2008年6月2日(月) 学術系編集者という仕事の楽しみを伝える仕事のスキルではなくて、仕事の意味や面白さを書こうと思うと意外にむつかしくて。 今週、T学芸大学で、出版編集について話すことになっています。(ここはデスマス体である)デザイン、割付、級数の指定、校正、紙の選び方、価格設定、部数設定などの物理的に作るということを学生さんに話しても仕方がないような気がします。 私が話したいことはなぜ21世紀のはじめに編集という仕事が重要であるか、ということ、ではあるが、これを「べき」で語ることはできるにしろ、それは学生にとって、押しつけがましいことであろうし、現実に編集出版が「ある」のか、と言ったら、学生にとっては見えにくい存在だろう。 とするとどの地点から、話をはじめたらいいのかについて悩む。私が、週刊ジャンプの有名な編集長であれば、名人としてシブい語りをするということもありだし、漫談語りのできる口の達者なタイプ、あるいは芸のあるタイプであれば、その芸で1時間30分をもたせるということもできよう。 だから、自分は自分の仕事をこんなに楽しくやってます、と喜びを伝えて、それに共感してもらって、次に21世紀において編集が必要である……と持って行こうと思ったわけですが、自分のやっていることは、学術系出版であり学術系編集です。とすると、その仕事を面白いと思ってくれるのか?というのは、大きな疑問となり、最初に戻っちゃった。困りました。ということで、最初に書いた文章を自分で引用してみよう。
私の文章の欠点がよく現れています、べきが強すぎるのではないでしょうか。 しかし。 本を作るという言ってみれば物理的なスキルについては、語ることができやすいけれども、本を作る精神や欲望、楽しさや苦しさについてどう語ったらいいのだろうか、ということを考えるとこの書けていない文章とはいえ、代案が見つからない限りすてがたい。 著者を礼賛するのも、おかしいかもしれない。きれいごとすぎることを言いたいとは思わない。きれいごとの中に混ぜた方がいいのか?仕事仕事に即して、その時の気持ちを表すことではできないだろうか。喜びを表すというのは、むつかしい。学術編集という仕事を自分に即して語るということはむつかしいことです。語るということは、何にしてもたいへんなことかもしれないですね。(こういうと他人事的に聞こえてしまいます。)でも、他人事ではない。私の語りはどうも具体的ではなくて、トピック表明型になりがちで、ディティールで感じてもらうということが不得意。語り部的ではないんですね。 そもそも、自分のことを雄弁に語るということができない。一方、スキルについては外的なことは語ることができやすい。スキルについての語りから、何が面白いかを察してもらうというのが、一番だが、それは現実的には、語っていないことを知ってもらうというのはそもそも無理でしょう。 とするとスキルを語るように自分のテーマを語らうことが、つまり、絶対的に求められているということなのでしょう。あるいは、著者について話すことで、編集への気持ちを話すことなのだろうか。たいしたことではないようなのに、難問だと思う。 執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。 「本の出し方」・「学術書の刊行の仕方」・「研究書」・スタッフ募集について・日誌の目次 日誌の目次へ
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