞的な用法として教えるのかということでした。これも連用か連体かという話しにつながると思いますが、外国人にとって意味を理解するときに重要な手がかりとなるものであるわけです。「連体即連用」といえるような事態というのは、さまざまな言語に起こる問題なのかも知れません。「連体即連用」にはじめて光をあてた奥津敬一郎先生もお越し下さり、懇親会ではご挨拶をしてくださいました。ありがとうございます。 今回のテーマは、日本語学・言語学の課題であり、言語教育あるいはテキスト解読の問題への糸口でもあるのはないでしょうか。今後、さらに開いていく可能性のある面白いテーマなのだと思います。本シンポジウムをまとめた論集を作ろうとしていますので、たいへん楽しみです。 追記本シンポジウムは、文学系のシンポジウム2つ(文学教育についてとこれからの時代の書くことの倫理について)を含めた3つのシンポジウムの総まとめというものでもありました。 基本的に松本は、前面に出ずに、3つとも若い社員が運営しました。文学系は、21世紀日本文学ガイドブックのチームでもある森脇と板東が、運営しました。講師を選んだのは助川先生ですが、この2人が中心になって会場設営、資料作成、講演の進行、懇親会の運営までを仕切りました。 言語系は、企画打ち合わせの段階から、竹下が関わり、資料、チラシ、案内の作成。講演者のみなさんとの打ち合わせ、日本語学会の朝に豊橋発祥のモーニングを食べながら、会議を行いました。期日が迫ってきてからの、学習院大学での会場の設営、立て看の作成、設営は彼女が仕切りました。途中から、三井が助けましたが、入社してまだ1年半の竹下はよくがんばったと思います。 いずれのシンポジウムも、担当者だけで実行したわけではなく、他の社員も支えてくれました。脇から見ていても心配はありましたけれども、きちんと終了することができたのですから、催すことについては大成功でした。いろいろ、重要なところではサポートしたつもりでもありますし、大きな失敗はありませんでしたが、私の方でもう少しサポートして上げた方が良かったのかなと思う点はあります。また、私を含めて反省する点、次にやるのならもう少し改善したい点もあります。 しかし、20周年という記念すべき年をこうやって乗り切ることができたこと、力を合わせてシンポジウムを無事に成功させることができたことをまずは素直に喜びたいと思います。また、社員1人1人に感謝したいと思います。 文学系のシンポジウムで思いますには、あまり売れない分野ではあると思いますが、きちんとした提案ができる出版社になり、さらにそれが読者を開拓できるものを作れるような力を付けないといけないと思いました。連用・連体では、ひつじ書房の学術研究書の分野における存在感はそれなりに充実してきていることもあり、そのことはある意味で責任ということでもあります。十分な編集の力をもって、それを売っていく、総合的には出版の力ということになると思いますが、出版力をよりしっかりとしたものにしていかなければならないのだなあと気持ちを新たにいたしました。 執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。 「本の出し方」・「学術書の刊行の仕方」・「研究書」・スタッフ募集について・日誌の目次 日誌の目次へ
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