図書館から本が姿を消す--米大学が進めるデジタル化の現状 記事
「図書館から本が姿を消す」というタイトルの記事だが、根本的な誤解がある記事だ。置き場所をデジタルにするという意味で「本が消える」というのだが、本は単なるデータ群ではないことをこの記事を書いたStefanie Olsen (CNET News.com)記者は認識できていないようだ。
むしろ、この記事の中のスタンフォード大学のディレクターの発言に注目しよう。「たとえば、シェークスピアやヘミングウェイの著書などは棚に並べておく必要があるだろう。しかし、Unixカーネルの開発に関する専門書を棚に並べておく必要性はそれほど高くない。」(スタンフォード大学の図書館員で、同大学の学術情報リソース担当ディレクターを務めるMichael Keller)
逆にすべての本が「Unixカーネルの開発に関する専門書」ではないというあたりまえのことを思い起こすべきだ。すべての本が「シェークスピアやヘミングウェイの著書」ではないと同様のことである。
工学部系の大学やコンピュータ系の大学であれば、このStefanie Olsen記者の指摘する通りかもしれない。しかし、図書館の機能は、コンピュータのマニュアルを書いたり、サーバーを動かしたりするための知識を蓄えておいて、検索しやすくすることだけではない。
カオスの中から知識を作り出すことも重要なことだ。カオスの中では、検索キーワードを見つけ出すことからはじめなければならない。このためには、イメージを喚起するような手だてが必要になる。デジタル化された情報源が有効であることはいうまでもないことである。しかし、人間が効率よく作業できることと、クリエイティブになることでは違う要素が必要になる。書籍が空間的に広がっていることも、情報がデジタル化することと同時に必要なことだろう。
この点で、新しいシアトル公共図書館の実践は興味深い。サンフランシスコ公共図書館が、電子化にシフトしすぎた結果、書籍を置く場所がなくなり、次々と廃棄してしまった結果、利用者から期待される機能を提供できなくなってしまったことを踏まえて、リアルな書籍と電子情報のバランスを作り直したということである。これは『図書館の学校』での豊田恭子さんの報告によるが、この当たり前な結論にCNET News.comの記者は達することが出来なかったということだろう。
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