日本で、校正者というと表記の統一、体裁の統一ということが中心で、副次的に直感的あるいは経験から事実の論証が弱いところに関して、確認をするという印象が私にはある。次に重要な副次的な要素は、その校正者の専門に関わって、たとえば、洋食のジャンルが得意な校正者なら、その経験と直感で怪しいと感じたところに疑問を呈したりするというようなことだ。これが、映画というジャンルであれば、映画についての知識、経験から疑問出しをするというようなことである。副次的といったけれども、それは重要なことで、その校正者の専門性を形作るものだといえるだろう。
Butcherを読む限りでは、それに対して(学術書の)copy editorというものは、校正者と同じように一貫性を見るという点は共通しているけれども、その方向が少し違っているように思う。表記の統一に加えて、参考文献、参照の仕方、見出しシステムのあり方といった学術書の構造に踏み込んだ統一性と読みやすさに関わる。校正者のイメージはどうも送りがなとか用語であるとか表記システムにフォーカスしているように思われる。
その上で得意なジャンルということが当然あると思われるが、その前に学術書としての構造というものにcopy editorはかなり関わっているように感じる。割付の指示もcopy editorの仕事のようである。(copy editorが、designerに指示を出すという流れのようである。あるいはdesignerに指示を出した上で、実際の割付はcopy editorが行うようだ)
これはもしかして、校正者とcopy editorの違いではなくて、日本では学術書という出版ジャンルが大きくないことが原因なのかもしれない。日本の出版のメインストリームは、学術書というよりも一般書(trade book)であり、世間的には学術書と思われているであろう岩波書店でも、欧米のように学術出版の存在が大きい出版のあり方と比較するとそんなに専門的・学術的ではないことからして、日本では学術出版の存在が小さいことが根本的な原因かも知れない。欧米でも学術書がメインストリームということはないけれども、ずっとずっと大きい存在感があるようだ。日本ではマーケットが小さかったので、専門的学術分野に特化したcopy editorという存在が生まれにくかったのかもしれない。
一方、欧米におけるエディターの役割の区分けがいまいち分かりにくい。原稿獲得のエディター(aquisition editor)という役割はその名前の通りだろうが、手に入れた原稿について内容面のコメントをaquisition editorというものはするのだろうか? するとするとcopy editorとの役割の線はどこに引かれているのだろうか? Butcherを読んでも、よく分からない。
われわれは、学術書をできるだけきちんとした品質を維持しながら、コストにも関心をはらって刊行していこうと考えている。とすると、学術書ならではの書籍の構造と書記構造、参考文献の取り扱いなどに専門性を持った学術書のcopy editorと呼ぶべき存在が、とても重要だと考えている。
現状を見てみると日本の校正のやり方はそれには十分ではないのではないかと思う。学術書ならではの書籍の構造と書記構造、参考文献の取り扱いなどに専門性を持った学術書のcopy editorと呼ぶべき存在であるという方がいれば、ぜひ声をかけてほしいし、将来的にそのような存在になろうという気持ちがある方もぜひ声をかけてもらいたい。新しい校正の存在価値を作ることになるのだと思う。これは21世紀の学術出版にとってとても重要なことであると信じる。
一般的な校正者として経験を持った方で、学術書の構造について造詣が深いことが必要だろう。今は、そこまで行かなくともそうなりうる可能性が必要である。
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