電子メールは気軽なメディアであるというのは確かにそう思うが、教育的な点から考えると案外そうではないのではないか、という気がしてきた。電子メディアには教育的な効果が弱いのでは。教育をのぞけば気楽なものであるが、むしろ、教育という点を考えるとコストはよほどかかるのではないだろうか。
仕事ができる人が使う分には便利だろうが。これから一人前になっていく人を教えることを考えると電子メディアの方がよほど手間がかかる。以前なら、著者とのやり取りが電話でされていれば、そばで聞いていればだいたいどういう対応をしているのかがすぐにわかって、「言い方がまずいから注意して」とか「伝え方が下手だよ、そういうときな...」という指導ができた。ところがそれを電子メールでやられるとわざわざみてあげないと行けないということになる。自然と聞こえてくるというわけではない。めんどくさいことこの上ないのでは?
電子メールだと時候の挨拶がいらないというが、それは相手を気遣わないことになったり、相手との距離を自覚できないということになる。簡単なことばの方がよほど難しいのだ。ある形式をとっていれば、敬意をしめしたことになる、という方が覚えたり、知識としてはたいへんだが、それを守っていさえすればOKであるから、むしろ簡単かもしれない。それを簡便なことばで、お願いして、やっていただくということになるとこれは難しいのではないだろうか。
むしろ、電子メールであっても、保守的な手紙の書き方を1年くらいは行ってその上で簡便なことばできちんと説明できるようになってはじめて、電子メールらしい気楽な書き方にかえるということにしたほうがいいのではないだろうか。
これは新聞にも言えることで、情報収集するためだけなら、電子媒体で十分である。でも、若者が読む力をつけて、アイディアを生み出し、あるいは同じトピックで議論をするということを考えると紙の新聞は必要なのではないか?検索で読むのではなく、めくって読む、それを習慣とするというような意味で。
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