2007年11月23日(金) 【出版】ひつじ書房の基本フォーマットの改訂ひつじ書房では、現在、多くの原稿を編集している。ひつじ書房のメインの言語編については、この3年くらいをかけて、共通のフォーマットを作ってきた。組版ということでは、グラフィックデザイナーの第一人者である向井裕一さんにフォーマットを作ってもらい、文字の組版設定についてもJISにも関わっているKさんと相談しておおもとを作って、日本語で英語やその他の言語が混ざる言語学の学術書としてきれいにきちんとした体裁を作ることができるように定型フォーマットをほぼ作り上げたと言っていいだろう。本文は字游工房http://www.jiyu-kobo.co.jp/の製作した游明朝体を使い、欧文はAdobe Caslonというしっかりした書体を組み合わせている。游明朝体は、字游工房によれば、「端正でクラシカルな」ものということで、「時代小説も組める明朝体をテーマに、一文字一文字丁寧にデザインした、スタンダードな明朝体」ということである。 これは言語編の41巻の中園先生の著書から、この書体に変えたのである。(書体だけでなく、クロスも紺から黒にした。箱のデザインも変えた。)本当におどろいたことに、先日、九州大学の国語研究室を訪問した時に、ある大学院生から「書体が変わりましたよね」と指摘されたのだ。これははじめてのことで、とても驚いたとともに、きちんと注目してくれていた人がいたことに少なからず感動した。仕事をきちんと見てくれる人がいると言うことはとてもうれしいことだ。たぶん、書体が違っているというところまで、気がついていない方でも、何かが変わったと感じてくれている方はいらっしゃたのではないか。まあ、デザインが目にとまってしまうのは、空気のように存在すべき本文書体としてどうなのかという風に思われるかも知れないが、私はよいことだと思う。あまり声高にいうべきことではないかもしれないが、きちんとした和菓子屋さんであれば、小豆は、北海道産の厳選された大納言を使ってますと書いてあったとして嫌みではないと思う。 研究書は一冊一冊違っているから、それぞれ別々に考えるべきだという考えもあるかもしれない。ただ、共通している部分を明確にした方が、違いに対して、的確に対応できると思うのだ。そうではないければ、全てがそのつどの試行錯誤になってしまう。やはりフォーマットというものは必要である。私1人で作っている時代ではないのだから。(その時代は、1人だから統一が取れていたというより、場当たり的であった。申し訳ない。)それに、違いに注目できるということは、体裁だけではなくて、内容にも目を向けることができるということである。今まで、なかなかそうは行かなかった。 ひどいときは、著者が統一しているのに、編集の際に勝手に一部だけ統一しようとして、逆に不統一になって、再校で元に戻すというようなことをしてしまっていたこともある。これでは、ただ、地を掘って埋めているだけで、元の地面に何の価値も追加していないのに仕事をしているような気持ちになるという愚かなことになってしまう。そういうことは、できるだけ避けたいと思うのだ。 一般書のように1冊2万部とか売れるのであれば、かなりその1冊に仕事を集中することも可能かも知れないが、学術書の場合、同じ2万冊と考えると500部の本を40冊担当しないと採算がとれない。40冊は無理でも、5冊くらいは作らないと給料も払えないだろう。1冊あたりのページ数も多いから、仕事の効率化は必須である。手を掛けないということではなく、手際を良くしないといけないということである。 さて、そんな中でひつじでは今まであまり校正を外に出したりはしてこなかった。この秋から、ベテラン編集者のFさんに、手伝ってもらうようにした。本1冊のプロセスをまるまるお願いする場合もあるが、初校の校正だけであるとか、再校だけとかいろいろなパターンがあるが、お願いできるスタッフがいてくれるとスムーズになる。それに、Fさんから面白い話を聞いたある編集部の産休のスタッフの代打としての仕事をされているということだった。 話をお聞きして、思うところがあった。専門書の出版は、知識と経験と人脈というのがとても重要である。経験を積んだスタッフが、出産などで辞めてしまって、別の人を採用するというようなことをしてしまうとその人にとってもせっかくのキャリアがなくなってしまうし、また、さらに新しい人を最初から育てていかなければならない。学会に行ってもらうのも、単に売るだけではなくて、先生方と会って、今後の企画につなげるためということも大きい。だから、会い続けているということは重要なのだ。継続の重要性。であるのなら、いざというときの代打ということを真剣に考えた方がいい。私も来年47歳となって、賽の河原のように一からやり直しでなく、継続して蓄積していきたい。蓄積していないといつも陸上のトラックの1週目を回っていて、いつまでもゴールにたどり着けないということになってしまう。年齢的なことと積み上げていきたいという気持ちはとても大きいものになった。 いわゆる団塊の世代の方には、退職しても、仕事のできるベテランのの方々は少なくないわけだから、うまく連携を付けることができるとよいだろう。これは、編集に限らず、経理や総務、営業的なセクションにも同じことが言えるだろう。そういう意味では会社の基本的なフォーマットを改訂するべき時期に到達したということだろう。私が去っても、ひつじ書房がきちんと成り立っていくこと。私は辞めるつもりはさらさらないが、48歳になったら、少しだけ(関連するけれども)違うことをはじめようと思っている。大学院で「文化経営学」を研究しようかと思っているのである。出版を社会的に捉え直したいというのが動機だ。(私は100パーセント出版人間である。日本にそういう人はほとんどいないだろう。いたら、連絡を下さい。)まだ、プラン以前であるが。 執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。 「本の出し方」・「学術書の刊行の仕方」・「研究書」・スタッフ募集について・日誌の目次 日誌の目次へ
|