ひつじ書房がなぜ、英文学術書の刊行、編集、流通の確立に力を注いでいるかということを説明したい。
21世紀における「学術研究」というものが、地域に限定されなくなってきて、世界的な発信ということが、当たり前になりつつあるということがある。その中では、日本で研究される、日本で出版されるということは、特に積極的には意味がないということである。
研究自体はさほど地域に限定されなくなってきている。日本の研究者は、日本の研究と海外の研究に同じようにアクセスし、研究を行っている。ボーダーレスということ、国境を越えるということは、もう自然で当たり前のことになってきている。
現実は、日本では海外の研究にアクセスするのは容易だが、海外から日本の研究にアクセスすることができにくいという状況が存在している。輸入超過といえるだろう。また、日本の場合は、アジアではまれなケースであり、まがりなりにも学術出版のマーケット(書籍のマーケットも同様)が存在していることはレアケースであり、多くのアジア諸国では出版マーケットが成り立たないために、その地域の多くの人々と大学を出ているエリート層との乖離が大きくなっている。これに対して、日本はある意味では、階級差があるにはあるのだけれども、知的なことを自国語で可能であるという状況がある。このために、発信は日本国内向けと海外向けという2重の状態になっている。
一方、英語などの欧米の言語で書かれることが最初の前提になってしまうと、そうでないと発信できないという言語寡占状態になってしまう。言語がその思考にある程度影響を与えているとすると、欧米の言語で発信されると言うことは、欧米中心的な文化の状況を生みだしてしまっている恐れもある。
さらに、欧米地域の出版であれば、それはエスタブリッシュされた英語での発信ということになり、さらに「普遍的」なイメージをまとった思想が蔓延してしまうということになりかねない。アジアからのアジア言語による発信と、アジアからの欧米言語での発信の両方が精力的に推し進められるべきではないだろうか。それは、世界的な研究・言論の多様性を保障するものとなる。
研究として発信されたものが、可能であれば世界的に読まれてほしいというのは基本的な願いだ。オリジナリティのある研究が行われたのであれば、それの内容は海外でも知られてほしい。英語で書かれ、英語圏の出版社から刊行されたということだけで、読まれ、日本語圏の出版社からでたことで、知られないということは寂しいことである。単純にルートがないということがその障害の大きな原因であるのなら、それは取り除きたい。優れた研究が、日本の出版社から出版されたということによって、世界の研究者に読まれないということをなくしたいと思うからだ。
インターネットの普及によって、個人でも世界に向けて発信ができるようになった。それに対して、出版という形で情報を送り出せないというのは、時代に合っていないのではないだろうか。ところが、意外に、本という実際の物理的な存在を国外に送り出していくというのは難しい。トラック、飛行機、船を使って運んでいなければならないし、関税を通るだろうし、届いたら在庫をストックしておかなければならないし、それを売れるように店頭に表示したり、カタログに載せたり、知ってもらわなければならない。さらに買ってもらった場合には、その代金を送ってもらわなければならない。送金はかなりやっかいである。インターネットというバーチャルな世界では、デジタル信号を送るだけでよいが、物理的なものを送ると言うことはかえって障害が多いというわけなのだ。
さらに先を考えると学術書を翻訳して、世界に発信するべきであるということもあるが、そのことをまじめに考えると学術書を翻訳できる翻訳者の要請、あるいは翻訳できる研究者との協同研究というようなことが、実際のところ、必要になるが、これは学術出版社の経済規模では、とても困難である。大学の課程に学術翻訳者養成であるとか、翻訳者に対して経済的な支援を与えるような新たな学術助成金のあり方(現在の日本学術振興会の助成は基本的に単年度の枠であるので、数百ページの学術書を翻訳するのは不可能である。せめて、3年は必要である)を新たに構築し直さなければならないだろう。これは、学術政策の再構築を要求すると思う。これまでの、学術政策は、世界に発信することをサポートするという発想が無い。発信して、届けるということについては関心が払われてこなかったということが言えるだろう。
研究に国籍、国境がないという状況の中で、欧米と対等に研究を発信していくということは、学術出版にとって最低限の条件になっていくだろう。それに対応することは、どうしても必要なのであるが、そういうルートは現実には今まで存在していない。
当然の最低限のラインだと思われるのであるが、今までどこの出版社もやっていないことなのでパイオニアにならざるを得ないということである。聞きに行こうにも(学術書の輸入はよくあることだが)学術書の輸出は、やられたことが極度に少ないので、相談するあてがない。パイオニアになると試行錯誤をたくさんすることになり、失敗や思い違いなども少なくない。無駄も多い。手間も労力もかかる。調査も一から行わなければならない。市場やルートを造るというのはそういうことだ。
言うまでもないことであるが、日本語で出版する日本市場がもっとも重要である。残念ながら、日本で英語で書かれた研究書は売れないというジンクスがある。これも、海外できちんと売れてくれることで、国内でも売れるという状況を作りたいという気持ちもある。
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