2009年10月28日(水) 研究成果公開促進費の見積もりを出版社が出すこと研究成果公開促進費の見積もりを作っている。この見積書については、問題が多い。出版社を選ぶ際に見積書が根拠になることになっているけれども、最も問題なのは出版社に仕事を出すという趣旨の見積書ではない、ということである。 組版代、印刷費、製本代、紙代を書くようになっている。しかし、これは印刷製本だけのことしか問われていない。どういう編集をするか、その分野にどういう専門性を持っているかということを問う欄はない。さらに、出版社は書籍を作るところであるだけでなく、販売するところである。当たり前のことだと思うのだけれど、私学のT大学と国立のK大学で、見積書の刊行冊数を揃えるようにという依頼があった。出版社が販売を責任を持つと言うことは、見積もりを出すそれぞれの出版社によってこの本は何冊くらい売れるかという判断も重要で、同じ部数に決めてほしいというのは、物品の納品のような場合には問題ないけれども、出版社が販売する部数自体を提案するということからするとおかしい。 秋田県が『秋田のことば』の合い見積もりを取ったときには、見積もりに参加する出版社によって値段と冊数が違っていて、もっとも多く安価に提案した無明舎が受注したということがあり、この考え方は適切だと思う。 出版社はその研究が世の中に広まっていくというバリューを追求していて、そのことを実現する能力によって比較され評価が問われるのである。当然、社会学の研究であれば、社会学の分野で定評がある出版社から出版することで世の中に広まるわけで、印刷所が出版社の振りをしても、誰も知らない出版社であれば、誰も買わないだろう。印刷所なので、印刷するコストさえ回収されれば、元は取れるし、利益も上がるわけだ。でも、そこから出しても社会学の人の目には触れないわけである。 そういうそのジャンルで以下に活躍してきたか、ということが評価によって影響されるべきだと思うが、今の見積書でそれを判断することはできない。もっとも、研究成果公開促進費の要項にはその複数の見積もりの中から選ぶとは書いてあっても見積もりがもっとも安価なところとは書いていない。問題なのは、物品発注と出版の区別が分からないような事務の担当者がもっとも安価なところに発注するものだと決めつけている場合があることだ。個別の大学の事務の方が分からないと言うよりもこれまでの財務省の事務官が、分かっていなかったということが原因かも知れない。 出版社に補助金を出して本を作ると言うことは、物品発注よりもPFIの考えに近い。博物館の建築運営を民間にゆだねることで、専門性のないお役人が杓子定規な運営をするよりも、弾力的に運営することで公共性・公共的な価値を高めるということである。博物館を○○市が作り、運営もするという際に建築費を見積もらせて、その見積もりで最も安価なところに発注するというケースとは違っているだろう。その場合は、見積もった全額を支給するべきだろう。全額を支給しないということは、出版社が自前でその補助金を使いながらも運営するという考えであり、そういう点でもPFIに近い考え方であろう。 PFI(Private Finance Initiative)とは公共サービスの提供に際して公共施設が必要な場合に、従来のように公共が直接施設を整備せずに民間資金を利用して民間に施設整備と公共サービスの提供をゆだねる手法である。PFIは1992年にイギリスで生まれた行財政改革の手法であり、広義の民営化の一手段でもある。この手法を利用する目的は、 その点でも、岡本真氏が、「今は、ネットの時代。紙で研究成果を公開する必要がない」と日本経済新聞で語ったことの意味が間違いであることが分かるだろう。紙で研究成果を公開するということの方が、Valueを大きくできるから、紙で公開するのである。たとえば、私は著者の研究者の方々と長い期間をお付き合いして、一冊の本にまとめていくことを進める。時間の掛かるものである。それだけの時間と労力を掛けて一冊にまとめるから価値があるのだ。著者が書いて、それを自分でネットに公開しよう、というような簡単なことではない。長い期間、お見守りし、お待ちして、一冊はできる。お湯を掛ければすぐ食べられるというようなことはありえない。「助成に頼る出版社は淘汰されるべきだ」というのも間違いで、補助金によって、当該のジャンルに伴走しているちゃんとした出版社が出版することによって、単に個人的にネットで公開するよりも公共性・公共的価値を大きくできるからこそ、助成に意味があるわけだ。これは経費ではなくて、公共性を増大させるための支援なのだ。 執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。 「本の出し方」・「学術書の刊行の仕方」・「研究書」・スタッフ募集について・日誌の目次 日誌の目次へ
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