インターン希望者の不注意

2008年4月23日(水)

インターン希望者の不注意

大阪の大学の学生さんから、インターンをしたいというメールをもらった。ひつじ書房では、かつてインターンという会社と個人との関わり方の機会を設けていた。具体的にどういうことをしていたかというと、2つのやり方があった。1つ目は、学生さんで出版関係などに就職が決まっている人で卒業するまでのあいだに、入社する前のところで、予行演習的に出版あるいは仕事について知ってもらおうというもの。もう1つは、もともと社会経験のある人しかとらないと決めていた時に、新卒で様子を見てその上で検討してそれから決めたいという場合であった。

新卒の場合に危惧するのは、社の一員として社会性を持って仕事をしてくれるのか、ということが非常に気になる。仕事をしていくとそれなりに仕事のいろいろな知識は覚えていくことができる、しかし、何かを作り上げていく時の責任感、何かを売っていくときの責任感というセンス的なものは教えて学べるものではないのではと思うくらい教えるのが難しいものだ。

ひつじ書房のインターンのうちの後者の場合のインターンというのは教えるということではなく、仕事ができるかのセンスがあるのかを私の方で見る、観察するということが中心かもしれない。

就職活動を始める前にインターンをする学生の立場からすると会社がどういうところかを知っておきたい、というものかも知れない。インターンをすることが、はやりと言うこともあるだろう。ひつじに来ているアルバイトのM子さんも文学部なのに、インターンに出るための授業をとろうとしているということを聞いて驚いたりした。偏見かも知れないが、文学部の学生がインターンに行こうとするというのは正直、意外。

また、就職活動というものは、とても重要だ。いろいろとプロポーズをして落とされたり、こんなところには入りたくないとか、値踏みをされたり、値踏みしたり。ここに入りたいと願っていても、採用されず、拾われるということもある。落とされた経験がないと拾われることの意味もわからない。私の経験で言うと、学生の時に早●書房を受けて、何回目かの面接まで行った。ところが、そこまで行ったのにさらに面接があって、しかも、10人を切っていたのに、次の面接に行っても1人しか減っていない。次に行くとまた1人。何度も面接に行くのに、交通費を一度も払ってくれない。それに引き替え桜楓社は、社長は気前のいいタイプに見え、1回目に交通費を2000円くれた。何と気前のいいところだろう。

早●書房は、入社希望者の辛抱強さを試していたのだろうか。意味の無い面接を何度も続けられることに嫌気がさしてしまい、鈴木書店の労働争議の話の流れで、父親は労働組合の関係だと口走ってしまった。学生時代にアルバイトをしていた冬樹社の営業部長に、早●書房は労働争議があって父親が労働組合の専従と言うことを言うと気にするかも知れないと言っていたのを無視して。

インターンの話に戻ろう。学生から社会人になるというのが困難というのは、実感しにくいことなのかもしれない。だから、インターンというやり方はよいことだと思う。ある意味でワクチンのようなところがある。まだ、実際に責任を問われない段階で、仕事を見てみる。ばりばり働いている人もいれば、楽にしている人もいる。楽だから、気が楽なのではなく、任せられるような仕事がきていない場合もあるだろう。仕事のどういうところが魅力的で、あるいは仕事の依存症と責任感のある仕事をできることの充実感との境目のグレーゾーン。そもそも、会社に入って数年たっても充実感をもって仕事をしていない人もいる。私は密かにそういう人をナリソコナイと呼んでいる。なり損なってしまうこと。きちんとナルということが、思いの外難しいこと。

そういうワクチンの時期を経て、就職活動をして、採られる採られないということのある意味でのプロセス。そのプロセスは自分を振り返って、自分が出来ていること、自分が出来なかったことを受け入れる課程でもある。その上で、人様に恥ずかしくないように20数年間生きてきたということを、誇りをもって開き直れるというものだ。

私の場合で言うと、かなり頭を本に支配されていて、このままでは自分の世界に閉じこもってしまうのではないか、という切実な危機感があった。基本的に1人でごろごろ本を読んでいれば、他人は必要がないし、あえて関わりを求めたくもない性質。そのころはニートということばはなかった。1985年ごろの話。ニートになる非常に強い可能性。読んで、楽しみだけではなくて、何かを作り出さなければ、自分が倒壊してしまうのではないかという生理的な恐怖があった。何としても何かカタチになるモノを作り出さないとという切実な気持ちがあった。

だから、出版社と名の付いたモノは片っ端から受けた。20社以上は受けただろう。早●書房以外は名の知れたところは全滅。2次にも残らないということがあったし、雑誌が主体の大手の出版社は私が色弱であったということもあって、受験資格すらなかった。写楽のバックナンバーを買い込んで、小学館を受けたけれども、ここも1次も通らない。そんな中であるから、桜楓社で引き取ってくれた時は、感動があった。国文学で、研究書をだしているところなのでヒマなので本も読めるのではないかと思ったのも浅はかであったけれども。入ってすぐに日本語学の辞書を作ることになって、項目整理をはじめ、その家庭でMS-DOS以前のCP-MというOSで動く富士通のFM7を使って、ある人に五十音順に並べるソフトを作ってもらい、夜中に動かして、終わったのが3時で、歩いて帰ったり。大学時代に自宅通学だったのを一念発起して、神楽坂に下宿していたので歩いても帰れた。

ナリソコナイにならないというのは、とても大変で、会社に入ってもこれで何とかなるんだと思えるまでに2年近く掛かったと思う。そのきっかけは今は学習院大学の教授になった神田龍身先生で、ゲラに質問を書いたら、そういう指摘をどんどんしてほしい、と書いてくれていた時だ。その前に入ったばかりの経験。先輩が担当していた『撰集集』という本の大詰めで索引を作るために今は無き錦友館という神保町にあった旅館で、ほぼ徹夜で索引を取っていたのに、翌朝、小島先生と浅見先生が、授業があるからと早朝そのまま授業に行かれた時に、研究者・教員というのはすごいモノだと思ったということも経験としてある。プロというものは、すごいものだと実感した。お二人はそんなこと全く覚えていないだろうが、お二人の後ろ姿を見てそのように思ったことはとても重要な遺産になっている。

「なる」ということは本当にたいへんだが、プロになるというのものは価値のあることだとも思える経験があったことも大事なことだとおもう。

インターンの話に戻ろう。彼女に私はインターンは現在行っていないけれども、社会科見学的に2日くらい事務所にいてどんなふうに仕事をしているかと見てもらう機会は作ることは可能で、そのためにも面接をしたいので、履歴書と動機を書いておくってほしいと伝えた。ところが、履歴書を送ってくれなかったんですね。

学生らしい単なる無責任なミスなので、厳重に注意して、許してあげて面接をしようと思ったけれども、そういう掛け違えをする人の場合、あとからうまく行かないことが多いというのが経験則なので、救ってあげない方がいいと判断した。こういうのは縁なので、次の縁を探しに行ってもらった方が本人のためだ、冷たいようだが、書類をすぐに送り返した。こういうのは、取り返しが付かないもので、謝って許してもらうという性格のものではないし、試験をもう一度受けたいということは大学の浪人であればともかく、入社試験と言うことでは存在しないことなので、厳しさを知ってもらうためにも、単に履歴書を送ってくれということばを見落としただけかもしれないけれども、許さないことにした。一度失ってしまうとチャンスはそこからは来ない。厳しいかも知れないがそれが現実。

そういうチャンスをものにする、チャンスをものにしないというのは重要なことなのだ。ある程度、お膳立てし、こういうプロセスを踏んでくれれば、受け入れようと予行していても、その本人が自滅してしまうことがある。こっちの配慮に気がつかない、スジのいい子なら、せっかくなので1月くらい面倒をみようと思っていた。それでも、しかたのないことだろう。これをこうしたら、こうしてあげるなんてことは先にはいわない。その場で気分で決まってしまうものだ。やる気があって、頑張ろうという気持ちを示してもらえれば、それに掛けてみようという気になることはある。チャンスを生かせるのなら、生かしてみなさいということ。今の若い人は、割り切りが得意で、このくらいならこの程度やっておけばいいと簡単に思ってしまうようなところがあるようだ。気持ちを示してくれれば、それにもっと大きく応えることもあるかも知れないのに。インターンを志望した彼女の場合で言うと、目に見えるかたちで、インターンとして働きたいと熱意で面接でしめすことができて、社長である私を感動させてくれれば、それに応える可能性はあった。社会科見学ではなくて、1月フルに受け入れる可能性もあった。単純かつ重要なミスでその機会を逸してしまったということ。感動を与えられるとよいが、その反対の期待はずれということでは、可能性もしぼむばかりだ。

なりそこなわない、ということはすごく難しい。


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